第10話 池の水、ほとんどぬく

 いよいよ今日は、池の水をぬく日!

 これであの山盛りのケガレ鬼を退治することができる。

 そうすれば、水の国に少しでも平和が戻ってくる!

 私はそればかり考えて、朝からずっとソワソワしていた。

「姉ちゃん、今日池の水ぬくんだって?」

「えっ、なんで知ってるの? 言ったっけ?」

「同じクラスの美化委員が言いふらしてた」

 朝ごはんを食べている時、旭がそんなことを言いだした。

 旭は三年一組だから、そのクラスの美化委員ってことは……あっ、池の水をぬくことを一番楽しみにしていた子だ。

「ねえ、俺も見に行っていい?」

「ええー? 旭も興味あるの?」

「ウン! なんか楽しそうじゃん!」

「でも、あおぞら池って川とつながってるわけじゃないから、ヘンな生き物とか、お宝とかそういうのは出てこないと思うんだけどなぁ……」

「姉ちゃんはロマンってものをわかってねーよなー」

 うわっ、相変わらず、生意気!

 覚えたての言葉をすぐに使いたがるんだから。

「堀口先生に聞いてみたら? 担任でしょ」

「それもそっか。わざわざ姉ちゃんに聞くことなかったな」

「なんだとー!」

「やんのかー!?」

「あんたたち、はやく準備しないと遅刻よー」

 お母さんがのんびりとそう言って、私と旭は顔を見合わせた。

 一時休戦。朝ごはんをおなかにつめこむ。

「いってきまーす!」

「いってらっしゃーい。気をつけてねー」

 旭と二人で家の外に出る。今日はずいぶん天気がいい。

「でも、姉ちゃんもよくがんばってるよなー。俺だったら掃除なんてめんどくさいもん」

「旭ねぇ……教室の掃除もサボってるんじゃないでしょうね」

「まさか! そんなことしたらお母さんにゲンコツくらうじゃん」

 たしかに。

 お母さんは、やらなきゃいけないことをサボった時にはすっごくキビしい。

「池の掃除って姉ちゃんが言いだしたんだろ?」

「私じゃないよ。私とペアの、帆崎洋治くん」

「フーン。そいつがいなかったら、池の水はあのままだったのか。感謝しなきゃなー」

「そんなに池の水がぬけるの楽しみ?」

「楽しみだよ。ヒニチジョーって感じするじゃん!」

 旭は自信満々に言った。

 非日常、か。

 水をぬいて大々的に掃除をするのは、私たちにとって非日常なんだ。

 それがいつか当たり前になるくらい、あおぞら池をキレイなままにし続けていくのが、きっと私たちにとっても水の国にもいいことなんだろうな。


◇ ◇ ◇


 放課後、いつもの集合場所までやってくると、美化委員の子たちがもう集まっていた。

 なにやら騒がしい。とくに、低学年の子たちが。

「何かあったのか?」

 洋治くんが聞くと、六年一組の佐藤さんが指をさして答えてくれた。

「池の水をぬくためのポンプと、タイショーを移すコンテナに夢中みたい」

「へえ、あれで水をぬくのか。人間の道具には色々あるな」

「……? ニンゲンの道具?」

「あ、あー! そっか、だからみんな集まってるのかー! へー!」

 私がいつもより大きな声をだしたので、佐藤さんがきょとんとしている。

 うう、今の私、ゼッタイ顔真っ赤……。

「しかし、池の水をぬくってだけで、ずいぶん大さわぎだな」

 洋治くんが首をかしげながら言った。

 私は今朝に旭から聞いた言葉を、そのまま口にだした。

「非日常なんだって」

「……非日常?」

「うん。だから見に行きたいんだって。……ホラ、あれ」

 私は三年生の教室がある階を指さした。

 何人かの生徒が、窓から身を乗りだしてこちらを見ている。

 先生に来るなって言われたからあそこから見てるのかな。

 他の階にも私たちを見ている子たちがいて、動物園の中の動物たちってこんな気分なのかもしれないってちょっとだけ思う。

 その中の一人、旭が私に気づくと手をふった。

「姉ちゃーん! 先生そっち行ったから、そろそろだぞー!」

「わかったー!」

 私も旭に手をふると、タイミングよく堀口先生がやってきた。

 堀口先生はちらりと校舎の方を見て、みんながこっちを見ていることに苦笑する。

「よーし、じゃあみんな待ってるみたいだし、やるかぁ」

「先生! はやくはやくっ!」

「わかったわかった。じゃあ、タイショーが捕まえられる深さになるまで水をぬくから。けど、別にそんな楽しいもんじゃないぞ? 時間もかかるし」

 そんな堀口先生の言葉もおかまいなしに、早く早くとはやし立てている。

 先生も観念したのか、ポンプのホースの先を池に沈め、電源スイッチを押した。

「おー! すっげー!」

 ごぼごぼと空気の泡が立ったかと思えば、池の水位がどんどん下がっていく。

 みんながなんで興奮していたのか、ちょっとわかった気がする。

 今まで当たり前にあったものの姿が変わっていくのは、けっこう面白い。

「おーい、詰まるといけないから、誰か浮いてる草やゴミを取ってくれー!」

「汐里、行くぞ」

 有無を言わさずって感じで、洋治くんが歩いていく。

 この態度にもすっかり慣れちゃった。

 私たちが物置小屋から数人分の網を持って池まで行くと、僕も私もと網の奪い合い。

 そのほとんどは、下の学年の子たちだ。

「五年と六年に任せるより、三年と四年に池の掃除を任せたほうが、最初からうまくいってたんじゃないか?」

「うーん、でも水場の近くは危ないから、高学年の子に任せるようにしてたのかも」

「まあ、たしかに。池のフチはすべりやすいし」

 私も最初の掃除の時は池のフチに立たないようにしていたもん。

 だって、こんな緑と茶色でにごっていて――今はケガレ鬼の巣窟になっている池になんか落ちてしまうなんて、考えたくもない。

 池の様子を見ながら物置小屋から道具をだしていると、水位がかなり低くなって、ケガレ鬼のすきまからタイショーの頭が見えた。

「そろそろコンテナにタイショーを移すか。誰か網貸してくれー!」

 堀口先生が網を手渡されると、ちゅうちょすることなく池に足を踏み入れていく。

 いくら水位が下がって足首くらいの高さしかないとはいえ、勇気あるなあ。

「あー、全然捕まらない」

 ぼやきながら、必死でタイショーを追いかけている。

 水位が下がってもタイショーの泳ぎは上手だ。

 でも、あんなにあわてて泳いでるタイショーを見るのは初めてかも。

 あんまり追いかけ回すと弱っちゃうんじゃないのかな……。

「しょうがないな」

 洋治くんが池のフチに立ったので、私もちょっと後ろから池をのぞきこむ。

 水面に指がつくかって所まで、洋治くんが手をのばす。

 するとタイショーや金魚たちが突然くるりと向きを変えて、洋治くんのそばまでスイスイ泳いできた!

「おおーっ、すごいな帆崎くん」

「一気に捕まえてください」

「よしよし……ヨイショー!」

 網の中にタイショーと金魚たちが大人しく捕まった。

 オオーッ、とみんなの感嘆の声が上がって、別に私はなにもしていないのに思わず体を縮こまらせた。

「すげー! すげー! 帆崎先パイ、猛獣使いなの!?」

「ばか! それを言うならサカナ使いだろ!」

「帆崎先パイはー、サカナ使いなんですかー!?」

「……サカナ使いではない……」

 低学年の子たちが洋治くんに集まってくる。

 なんだか、さっきのタイショーと金魚たちみたい。

 意外にも洋治くんは年下の子たちにたじたじ。

 いつもクールで優等生な洋治くんがこんなに困ってるのって珍しいかも。

「フフ」

「……汐里」

「ハイハイ。みんな、池の掃除する準備しよっか」

 私がそう声をかけると、三年生たちが「わかった!」って言いながら私たちが持ってきた道具を取りに駆けだした。

 ちらりと洋治くんを見ると、あからさまにホッとした顔をしている。

「オイ、なに笑ってる。おまえも掃除するんだろ」

「わかった、わかった」

 私が返事をすると洋治くんはやっぱり納得いってなさそうな顔。

 いつも大人びている洋治くんの、普通の子どもみたいな反応を見られて、私はなんだか安心したのでした。

「よーし、美化委員諸君! そろそろ掃除始めるぞー!」

「ほら行くぞ汐里」

「わかったってばー」

 ずんずん歩いて行く洋治くんの後ろを、私はいつもの調子で歩いた。

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