第17話 当たり前のこと
「今日は、突然だったのに、集まってくれてありがとうございます」
お昼休みに考えた文章。それを書いた紙を持つ手が、ぶるぶる震えた。
「今回、トイレの掃除を提案したのは、トイレが汚れていることで、困っている子がいたからです。それを、私はなんとかしたいと思いました」
一応、ウソは言ってない。
実際にこっちで困っている子がいるのも本当。
大きな『不浄』となって、水の国が困っているのも、本当のことだから。
「みなさん、ご協力、よろしくお願いします!」
私は勢いよく頭を下げた。
今度こそ、かまないで言えた。
でも、怖くて顔を上げられない。
あのイヤ~な感じの拍手が起こったら?
みんなが「めんどうだな」って顔をしてたら?
「汐里ちゃん、ありがとう」
野中先パイがそう言うと、パチパチと拍手が起こった。
……あのイヤな感じの拍手じゃない。
顔を上げてみると、自分が思っていたほど、みんながみんな「めんどうだな」って顔をしてはいなかった。
ほっとして力が抜けそうになる。
でも、私の仕事はこれで終わりじゃない。
この学校から『不浄』をなくすこと、それが私と洋治くんのお役目なんだから!
「自由参加なのに、みんなが集まってくれて、先生はうれしいよ」
私が席に戻る途中で、堀口先生がそう言った。
たしかに……学校をお休みしている洋治くん以外、みんな来ている。
どうしてだろう、池の水をぬくようなワクワクもないお掃除なのに。
洋治くん。本当に、人間ってよくわかんなくて、むずかしいね。
「よーし、それじゃあ掃除のやり方を説明していくぞ。まずは――」
――トイレ。
よどんだ空気が立ち込める薄暗いその場所は、数々の怪談が生まれた場所でもある。
今もこの場所に踏み入れた人々は、甲高い悲鳴を上げているのだ。
「キャーッ! なにこれ! ありえない! チョークサイ!」
……とまあ、こんな感じで。
私たち美化委員は、男子と女子に分かれ、各階のトイレを掃除することになった。
生徒用のトイレは四カ所。
一組から四組の美化委員が縦割りで班になった。
私の班は当然ながら一組の班。
六年一組の佐藤さんと、私、四年一組と三年一組の女子。といった具合だ。
「じゃあやっていきましょう! まずは床のゴミをほうきで集める……んですよね?」
「うん。みんなゴム手袋とマスクをしてね」
私と佐藤さんの言葉に、下の学年の子たちがはーいと顔をしかめて言った。
このトイレ独特のイヤなにおい。
心なしか、床をはうケガレ鬼が元気そうだ。
掃除のやり方は事前に堀口先生が教えてくれた。
先生もたいがい、キレイ好きだと思う。
まずは床の掃除から……だけど、ただのほうきがけならみんなも教室でやっているはずなのに、すっごくイヤそうなのはやっぱりトイレだからかな。
なんだかビミョーに湿った床と、薄暗い雰囲気とで、とても明るい気分になれない。
「私、学校のトイレに入ったのってずいぶん久しぶりかも」
ちりとりでゴミを集めながら佐藤さんがそう言った。
「わたしもー。入学してから一回も使ってない」
「わたしのクラスはトイレ行くと呪われるって言われてる」
三年生と四年生が口々に言う。
「でもやっぱり、トイレが使えないと不便ですよね。我慢して失敗したくないし……」
「そうよねぇ。毎回職員用のトイレまで行くわけにもね」
「えっ、先生用のトイレってキレイなんですか?」
「私、一回だけ使ったことあるけど、キレイだったよ」
なんてこった。先生たちもあの汚いトイレを使っているわけじゃなかったのか。
「どうして先生たちのトイレはキレイなんだろう?」
三年生の子がぽつりと言った。
私と佐藤さんは顔を見合わせる。
「たしかに。どうしてだろう」
「そういえば職員用トイレって、洋式しかないんだよ」
「あっ――和式の使い方知らない子、多いんじゃないですか?」
私、和式のトイレってこの学校とか古めのお店とかでしか見たことないもん!
あんまり外に出かけない子だと、なおさら見たことないのかも。
佐藤さんは合点がいったようにうなずいた。
「そっか。使い方、わかんない子がいるのかもね。だから汚れちゃうのかも」
「実際、和式ってヤですよね……」
「ねー」
みんなの同意の声が上がる。
ちょっとずつ、掃除以外の『美化』が見えてきた、かも。
「次の集会から、ただ集まってお仕事の報告だけになっちゃいますよね?」
「そうなの?」
「はい。私、三年生から美化委員やってるけど、いつもあんまりすることなくって」
「また何か思いついたんだ」
「トイレの使い方のポスターを作る……ってどうですか? いくらキレイにしたって、汚くする人がいればまたすぐ元通りになっちゃうわけで……トイレをキレイに使いましょうなんてことはみんなわかってると思うけど。改めて、正しいトイレの使い方をみんなが知れば、もうちょっとよくなっていくんじゃないかって」
使い方がわからなくてテキトーになっちゃうなら、少しでも知ってもらえたら。
みんながいつだって、この学校で気持ちよく過ごせるように。
そうすればきっと、ケガレ鬼だっていなくなるはず。
――あれ、でもそうすると、洋治くんは……。
「……とにかく、まずはこのトイレですね!」
「そうだね。床のゴミはなくなったかな?」
みんなでざっとトイレの床を見渡す。
うん、大きなゴミはもうなさそう。
「よし、次は洗面所だね。バケツに洗剤を溶かして……よし、これでこすっていこう」
「台所洗剤と普通のスポンジでいいんですね」
「うん。汚れがなくなったら、洗剤を水で洗い流してね」
「食器洗いといっしょー」
みんなで一生懸命洗面台をこすっていく。
シンクもこれまた排水口の部分が黒ずんでいたり、鏡もくもっていたりで……。
これじゃあ怪談の舞台になるわけだよ。今にもなにか出てきそうだもん。
しっかりと金具の部分の汚れも落とせば、かなりいい感じにキレイになってきた。
――掃除って、すっごく地味で、地道な作業だなって思う。
特別な洗剤や機材を使えない私たち子どもにできるのは、ひたすら手を動かすこと。
作業を始めて、気付けばみんな黙ったまま。
いくら窓を開けていても、そうすぐにニオイが外に出ていくわけがなくて。
みんなの顔が、どんどん険しくなっていくのがわかった。
「こっち終わりました」
「こっちもオッケー!」
「よぅし、じゃあいよいよ便器の掃除だね」
「ええー……」
三年生の子が、あからさまにやりたくなさそうな顔をしている。
しょうがないよね。みんながやりたくない仕事だもん。
それでもこの子は、自由参加なのに来てくれて、本当に感謝している。
「疲れたんなら、もう帰ってもいいんだよ?」
三年生の子は、私の言葉にちょっとだけ口をとがらせた。
「んー……もうちょっとがんばる」
「……どうして?」
私、ずっと疑問に思ってた。
どうしてみんな、急な集まりだったのに、来てくれたんだろうって。
最初はみんなやりたくなさそうだったのに。
そう思うと、聞かずにはいられなかった。
「だって、汚いのイヤじゃん!」
それは、すごく当たり前のことで……。
目からウロコが落ちるって、こういうことを言うのかも。
「――そうだよね!」
「そうだよ!」
「がんばってキレイにしなくっちゃね!」
そうだ。汚れていたら掃除をする。
それはとても普通のことなのかもしれない。
お母さんやお掃除の人が普通にやっているように見えるからって、いざ自分でやってみると、すっごく大変で。
それでも誰かがやらなきゃいけないこと。
そう思う気持ちが、きっとケガレ鬼を倒していくんだって、そう思った。
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