第2話 美化委員の仕事

『汚れてもいい服を着てきてください』

 金曜日。その言葉通り、私たちはジャージを着て外に出た。

「あっ! 汐里ちゃん、帆崎くん、来てくれたんだね!」

 集合場所である池の側の物置小屋。私たちがついたのは時間ぴったり。

 だというのに、来ているのは野中先パイただ一人。

 野中先パイはテキパキと三人分の道具を物置小屋から取りだして言った。

「あともう五分だけ待ってみようか」

「はい……」

 私、よっぽど不安そうな顔だったみたい。野中先パイがやさしく言った。

 帆崎くんは一言も喋らず、怖い顔で腕を組んで物置小屋の扉によりかかっている。

 五年二組の子も六年二組の子も一向に現れない。

 集合時間が過ぎて、一分、二分、三分――わかっていたけど誰も来ない。

「去年もずっとこんな調子だったなあ」

 野中先パイがのんびりと言った。

「でも、委員会の集まりにはみんな来てましたよね?」

「教室でやる分にはね。でも掃除ってなると……」

 遠くからバタバタと足音が近付いてきた。二組の子? それとも六年生?

 そう思っていたけど、期待は見事にうちくだかれた。

「おまたせ!……あれ、三人だけ?」

「堀口先生」

 美化委員顧問の堀口先生は腰に手を当てて嬉しそうに笑った。

「去年から二人も増えたな、野中くん!」

「ですねー、先生」

 笑ってる場合なの……? そう思っていると帆崎くんが不機嫌な声を上げた。

「他のヤツらは?」

「五年二組の二人は塾と入院しているおじいちゃんの見舞い。六年二組の二人は習い事に家の仕事の手伝いだと」

「僕と同じクラスの佐藤さんは今日はお母さんと出かけるんだって」

「サボりか」

 はっきりバッサリ帆崎くんが言うので、私は変にアワアワとあせった。

 野中先パイも堀口先生も苦笑い。うぅ、一言も喋ってない私の方がいたたまれない。

「まあ、こればっかりはしょうがないよ」

「なんでだよ? どうして怒らない?」

 食い下がる帆崎くんに、先生が肩をすくめた。

「もし休む理由が本当でもウソでも、先生たちには確かめられないからな」

「本当におじいちゃんが入院しててそのお見舞い、って子もいるしね」

「フーン……」

 明らかに不満そうな帆崎くんは、また何もない地面を足でぐりぐり踏み潰した。

「よし! じゃあ三人でやっていこう。五年生二人は初めてだから、やり方を見ながら覚えていってくれ。ゼッタイ二人一組でやること。水は膝より下くらいしか入っていないけど、もし転んだりして溺れたら助けが呼べなくて大変だからな」

 堀口先生はそう言いながら、野中先パイから道具を受け取った。

 虫取り網とバケツ。それに長靴。

 私たちも長靴にはき替えて、先生の横に並んだ。

「池に落ちないように気を付けて。近くにある藻やゴミを片っ端からすくっていくんだ。池の中には魚もいるから網で傷つけないように」

 虫取り網で水面のゴミをすくっていく。私は思わず鼻をおおった。

「うえ……変なニオイ……」

「ハハッ、そのうち慣れる。じゃあ先生と野中くんは反対側に行くから」

 こんなの慣れたくないよー!

 私はへっぴり腰で池のフチ近くの藻をそうっとすくった。

 帆崎くんは私を見て呆れた顔。

「船橋汐里、もうちょっと真面目にやったらどうだ」

「やってるよっ! でも、いくら汚れてもいい服着てきたって言っても、ここの水が跳ねて服や体につくの、ゼッタイに、イヤ!」

 だって、あおぞら池のニオイって、本ッ当にヒドすぎる!

 しいて言うなら……うう、ウンチのニオイが一番近いかも。

「おまえ、ずっとこの学校に通ってたのに、なんで一度も池の掃除に来なかった?」

「へ? だ、だって、私の仕事じゃないし……」

「じゃあこれは誰の仕事なんだ」

「び、美化委員」

「だったらちゃんとやれ」

「うう……だから私、美化委員なんてやりたくなかったのに……」

 私のぼやきを聞いて、帆崎くんがまたギロッとニラんだ。怖い。

「なんでやりたくないんだ?」

「だ、だって……この池って、私が一年の時から汚いしクサいし……」

「理由になってない。俺はここがキレイな方がいいから掃除する」

 帆崎くんはそれだけ言って、腕を伸ばして池の真ん中に浮いているゴミをすくった。

 そりゃあ、どこだってキレイな方がいいに決まってるけどさ。

 それきり帆崎くんは突っかかってくることもなく、もくもくとゴミをすくい続けた。

「想像以上にひどい」

 ゴミや藻でいっぱいになったバケツを見た帆崎くんはそう小さく呟いた。

 たしかに、すくってもすくってもゴミがなくならない。

 やっぱりあおぞら池って、見た目も中身も汚いんだなぁ……。

 ぼんやり見ていると、池の中の鯉、通称『タイショー』がバチャッと跳ねた。

「いやあぁぁっ! 泥ついたっ!」

「洗えばいいだろ」

 帆崎くんは面倒くさそうに言った。そういうモンダイじゃないんだってばー!


 ピピピッ! ピピピッ!

 しばらくして、突然携帯電話のアラームが聞こえてきた。

 びっくりして「うひぃ」とか変な声が出た。誰も聞いてませんよーに……。

「もう四時半か。夢中になっちゃったな」

 先生が額の汗をぬぐいながら言った。

 放課後から池の掃除を続けていれば、さぞ池はキレイになった……なーんてうまい話はなく、池は相変わらず底が見えず汚いまま。

 そもそも、昔から年がら年中汚いあおぞら池が、たった二時間掃除しただけでキレイになるわけない。

 もしそうなら、今ごろ私たちはこんなに苦労していないのだ。

「よし、今日は解散! 三人ともありがとうな!」

 堀口先生の言葉に、おつかれさまでしたと返事して、三人で道具を片付ける。

「汐里ちゃん、今日はありがとう。次も来てくれると嬉しいな」

「うう、はい……」

 私も野中先パイも三年生の時からずっと美化委員をやっているから、なんとなくシンパシーを感じている。そんなこと言われたら断れないよ。

 本当は私、植物が大好きだから美化委員になったのになぁ。

 とにかく今は、早く帰りたかった。

 跳ねて服についた泥からヘンなにおいがする! サイアク!

 堀口先生は「まっすぐ家に帰れよ!」と言って足早に校舎にもどっていった。

 私たち三人も玄関に置きっぱなしのカバンを取りに行く。

「それじゃあ二人共、またね」

「はい、さようなら、野中先パイ」

 急いでいるのか野中先パイも走って帰ってしまった。

 玄関で私と帆崎くんの二人きり。……すっごく気まずい。

「えっと、じゃあ、私たちも帰ろうか?」

 帆崎くんがじろりと私をにらんだ。

 な、なんで!? 今は別に変なこと言ってないよね!?

「俺、教室に忘れ物した。じゃあな」

「えっ!? う、うん。また来週……」

 私が言い終わるより早く、帆崎くんは校舎の中に駆け込んで行った。

 忘れ物って、何を忘れたんだろう……――あっ!

「私も給食のエプロン置きっぱなし!」

 金曜日はエプロンを持って帰って洗濯する日なのに。お母さんに怒られる!

 しかも下校時間過ぎてるから先生にも怒られちゃう。早くしないと。

「……ん? 帆崎くん……?」

 五年生と六年生の教室がある最上階へ向かう途中の階段の踊り場。

 そこには大きな鏡がある。もう何十年も前の生徒が寄贈したんだって。

 その鏡の前で、帆崎くんは自分とにらめっこしていた。

(……な、なにしてるんだろう……)

 後ろを通るのもなんだか気まずい。

 しばらくようすを見守っていると、帆崎くんはおもむろに声を上げた。


「――大綿津見神おおわたつみのかみよ。われを水の国へむかたまえ」


 ……ピチャン…………

 どこからか水音が聞こえる。

 私はびっくりして、変な声を上げそうになった口をとっさに手でおおった。

 水の音はどんどん大きくなっている。

 ……ゴボ……ゴボゴボゴボ……

 怖い。なんなの? この音は……あの鏡みたいなのからしてるの!?

 足がすくんで動けない。ふるえて歯の合わさる音がカチカチ鳴る。

 帆崎くんが、ゆっくりと鏡に向かって行く。

 私はなぜだか、行っちゃだめだと思った。

「ほ、帆崎く――」

 呼び止めようとしたけど、帆崎くんは私の声なんてまるで聞こえていないみたい。

 帆崎くんが鏡に手を当てると、水面に手をつっこんだ時みたいに、鏡がゆれた。

(な、なにあれ、どうなってるの!?)

 鏡の中は、まるで水族館の水槽の中みたい。魚が泳いでいるのが見える。

 なにがなんだかわからなくて、私は階段の影から動けず、なりゆきを見守ることしかできなくて……そんな自分が、なぜだかすごく情けなく思えた。

 帆崎くんが鏡に当てた手は、やがてずぶずぶと飲み込まれていき……。

 ――チャプン……

 ……そんな音と共に、帆崎くんの姿は鏡の向こう側にすっかり消えてしまった。


「う、うそ、帆崎くん」

 ずっと聞こえていた水の音が、帆崎くんがいなくなってからは聞こえなくなった。

 だんだんと私の足も動くようになってきて、慌てて鏡の前まで行ってみる。

 怖くて早く帰りたかったけど、でも帆崎くんのことが心配だった。

 鏡の前に立ってみたけど、映っているのは今にも泣きそうな顔をしている自分の顔と、学校の階段だけ。さっきまで映っていた水の中の風景はもう見えない。

「……えっと……先生に相談? 帆崎くんが鏡の中に消えちゃいましたー、って……」

 ――それって、すっごくばかげてる。

 ゼッタイ誰にも信じてもらえない。私だって信じることなんかできない。

「そ、そうだ、呪文」

 帆崎くんが変な呪文みたいなのを唱えると、鏡に映る風景が変わって、帆崎くんが鏡の向こうに行ってしまったんだもん。

 だったら、私にも同じことができるのかも?

 私はそうっと鏡に手をくっつけた。ひやりとしたガラスの感触。

 心臓がスッと冷たくなるようで、私はふるえながら口を開いた。


「えっと……――大綿津見神よ、我を水の国へ迎え入れ給え……」


 そう唱えた瞬間。

 まわりの空気がひんやりと冷えて、まるで水の中に飛びこんだような気持ちになった。

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