第19話 汐里と洋治

「わぁ……空が晴れたみたい」

 って、水の中で言う言葉じゃないかもしれないけど。

 でも、洞窟から外に出て見えた風景は、暗い雲が晴れたみたいに美しくて。

 立ち上る泡も、魚たちの体も、光を反射してキラキラ輝いている。

「汐里ちゃ~ん!」

「うわっ、ミクさん!?」

 上からストーンと落ちてきたのは、洋治くんのお姉さんのミクさんだった。

 ミクさんは私をぎゅうぎゅうと抱きしめてきて、ちょっと苦しい。

「汐里ちゃん、ありがとうねっ。ケガレ鬼もすっかり減って、水の国もこんなにキレイになって! わたくし、嬉しい!」

「ミクさん……私だけが、がんばったんじゃないですよ」

 私がそう言うと、ミクさんは体を離して不思議そうに首を傾げた。

「洋治くんがわだつみ小に来てくれて始めて、私がんばろうって思えた。それに、美化委員のみんなもたくさん手伝ってくれた。洋治くんとみんなのおかげです」

「そう……うふふ! ねえ汐里ちゃん、どうしてケガレ鬼が生まれるのか、覚えてる?」

 ミクさんは突然、そんなことを言った。

 ケガレ鬼は、『不浄』から生まれる。

 でもそれだけじゃなくって、人の心からもケガレ鬼は生まれてしまう。

 それはたとえば、汚い場所をどうでもいいやって思う気持ちや、掃除なんて誰かがやってくれるだろうって気持ち、だよね……。

「洋治、汐里ちゃん、それに美化委員のみんな。みんなの気持ちが、水の国を助けてくれたのね」

『だって、汚いのイヤじゃん!』そう言った三年生の女の子。

 汚いのをそのままにしておけないって気持ち。

 みんなが『不浄』をなんとかしようって思ってくれたこと。

 それが、水の国を助けた。

 最初は文句も出たし、手伝いをしてくれない子だっていた。

 もしかしたら私たちを手伝ってくれたのも、しかたなくだったからかもしれない。

 それでも最後まで手伝ってくれたのは、みんなが『なんとかしなきゃ』って思ってくれたからだって、今はそう信じたい。

「汐里ちゃん、前よりずっと輝いて見えるわね」

「えっ……そうですか?」

「うん! ナポレオンフィッシュの真っ青なウロコみたいに美しいわ」

 ……なーんでこの姉弟は、なんでもかんでもおサカナに例えるかな。

 でも、ほめられたんだ。悪い気はしない……むしろうれしい。

「汐里、まだ時間あるか」

「えっ? うん」

 ずっと黙って私とミクさんの話を聞いていた洋治くんが、唐突にそう言った。

 洋治くんがその場でぴょんとジャンプすると、突然たくさんの白い泡がゴボゴボと立ち上り、周りが見えなくなってしまう。

 泡が落ち着いてようやく目を開けると、そこにいたのは銀色のツノに、オーロラのように美しく輝くウロコをもった大きな龍の姿。

 そんな龍の金色の瞳と目が合った。

 ――久しぶりに、蛇ににらまれたカエル……。

「よ、よ、洋治くん、だよね?」

 龍――洋治くんはこくりとうなずいて、私の体にぐいと鼻先を押しつけた。

「うわ、わ」

「乗せてくれるんですって」

 ミクさんが通訳してくれた。

 そっか、龍の姿だと喋れないのかな?

 私は洋治くんの頭の上に乗せてもらい、そっと洋介くんのツノをつかんだ。

 たてがみが水にゆらゆら揺れて、風が吹く草原にいるみたいだった。

 洋治くんは足にぐっと力をこめたかと思えば、そのままぶわりと高くジャンプして、水の中をぐんぐん進んでいく。

 さっきまでいた洞窟が、すっかり下の方に見えた。

「うわぁ……!」

 水の流れが肌にじかに当たって、気持ちいい。

 水の中を泳ぐ魚は、いつもこんな気分なのかな。

 美しい水の中を、私たちは空を飛ぶように進んだ。

 黒い霧のように空をおおっていたケガレ鬼はいなくなり、水の中はまるで青空みたいにすみわたっている。

 遠くに見えていた竜宮城のように赤い宮殿が、手が届きそうなくらい近づいた。

 ケガレ鬼に襲われたっていう宮殿はちょっと壊れていたけど、私たちがこれからもがんばっていけば、きっとこの宮殿ももとに戻るはずだよね。

「洋治くん、ありがとうね」

 私がそう言えば、洋治くんはこっちを見ようとして頭を上げた。

 その拍子に私は後ろに転がりそうになって、あわててツノをつかむ。

「私、これからも洋治くんのこと忘れないで、がんばるから……」

 洋治くんに、この水の国とわだつみ小の関係を聞いた時から、ずっと考えていたことがあった。

 水の国とわだつみ小は縁が深いから、私もケガレ鬼も行き来ができる。

 だから洋治くんは、わだつみ小の『不浄』をなくすために今までがんばってきた。

 でも、わだつみ小から『不浄』がなくなったら、洋治くんが学校に通い続ける意味もなくなってしまう。

 人間の世界には、洋治くんたちが言う『不浄』がまだまだたくさんあるわけで……。

 ひとまず水の国の平和は守られたみたいだけど、またいつ壊れてしまうかわからない。

 そのために、洋治くんはまたケガレ鬼と戦うのだろう。

 わだつみ小とはまた別のどこかで。

 つまり……洋治くんは、もうわだつみ小に来ないんじゃないかって。

 私はそれが、ひどくさみしかった。


 空を飛び回るような水中散歩は、長いようであっという間に終わってしまった。

 洋治くんは私を洞窟の中の池まで連れていってくれて、また人の姿にもどった。

「どうだった?」

「すっごく楽しかった!」

 なんだか胸がズキズキ痛むのを、知らないふりをして笑った。

 私の答えに、洋治くんも満足そうに笑う。

「よし、それじゃ行くぞ」

「え? 行くって――」

 洋治くんに腕を引っぱられて、私は思いっきり池の中に飛び込むハメに……!

 ようすを見守っていたミクさんの「あらあら~」って声と共に、思いっきり地面にたたきつけられた。

「ぐえぇっ」

「なにもこんな時までカエルの物真似しなくても」

「う、うるさいなぁっ! 好きでやったんじゃないもん!」

 もう、洋治くんってちょっとデリカシーないよね!

 私が立ち上がろうとすると、洋治くんがすっと手をさしだしてくれた。

 ……こういうところが本当にずるいなって思う。

「ケガレ鬼、全然いないな」

「あ、うん! 美化委員みんな、ほんとにがんばったんだよ」

「そうか……」

 洋治くんはそれきり何も言わず、一緒に玄関の外に出た。

 夕焼けを反射するあおぞら池の前で立ち止まると、タイショーたちが寄ってくる。

 その姿は、まるで洋治くんとお別れをするみたいで、私はまた泣きそうになった。

「汐里、そろそろ帰らないと」

「あ、うん……」

 鼻の奥がツンとするけど、泣いたら洋治くんを困らせちゃう。

「――私、これからもがんばるね!」

 私がそう言うと、洋治くんはちょっとおどろいて、けれど笑ってうなずいた。

 五年一組の美化委員が私一人になってしまっても、この学校をキレイにし続けるから。

 だから洋治くん、これからも私たちを見守っていてね。

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