第12話 わだつみ小学校校歌斉唱

「……は? 歌?」

 何言ってんだコイツ、って目で私を見つめる洋治くん。

 私が突然そんなことを言いだしたのは、ちゃんと理由があるのだ。

「お母さんがね、仕事に行き詰まると歌を歌うの。そうすると、余計なことを考えずにすむって。頭の中がスッキリして、仕事に集中できるんだって言ってた」

「なるほど。試してみよう」

 洋治くんってお掃除のことになると相変わらず前のめりだ。

 一体何を歌うのかな。

 童謡? それとも、はやりの歌? ちょっとワクワクした。

「――きらめく海の、光あびてー」

 ま、まさかのわだつみ小学校校歌……!

 しかも、ちょっと音を外している。

 洋治くんは水の国の人だから、こっちの歌とか全然知らないんだ。

 笑いをこらえている間に洋治くんは淡々と続けた。それがまた、笑いをさそう。

「はしるいのちー、わが学び舎ー」

「フフッ……」

「おまえが言いだしたんだろ! 笑うな!」

「ごめんってー!」

 ふと視線に気付き洋治くんから顔をそらすと、みんながこっちを見ていた。

 ……やっちゃった。顔がみるみる熱くなる。

 野中先パイと目が合った。すると野中先パイは笑って親指を立てた。

「いいね!」

「えっ」

「僕も歌お」

 そう言って野中先パイも歌いだした。

 すると、楽しいことが大好きな三年生たちも一緒に歌いだす。

「ほら、おまえも歌え」

 洋治くんがちょっと頬を染めて、ヒジで私を小づいた。

 たしかに、私が言いだしっぺだもんね。

 私はスコップでヘドロをすくいながら、おなかに力をこめた。


〽きらめく海の 光あびて

 はしる いのち わが学び舎

 清いこころを映す 青空のように

 さわやかに 風そよぐ やなぎの枝葉

 たゆまぬ努力とあろう

 わだつみ小学校 わだつみ小学校


 気付けば美化委員のみんなで大合唱。

 さっきまでのどんよりした空気が一気に晴れていく。

 雲ひとつない青空に負けずおとらず、みんなの顔も晴れていくみたい。

 ニオイにずーっと顔をしかめていた子も、腕が疲れてしまって休んでいた子も、笑いながら楽しそうに笑っていた。


「――よーし、今日はここまで! この調子だと一週間で掃除が終わりそうだな。みんなありがとう!」

 堀口先生がそう言うと、美化委員のみんなは口々に返事をした。

 時間はかかったけど、少しだけヘドロの底が見えてきた。

 作業をしている間はあまり実感がわかなかったけど、バケツを温室の裏に運ぶ係に交代してから、すごい量のヘドロが天日干しにされていたのを見た。

 作業が確実に進んでいるんだって思うとうれしくって。

 お母さんが言っていた、『成果が目に見える』っていうのは、きっとこういう喜びのことだったんだろう。

 美化委員のみんなは解散すると、玄関に置いていたカバンを手に取って、次々帰っていく。

 私と洋治くんは、相変わらず一番最後。

 私たちはみんなが帰っていく後ろ姿を見ながら、ケガレ鬼や水の国のことをちょっとだけ話すのが、すっかり日課になっていた。

「水の国におサカナもどってきた?」

「そうだな……マサバの群れが戻ってきたかな。あと、ネオンテトラ」

「……ん? 水の国って海水じゃないの? ネオンテトラって、川の魚だよね」

「水の国は水の中の生き物ならなんだって暮らせる場所だ。シーラカンスとアロワナが一緒に泳いでいることもあった」

「えーっ。なにそれ、見たい」

 そんな話を聞いちゃうと、『不浄』のお掃除にもがぜんヤル気がわいてくるよ。

 しばらくしてみんながいなくなったことを確認すると、洋治くんが立ち上がった。

「じゃあちょっとだけ見るか?」

「えっ? どうやって?」

「ついて来い」短く言って洋治くんは歩きだした。

 やってきたのは階段の踊り場。

 洋治くんが鏡に触れると、呪文を唱えていないのに景色が変わった。

 まるで水族館の水槽をのぞいているみたい。

「ほら。ネオンテトラ」

「ほんとだ……ネオンテトラとサバが一緒に泳いでる……ヘンなの!」

 私がそう言うと、洋治くんはこっちを見てくすりと笑った。

 その様子に思わずドキッとする。

 さっきまでは水の国への興味ばかりだったのに、今はなぜか洋治くんばかり見ちゃう。

「えと……そうだミクさん! ミクさんは元気?」

「元気だが、もう少し危機感を持ってほしい」

「アハハ……そういえばミクさんも龍の姿になれるの?」

「……なれるはなれるが、怖いぞ」

「怖いんだ……」

 ふだんおだやかな人ほど、怒ると怖いってことなのかな。

 洋治くんも龍の姿は……いや、初めて会った時からもう怖かったな。

 目つきは鋭いし、いつも不機嫌そうな顔だったから、こんな人が真後ろの席なんて、ってすごくおびえたのをよく覚えている。

 今では一生懸命でちょっと前のめりで真面目な子なんだってわかったから、全然平気。

「なに笑ってるんだ」

「洋治くん、最初の頃は怖かったけど、今はヘーキだなって思ってた」

「……怖かったか?」

「怖かったよー!」

「そうか……じゃあ今日手を貸した女子も怖がらせてしまったのかな」

 洋治くんは考え込むようにそう言った。

 今日手を貸した女の子って……隣のクラスの美化委員のあの子か。

「あの子は大丈夫だと思うけどなー」

「なんで?」

「なんでって……」

 洋治くんの手を取って、ちょっと頬を赤らめていたあの表情。

 あれを見れば、洋治くんのことを怖がってるなんて思いもしないよ。

 でもなんだろう、なんだか胸がムズムズ、モヤモヤする。

 まるでにごったあおぞら池の水みたいに……。

「――なんでも!」

「なんだそれ」

 話を無理やりそらすように鏡の中に向き直る。

 洋治くんがとなりであきれたように笑うのが気配でわかる。

 私はカバンを背負いなおして、洋治くんから二、三歩距離を取った。

「私、帰るね。水の国を見せてくれてありがとう! また見せてね」

「ああ。また明日」

「うん。また明日ね、洋治くん」

 洋治くんのことを怖がらない女の子は、今は私だけならいいのに……。

 そんなことを考えながら、私は家へ帰ったのでした。

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