第5話 為せば成る!

 自分の家って、お母さんがちゃんとキレイにしてくれていたんだな。

 今まで気にとめていなかったけど、帆崎くんからもらったウロコでケガレ鬼が見えるようになってから、しみじみとそう思うようになった。

 水の国から帰ってきて下校する時、ゴミ捨て場やポイ捨てされた空き缶にとり憑くケガレ鬼を見た。

 それが家に帰ると、大きなやつは一匹もいないのだ。

「うわ」

 洗面所にケガレ鬼が一匹。アリよりちょっと大きいくらい。

 ああ、排水口がちょっと黒ずんでいるからかな。

 ティッシュでこすってキレイにしたらケガレ鬼はいつの間にか消えていた。

「あれ、おはよう汐里。今朝はずいぶん早いな」

「お父さん、おはよう。今日はちょっと早めに学校行くんだ」

「へえ。じゃあお父さんが朝ごはん作ってあげよう」

 お父さんはそう言って洗面所で顔を洗い始めた。

 今のうちにお庭の花に水をあげてこなきゃ。

 お父さんはちょっと遠くの会社に勤めているから、朝が早い。

 どれくらい朝早いかって言うと、私が起きるころにはもう家を出ているくらい。

 お母さんはイラストレーターで、家にこもりきりの仕事でいつも大変そう。

 お庭の花たちは今日も元気いっぱいに葉をしげらせていて、自然と笑顔になる。

 水やりが終わって家の中に戻ると、パンが焼けるいい匂いがした。

「お父さん、なにか手伝う?」

「うん、じゃあお皿だして」

 ソーセージを焼くジュウって音が気持ちいい。

 しばらくして、お父さん特製ホットドッグが完成した。

 お父さんと朝ごはんを食べるのなんて久しぶりかも。ちょっとうれしい。

 でも、今日からあのケガレ鬼だらけの学校で生活しなきゃいけないと思うと、なんだかユウウツな気分になってしまい、食べながらため息が出た。

「どうした、何かマズかった?」

「ううん。すごくおいしい!……あのねお父さん。私、今年も美化委員なんだ」

「ああ、これで三年連続だな。汐里は植物が好きだもんね」

「うーん……五年になったら花壇の掃除じゃなくて、池の掃除とかしなきゃいけなくて」

「へえ。まあ、誰かがやらなきゃいけない仕事だもんな」

「誰かがやらなきゃいけない仕事……」

「じゃないとあの池はずっと汚いままだろ? お父さんも去年の運動会の時に見たきりだけど、たしかにあの池はすごかったからなぁ」

 お父さんも汚いって思ってたのか。私が大げさじゃないってわかって、ちょっと安心。

 私とお父さんはご飯を食べ終わると、家を出る支度をした。

 お母さんは私が朝早く起きていることに驚いてたけど、笑って見送ってくれた。


 わだつみ小はどこもかしこもオンボロで、お化け屋敷みたい……なーんて言われていたけど、もしかしてケガレ鬼が見える人がいたんじゃ……。

 そんなことを、あおぞら池からごぼごぼとわいてくる黒いかたまりを見て思う。

 あんなのがいっぱいいる池で、鯉のタイショーは大丈夫なのかな。

 校舎の中もかなりヒドイ。特にトイレの周り!

 トイレの前を通るだけであのイヤなニオイがするくらいだもん。

 そりゃあケガレ鬼がたくさんいて当たり前だよね……。

 私は重い足どりで教室までやってくると、そっと中をのぞいた。

「おはよう。船橋汐里」

「ひぇっ……おはようございます、帆崎くん……」

 窓ぎわに立っている帆崎くんが、こっちも見ずに言った。

 さすが龍……いや、関係あるのかわかんないけど。

 観念して私は帆崎くん以外誰もいない教室に足を踏み入れた。

「顔色が悪いな、船橋汐里」

「そりゃ、学校がこんな状態なの見ちゃったら……てゆーか、フルネームで呼ぶのやめてくれないかな……」

 前から思っていたことを言うと、帆崎くんはきょとんとして首をかしげた。

「そういうものか? じゃあ汐里」

「えー、下の名前……いいけどさ……」

 ちょっとドキッとしたのはここだけの秘密。

「おまえも俺のことは洋治と呼べ」

「えっ、なんで?」

「『帆崎』はこっちで暮らすために名字が必要だからって、姉さんがつけた仮の名前。正直言って、呼ばれ慣れていない」

「へー、そうなんだ。そういうことなら、まあ……洋治くん?」

「よし。行くぞ」

「えっ、行くってどこに!?」

 帆崎くん……じゃない、洋治くんは私の手をつかむと、ずんずん歩き始めてしまった。

 目の前にケガレ鬼がいてもおかまいなし。

「よ、洋治くん、いきなり手を引っ張るのもやめてくれないかなっ。私は、小さい子どもじゃないんだからねっ」

「じゃあどうしたらいい?」

「行くぞって言われたら普通にとなりを歩くよ」

「あれもこれもするなと、人間はめんどうくさい」

「そういう問題なのかな!?」

 たしかに水の国に住んでる龍とこっちの世界じゃ常識が違うのかもしれないけどさ。

 洋治くんは校舎をぬけて、玄関で外靴をはくと「ついてこい」とえらそうに言った。

 しかたなくついていった場所は、やっぱりあおぞら池。

「わだつみ小は水の国とつながりが深いから、ケガレ鬼がすぐこっちに来てしまう」

「うう……ヒドイ……」

 池の周りをおおいつくすんじゃないかってくらいの黒いカタマリ。

 青空が映るキレイな池って意味であおぞら池の名前がついたらしいけど、ケガレ鬼が見えているぶん、昨日掃除する前よりずっとひどいことになっている。

 でも洋治くんは私をここに連れてきて何がしたいんだろう?

「この池はわだつみ小ができる前からあったらしい」

「えっ、そうなんだ」

「美しく景色を反射することから『かがみ池』と呼ばれていた。昔はこの池からも、水の国と行き来ができたらしい」

「へえーっ」

 そういえば階段の踊り場にあるのも鏡だ。

 鏡は別の世界につながってるっておとぎ話や怪談でよく聞くもんね。

「つまりここは水の国と縁が深い。ここをどうにかしないと水の国は……」

「そっか……うん、わかったよ」

 美化委員になったからには、この学校の美化をしなくちゃね!

「でも、どうするの? とりあえず龍になって、ここらのケガレ鬼を全部まとめて、バーッとやっつけちゃう? いっぱいいすぎて、池がよく見えないし」

「おまえ……俺をなんだと思ってるんだ? そんなことできるわけないだろ」

「ええーっ。そんなこと言われても、私、水の国や洋治くんのこと、全然よくわかってないし、しょうがないじゃない……」

「こっちじゃ龍の姿にはなれない。それに、ただケガレ鬼を倒すだけじゃダメだ。ケガレ鬼は『不浄』から生まれるって話をしただろう?」

「……つまり……『不浄』をキレイにすればいいんだよね?」

 そう聞くと、洋治くんは自信満々にうなずいた。

「そうだ。つまり俺たちがやらなきゃいけないこと……それは、『不浄』をテッテー的にキレイにすること! それだけだ」

「じ、地味! もっと戦ったりとかさあ!」

「なんだおまえ、戦いたかったのか?」

「……戦いたくはないけど、ちょっとそういうの憧れるじゃん……」

 もしかして私、小説や漫画の読みすぎなのかな。洋治くんはあきれた顔してる。

「と、とにかく『不浄』をキレイにすればいいんだよね! つまり、池をキレイに……」

 私は言いながら池を見た。

 ケガレ鬼だらけで見えなくなってるくらい、この池は汚くて……。

 こんな場所、ほんとにキレイにできるのかな? 不安になってきた。

 洋治くんはヤル気満々みたいだけど、この池って結構広いし、池の周りもキレイにしなくちゃだし……うう、だんだんヤル気がしぼんでいく。

「洋治くん、二人でこの池の掃除をするのって、ちょっと無茶じゃないかな……」

「……言われてみれば、二人だけだといつまでたっても終わる気がしない」

「だ、だよね!」

「美化委員はこの学校を美しくする者たちだ。まずは先生に池の本格的な掃除を提案しに行こう」

 そう言って洋治くんはケガレ鬼を踏み潰しながら歩いて行ってしまった。

 心配と不安がまざり合って、心臓がバクバクいってるよ……。


「池の掃除? 帆崎くんはずいぶんヤル気満々だな!」

 職員室。美化委員顧問の堀口先生は口を大きく開けて笑った。

「できれば今すぐにでもあの池をキレイにしたいんですけど」

「ええ? そりゃ急だな……」

 堀口先生は困ったように頭をかいている。

 そりゃそうだよね。

 私と洋治くん以外、学校がケガレ鬼の住処になってることなんて知らないんだもん。

「そうだな、明後日の集会で皆に話してみるか。美化強化月間にするーとか言って」

「美化強化月間! いいですね!」

「おっ、なんだ、船橋さんもヤル気あるなあ。船橋さんは去年も美化委員だったもんね」

 もはやそれは関係ないんだけど……。曖昧に笑っておく。

「そうだなあ、じゃあ、野中くんにも声をかけておくか。委員長だし」

「なら俺が行ってきます」

「そうか、よろしくな」

「失礼しました」それだけ言うと洋治くんはさっさと職員室を出て行った。

 早足で歩く洋治くんの後ろを、あわててついて行く。歩くの早すぎっ。

 六年生の教室がある廊下は、普段通る機会がないからちょっと怖い。

 そんな場所でも物怖じせず洋治くんはすたすた歩いて行く。

 私がおどおどしている間に、洋治くんは六年一組の教室の扉を叩いた。

「失礼します。野中さん、もう来てますか」

「あれ、帆崎くんと、汐里ちゃん。どうしたの?」

 ちょうど今学校についたばかりって感じの野中先パイが、びっくりしてこっちを見た。

「次の集会から美化強化月間で、池の掃除をするんですけど」

「え? なに? なんて?」

「洋治くん、順番に説明しなきゃ……!」

「そうか?」

 洋治くんはいまいち分かっていない顔。

 なんというか、洋治くんて、すっごく前のめりだ……。

 水の国があんなことになっているんだから、しかたないかもしれないけど!

「えっと、私たち、あおぞら池をきちんとキレイにしたいと思ってるんです」

「ほほう」

 私はさっき堀口先生と話したことを、順を追って説明した。

「なるほど――いいね!」

 野中先パイはキラキラと顔を輝かせている。

 そういえば野中先パイ、三年生の時からずっと美化委員で、去年の池の掃除も欠かさず出るくらい、美化委員の仕事が好きなんだった。

「あの、でも、金曜の掃除に来たのって私たちだけだったじゃないですか? みんな色々事情はあると思うんですけど……集会で呼びかけたところで、来てくれるのかなぁ」

 そう、これが今、私が一番心配していること。

 本来なら金曜日の掃除は、五年と六年の一組と二組の生徒が八人集まって掃除するはずだった。なのに、集まったのはたったの三人。

 今週の三組と四組の掃除なんて、一人も集まらないんじゃ……。

 すると野中先パイは、ニコニコ笑いながら言った。

「――為せば成る、為さねば成らぬ、何事も。ってね」

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