さいさい
よよてば
さいさい
ほおい、ほおい。人の声に似た風が吹いて、彩菜(あやな)はパッと顔をあげた。辺りはもう薄暗くなっている。
「誰もいない山ん中で人の声の聞こえたら、それは人間ばまどわそうとしよるあやかしの仕業やっど」とあやなのばあちゃんがよく言っていた。「そげん時はあやかしに見つかる前に早う山ば下りてしまうんが一番よか」
急に肌寒くなった気がして、あやなはぶるり、と身をふるわせた。風はもうやんでいたが、木々の間にまださっきの声が響いているようで、しんしんと藍色に染まる空気と一緒になって、ねっとりとあやなの耳にからんだ。
(暗くなりきる前に山ば下りてしまわんと)
しいたけが入ったかごを背負う。あやながいたのは、じいちゃんが家の裏山に作ったしいたけのほだ木畑だった。山の中の少しひらけたところにほだ木が身を寄せ合うように集まるその畑には、あやなのてのひらを広げたよりも大きなしいたけが、いくつもいくつも生えていた。それを採るのが、まだくわを持てないあやなの仕事だった。
(家は道下りてすぐそこだ。早う、早う)
はやる気持ちをおさえ、しめった落ち葉で足をすべらせないように、あやなは慎重に道をたどった。ほおい、ほおおい。また強い風が吹き、腹の底がひゃっ、と冷えるような声がした。
(気味が悪か声ばい。こげん声ば出すあやかしなんて会いたくなか!)
思わず両手で耳をふさいだ時、あやなはずるりと落ち葉に足をとられた。あっ、と声をあげる間もなく、あやなは尻もちをついて、そのひょうしに、背負ったかごからしいたけが、ふたつみっつ飛び出した。
あやなはどろだらけになった木綿の着物をぱんぱん、とはたいて、落としたしいたけを拾おうとふりかえった。そこであやなは目をまんまるにした。さっきまで誰もいなかった山の中に、あやなより少し小さな背丈の女の子が立っていて、あやなが落としたしいたけを手に、にこにこと笑っていたのだ。
「よか色のしいたけじゃねえ」
若草色の着物を着た女の子は手のひらでしいたけのかさをいとおしそうにするする撫でた。母が幼子の頭に触れるようなやわらかな仕草にあやなは、ほっ、と見とれたが、女の子の手がしいたけを撫でるたび、しいたけのかさの色が薄くなっていくのを見て、びっくりした。
「なんばしょっとね!」
「彩(いろ)ば採(と)りよっと。彩ば採るけん、おらはさいさいじゃ」
さいさいと名のった女の子はころころと笑って、あやなにえのきたけのように真っ白になったしいたけを返した。かわりに、さいさいのあざやかな若草色の着物が、しいたけのような、こっくりとした秋のこげ茶色に変わっていた。
「さいさいは……あやかしね?」
おそるおそるあやなが問うと、さいさいはにこおっ、と歯をむき出しにしてうなずいた。
「そうばってん、人の言うあやかしとちぃと違う。彩ば貸すけん、彩貸しじゃ。あっちの山のもみじの色は、さいさいが山向こうに落ちるおひさまの色を採ってきて、貸したんじゃ。そっちの川の水しぶきの白は、夏の入道雲の白を採ってきて、貸したんじゃ」
そんなあやかしの話は聞いたことがない、とあやなは思った。しかし、さいさいの人なつっこい笑顔に、こんなあやかしがいてもいいな、とも思った。
「ぬしのしいたけの色はほんなこつよかねえ。おらの着物にぴったりじゃ」
「ばってん、あたしのしいたけは白うなってしもうた」
「心配せんでよか。とびっきりの色ばやるけん」
そう言ってさいさいは手をひらひらと振った。その指先が、いよいよ暗くなってきた空気の中できらり、と光った気がして、あやなは目を細めた。光はどんどん強くなって、あやなが耐えきれずに目を閉じた瞬間、ごおう、と風のかたまりがあやなのすぐそばを通り過ぎた。からだが持って行かれそうなくらい、強くはげしい風だった。
ようやく目を開けた時、そこにさいさいはいなかった。そのかわり、あやなの手の中には春のひざしのようなやわらかな金色のしいたけがあり、山に切り取られた空いっぱいに声がひびきわたった。
ほおい ほおおい
さいさいが さいさいに よか彩ばもろたあ
よかにおいで すべすべの 秋の色ばもろうたあ
声は風に乗って山の間にこだました。あやなはもう気味悪い声だとは思わなかった。
その次の年から、秋になるとほだ木畑に一本、金色のしいたけができるようになった。そのしいたけをきのこ汁にして食べると、あやなは、まぶたの裏におひさまの赤や入道雲の白があざやかにうかび、耳の奥で、ほおいほおい、とさいさいの声が聞こえるような気がした。
さいさい よよてば @yoyoteba
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