第7話 私なら大丈夫?

「ポッポッポー……ハトポッポー……」

 家に帰るとお母さんがブツブツ言いながら台所に立っていた。

 マズイ。これは、仕事のしすぎでハイになっている!

 お母さんはイラストレーター。

 いつもは仕事部屋こもって、デジタルイラスト用の液晶タブレットとむずかしい顔でにらめっこしていることが多い。

 締め切りが近づくと、こうやってちょっとヘンになる。

「お、お母さん! ただいま!」

「あら汐里……おかえりなさい」

「座ってて! コーヒーいれてあげるから!」

「ほんとう? ありがとう……」

 お母さんはダイニングのイスにふらふらと座った。

 手首と首の後ろにシップ、額には頭を冷やすシート……大変そうだ。

「汐里。美化委員の仕事はどう? 今年から池の掃除だったっけ」

「あ、うん……そのことで、お母さんに聞きたいことがあってね」

 電気ケトルに水を入れて、お湯をわかす。

 その間に、マグカップにインスタントコーヒーの粉を注いだ。

「聞きたいことって?」

「今日ね、同じ美化委員の子に聞かれたことがあるんだけど、うまく答えられなくて」

「へえー、何を聞かれたの?」

「なんでみんな掃除をやりたがらないんだろう、って」

 マグカップ一杯分のお湯はすぐに沸騰して、電気ケトルの電源がカチリと消えた。

 カップにお湯を注いでスプーンで混ぜたら、コーヒーの完成。

 お母さんの前にそれをだして、私も向かいに座った。

「お母さんはさ、いつもこの家をキレイにしてくれているよね。お仕事で忙しいのに、やりたくないって思ったことはないの?」

「うーん……そうねえ。お母さんも別にやりたくてやってるわけじゃないのよ」

「えっ!? そうだったの!?」

 てっきり、お母さんは掃除が好きなんだと思ってたから、びっくり。

 お母さんはコーヒーを飲みながら家の中を見わたした。

「お母さん、仕事でずーっと家にいるでしょ?」

「うん」

「でも仕事がうまくいかないなって時や、依頼人からのメールの返事を待っている時なんかのちょっとした時間に、掃除をしてるのよ」

「へーっ……そうだったんだ」

「スキマ時間の活用でもあるし、お母さんなりのストレス発散方法でもあるってワケ」

 ストレス発散方法が掃除かぁ。考えたこともなかった。

「でも、お母さんは掃除が特別好きってわけじゃないけど、キライでもないのよ」

「えっ、どうして?」

「お掃除は、がんばればがんばるだけ、成果が目に見えるっていうのがいいわよね。世の中の仕事には、がんばっても形にならなかったり、ほめてもらえないことがたくさんあるけど、お掃除はキレイになったってことがハッキリわかるでしょ。誰も損しないしね」

「へえー……」

「お母さんなんか、さっきから描いたラフを全部ボツにされて……」あっ、お母さんがブツブツモードに入った。ヤバいヤバい、こうなると長いんだ。

 私はあわててお母さんの独り言をさえぎった。

「お、お母さん! 美化委員のみんなと池の掃除をしようってことになったんだけど、何人か来てくれなさそうな人がいて、どうしたらいいかな!?」

「あら、やりたくない子もいるのね」

「うん……結構いるかも……」

 けだるげな六年生の男の子を筆頭に、何人かの顔が思い浮かんだ。

 できることなら、美化委員みんなが参加してくれると嬉しいんだけど。

 そうすれば『不浄』が減って、水の国にも平和が戻ると思うから。

 お母さんはコーヒーを全部飲み干すと、私を見て笑った。

「そうねえ……汐里なら大丈夫だと思うけどね」

「えっ――」

 それってどういう意味?

 聞こうと思ったけど、お母さんあてに電話がかかってきちゃって、結局その話はうやむやになってしまった。


◇ ◇ ◇


 今日から二週間は美化強化月間だ。

「汐里ちゃん、今日も美化委員の仕事?」

「やよいちゃん。うん、そうなの」

「池がキレイになったら私もうれしいなぁ。あそこのベンチで本とか読んだらきっと気持ち良いよね」

 ……そっか。池がキレイになると嬉しいのは洋治くんや水の国だけじゃないもんね。

「汐里、行くぞ」

「あ、うん! 洋治くん!」

「あれぇ、汐里ちゃん、帆崎くんとかなり仲良くなったんだね」

「え? あー……なりゆき?」

「そっかあ。うふふ。じゃ、がんばってね」

「うん! また明日ね、やよいちゃん」

 なんだかふくみのある笑みを浮かべるやよいちゃんに見送られて、私たちは教室を出た。

 廊下は相変わらずケガレ鬼がなにくわぬ顔をしてうろついている。

 そんなケガレ鬼を、洋治くんはやっぱりなにくわぬ顔で踏みつけている。

 そういえば、最初に池の掃除をした時、洋治くんが何もない地面をぐりぐり踏み潰していたっけ。あれって、あそこにケガレ鬼がいたんだろうなあ。

「……あっ。そうだ洋治くん、いいこと思いついた!」

「なんだ」

「洋治くんのウロコをみんなに配れば、わだつみ小がケガレ鬼だらけっていうのがわかって、みんな掃除に来てくれるんじゃないかな!?」

 うーん、われながら名案!

 ……と思ったんだけど、洋治くんはジロリと私をにらんだ。

 うっ、蛇ににらまれたカエルっ。

「バカ。大バカ」

「ばっ……!」

「おまえ、今ここで爪をはげって言ったら、できるか」

「……ムリです」

「大体、本当なら俺が水の国から来てるってことは、こっちの人間に知られちゃいけないんだ。……まさかおまえ、言いふらしたりしてないだろうな……」

「してません! 誰にも言ってません!」

「ならいい」

 洋治くんはフンと鼻を鳴らした。

 うう、またやってしまった。

 洋治くんは、人間ってよくわからなくてむずかしいって言ってたけど。

 私も洋治くんのことは、まだまだわからないことだらけで、むずかしい。

「……あの、洋治くん」

「なんだ」

「……テキトーなことばっかり言ってごめんなさい」

「別にいい」

「あっ……! ウロコを取るのが、私が爪をはぐのと同じくらいだとしたら……すっごく痛かったよね!? ごめんね! 返したほうがいい!?」

「返されても困る。くっつかないし。お前、爪くっつくのか」

「……くっつきません」

 背中にだらだらと汗が流れる。

「ごめんなさい……」

「俺は怒ってない」

「ほ、ほんとう?」

「ほんとう」

「ほんとのほんとに!?」

「しつこいぞ、おまえ」

「うっ……」

 そりゃあ、わかってるけどさ。

 洋治くん、いまいち表情がわかりにくいんだもん!

 だからついつい、ちゃんとした言葉がほしくなってしまう。

 洋治くんはハァーっとため息をついた。ほんとにごめん……。

「おまえ、思ってたよりヘンなヤツなんだな」

「ええー……最初はどんなヤツだって思ってたのさ」

「カエルアンコウみたいなヤツ」

「またそれ! どんな魚か知らないけど!」

「噛みつくな。ウツボじゃあるまいし」

「もう! なんで人を水の生き物に例えるの!? てゆーか、ウツボってなに!?」

「――アハハッ」

 洋治くんが笑った――笑った!?

 今のどこに笑えるポイントがあったのか全然わかんないけど……。

 洋治くんって、笑うと目じりが下がるんだ。

 突然知った洋治くんの一面に、心臓がドキドキいいっぱなしだった。

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