ラッパ吹きの休日

増田朋美

ラッパ吹きの休日

大雨が連続して続いてやっと晴れた日が来た。やれやれ、これでやっと夏になるよ、と、杉ちゃんたちは言っていたが、それに引き換え、猛烈な暑さとなりエアコン代がたまらない季節になる。

その日、杉ちゃんと蘭は、買い物に行くため、大型ショッピングモールを訪れた。いつも、人が多くてあふれかえるくらい人が、歩いている場所であるが、節電のためとかそういうことで、車いす用エレベーターが停止したままである。これではすべての人のための、ショッピングモールではないなあ、なんて杉ちゃんたちは文句をいいながら、とりあえず一階の雑貨屋でタオルを買い、近くのお茶屋さんで軽くお茶をして、すぐに帰ることにした。それにしても、車いす用の入り口が正面玄関ではないこともなんだか嫌な作りだった。杉ちゃんたちのような車いす利用者は、正面玄関から入れず、狭い裏口から入るようになっている。

裏口から出ると、小さな広場のようになっている場所があった。よく、子供やお年寄りがそこで寛いだりするのだが、今日は極度に暑いせいか、広場には誰もいなかった。杉ちゃんたちが広場を通りかかると、一人の女性がベンチの前に立っているのが見えた。彼女は、年齢は30代くらいの中背の女性で、着物は夏らしく絽の着物を着ていて、桜柄の半幅帯を変な、文庫結びに締めていた。右手はちゃんと袖を徹しているが、左手が袖を通っていなかった。髪を黒く長く伸ばして、 ちょっと浅黒い感じはあるけどかなりの美人だとおもわれる。杉ちゃんたちが通りかかると彼女は、

「それでは、ラッパ吹きの休日を演奏いたします!」

といって、隣にあったラジカセのスイッチをいれた。そして、手早くメロディオンを方にかけたったまま片手でラッパ吹きの休日のメロディを演奏しはじめた。それがまた見事な演奏で、ちゃんとリズムも整っていて、きちんと演奏になっている。2分半の短い曲ではあるが、しっかり演奏した。杉ちゃんたちは、頭を下げた彼女に拍手を送った。

「なかなか、上手じゃないですか。リズムもしっかりとれてるし、うまくやれてますよ。片腕であっても、音楽やれるんですね。素晴らしいです。」

蘭がにこやかに笑って彼女に挨拶すると、

「ありがとうございます。よろしければ、私のカセットテープを持っていきませんか?」

と彼女は、カセットテープのケースをちらりと見せた。カセットテープには、演奏、田中裕子と書いてある。

「はあ、今どきディスクじゃなくて、カセットテープ?」

と、杉ちゃんがいうと、

「あ、ああ、ただ、録音するための道具がコレしかなかったんです。」

と、彼女は、ラジカセを指さした。

「わかりました。いくら支払えばいいんですか?」

と蘭がいった。カセットテープには、丁寧な手がきでラッパ吹きの休日だけではなく、口笛吹きと犬とか、ニュー・シネマ・パラダイスなどの音楽が書かれている。

「ええ、100円で大丈夫ですよ。」

と、彼女はいった。

「100円は安すぎだと思います。これで、いかがでしょうか?」

蘭は、1000円札を彼女に渡した。

「こ、こんなにたくさん!」

「いえ、僕からの気持ちです。あの、あなたが片腕でかわいそうだからとか、そういうことじゃありません。本当にあなたの演奏技術に感動しただけのことですから、持っていってください。」

「あ、ありがとうございます!本当に感謝します!」

彼女はとても嬉しそうにそのお金を受けとった。

「お前さん、行くところはあるのか?」

蘭に続いて杉ちゃんが言った。

「お前さんは、家族と一緒か?それとも障害年金か何かで、一匹暮し?」

「いえ、家族と一緒ですが、家族みんな仕事でいないので、私は、どこへ行ってもいいことになっているんです。どうせ、家にいてもなにもないし、それならこういう場所で、メロディオンを吹いていたほうがいいです。」

と、裕子さんは答えた。すると杉ちゃんは、

「ほんなら、お前さんの演奏、聞きたいやつがいるところに行ってみない?」

といった。

「そうですね。ぜひそうしてもらいましょう。僕がタクシー呼んできますから、しばらくお待ち下さい。」 

蘭は、スマートフォンを出してタクシーを呼び出した。タクシーは、手早く二人を車にのせて、裕子さんも一緒に後部座席に乗せ、製鉄所へ向かって走り出した。

しばらく走って、富士山エコトピア近くにある、日本的な建物の前でタクシーは止まった。蘭から連絡を受けていた製鉄所の利用者たちは、田中裕子を快くむかえた。そして、カセットプレイヤーを用意して、それでは、ぜひ、ラッパ吹きの休日を吹いてくれといった。誰も、彼女が右手だけでメロディオンを吹いているのに、文句を言う人はいなかった。縁側をステージにして、田中裕子は、もう一度ラッパ吹きの休日をメロディオンで吹いた。本物のラッパ吹きの休日みたいに迫力がある演奏というわけじゃないけど、リズムもちゃんと整っていて、しっかりした演奏になっている。俗称では、ラッパ吹きの休日どころか、ラッパ吹きの過労などと呼ばれているところもある曲だが、たしかにメロディオンでも吹けないわけではない。

演奏が終わると、利用者たちは、拍手をした。田中裕子は、どうもありがとうございます、と言って、頭を下げた。

「本物のラッパで吹くと大変むずかしいと言われる曲だけど、メロディオンでも面白くなるんだな。これからも頑張って、演奏を聞かせてやってくれよ。」

杉ちゃんに言われて、裕子は、

「本当に今日は、こんなところで演奏させて頂いてありがとうございました。」

と、再度頭を下げた。

「いやあ、いいんですよ。それよりさ、そのメロディオンでラッパ吹きの休日を吹くなんてどこで思いついたの?」

利用者の一人が、裕子に尋ねると、

「事故で、左手をなくしてから、ずっと音楽をやりたいと思っていましたが、メロディオンであれば、片腕をなくしても、弾けるということに気が付きまして、それからずっと吹いています。」

と、裕子は答えた。

「左手をなくしたのは、どんな事故だったんですか?」

別の利用者がまた聞いた。

「ええ。横断歩道を渡ろうとしていたら、信号無視のダンプカーにはねられました。その時は、音楽学校に入学したばかりで、これから、頑張ろうっていう時期だったので、学校も退学しなければならず、もう自殺したいって思ったこともあったんですけど、でも、そのときに、子供のときに使っていたメロディオンであれば、片手でもふけるんだって気がついて、じゃあ、これで、また頑張ろうと思ったんです。」

裕子がそう答えると、

「すごいですねえ、かっこいいです。そうやって、体が不自由であっても、音楽をやりたいって、パラリンピックの選手みたいじゃないですか。ぜひ、これからも、音楽活動してくださいよ。なんか、ショッピングモールでストリートライブやって、カセットテープを売るだけじゃ、もったいないですねえ。」

利用者たちは、そういい始めた。

「そうですね。なにか他の手段で、演奏を届けることだってできるんじゃないかな。例えば、動画サイトに、投稿してみるのはどう?もし、可能であれば、私が手伝ってもいいわよ。あたし、こう見えてもカメラサークルにいたこともあるし、撮影なら自信があるわよ。」

別の利用者がそういった。それと同時に、弱々しい声で、

「何がかっこいいんですか。」

と、げっそりとやせ細った水穂さんが、彼女たちに言った。

「あら、水穂さん、起きてきちゃだめじゃないの。お医者さんに、寝てなくちゃだめって言われたじゃない。」

先程の利用者がそう言うと、

「いえ、どうしても放置してはおけませんから。よほど優れた演奏技術でも無い限り、動画として投稿するのは辞めたほうがいい。そのほうが、よほど安全だと思います。」

水穂さんは、弱々しいが、警告するように言った。

「古い話しないでくださいよ。今は、素人だって、自作の歌を動画サイトに投稿して、披露している時代なのよ。安全とか、そういうことよりも、彼女の演奏をよりたくさんの人に知ってもらって、他の片腕の人達に勇気づけになるんじゃありませんか?」

と、はじめの利用者が言った。水穂さんは彼女をきっと睨みつけ、

「いえ、絶対そういうことはありません。身分の高くない人間が、身分の高い人の真似をしたら、大損をするだけのことです。」

と言った。

「水穂さんは、そういう過去があるから、そういう事言うのよ。まあ、こんな事言うと失礼かもしれないけどさ、少なくとも、裕子さんは、水穂さんのようなつらい過去を持って居るような人じゃないんですし。それでは、才能を発揮させてあげるほうが彼女のためになるんじゃありませんか?あたしたちは、それをしてあげることが、彼女の手伝いだと思うんですけど?」

カメラサークルに所属している利用者が、そういうことを言った。

「いえ、それはお手伝いではありません。かえって彼女の生活の妨げです。才能は、人に見せびらかすものではなく、生活のために使うものです。」

「水穂さんは、本当に硬いんですね、、、。」

別の利用者がそういった。

「硬いとか、そういう問題じゃありません。ただ、心配しているんです。挑戦するのはいいのかもしれないですけど、それに失敗して、一番大事なものを落としたら、」

そう言いかけて、水穂さんは、また咳き込んでしまったのであった。それを見た杉ちゃんが、

「もういい。お前さんの説得は、効果ない。それなら体験して身につけさせるんだな。お前さんは、早く寝ろ。」

と、呆れた顔して言うので、水穂さんは利用者に肩を貸してもらいながら、四畳半へ戻っていった。他の利用者たちは、早くも、田中裕子のラッパ吹きの休日を録画する方法を話し合っている。利用者たちも、自分で意識しているのかは知らないが、仕事をしようと思ってもできなかった人たちでもあるので、他人がそういうことをしようとすると、全力で応援したくなってしまうのだろう。

話はどんどん進み、田中裕子のラッパ吹きの休日を、メロディオンで演奏する動画はすぐに完成した。こういうスマートフォンのアプリで、誰でも簡単に動画が作れてしまうのだ。というか、何でもボタン一つでできてしまって、そういうことでないと、楽しくないという時代の事情もあったのかもしれない。そして利用者たちは、パソコンを通して、演奏動画を動画サイトに投稿してしまった。投稿するのも至って簡単だ。水穂さんがいくら止めても仕方なかった。

それから数日後のことである。田中裕子のスマートフォンに、こんなメールが届いた。それは、富士市内で音楽サークルを運営している女性、香西とも子という女性からだった。

「あなたの演奏を、動画サイトで拝見いたしました。うちのサークルで定例会があるのですが、そこでぜひ演奏してください。」

という内容である。裕子は、どこでサークルが行われるのかとメールしてみると、富士市の交流プラザだという。ちなみに裕子は車にも自転車にも乗れなかった。片腕がないと言うことで、免許を取ることができなかったのだ。でも交流プラザは、裕子の自宅近くのバス停から走っているバスに乗れば、30分くらいで行ける距離であった。こういうときにバスが有るのはいいことだと裕子は思った。いけますとメールを打つと、今度の日曜日の一時半に、交流プラザに来てくださいと、帰ってきた。裕子は、バスの本数を調べると、一時間に二本ほど走っているという。バスに乗って30分走れば、サークルの開始時間の15分前にはつける計算だった。裕子は、よろしくおねがいしますとメールを打った。電話番号は送信しなかったが、メールさえあれば大丈夫だと思った。

そしてその当日。彼女は、家の近くにあるバス停に行った。そこでバスを待っていたが、10分してもバスが来ない。バスの運行情報を調べてみると、近くの停留所で交通事故があり、バスが大幅に遅れているという。彼女は、遅れてますが必ず行きますと香西さんにメールを送った。バスは、15分以上遅れて、そこへやってきた。急いでそれに飛び乗って、今乗りましたとメールを送った。返事は来なかったが、とにかく急いでバスが動いてくれることを祈願した。しかし、バスを降りるためにお金を両替したりして、降りるのに手間のかかる乗客も多く、定刻通りに到着することはなかった。そして、交流プラザに到着したときは、もう二時を過ぎてしまった。

裕子は荷物を引きずりながら、交流プラザの中に飛び込んで、音楽室へ直行した。そして、重い扉を思いっきりノックした。

「すみません。田中裕子です!遅刻してすみません!」

と、一生懸命訴えるとやっと、扉が開いた。中から、一人の女性が出てきて、

「ああ、大変だったわね。もう時間が無いから演奏はしなくて結構よ。」

と、冷たく言ってドアを閉めてしまった。裕子は、あの、と言おうと思ったが、それ以上ドアが開くことはなかった。中では、ピアノの演奏が行われているらしいが、皆、見事な演奏技術を持っている人たちであった。皆両手があって、それを生かしてピアノを弾いているのだろう。でも、自分には、片手しかない。それは、もう誰にも追いつけない。やっぱり自分には音楽というものは無理なんだ。裕子は、トボトボとバス停に戻り、またバスに乗って家に帰った。

ところが、そのバスは自宅方面に行くバスではなかったらしい。そのバスは、自宅を通り過ぎて、富士山エコトピアの方へ行ってしまうバスだった。もう、どうでもいいやと思っていたが、どこかで降りなければならないので、富士山エコトピアのバス停で降りた。そしてつらい思いをしながら、道路をフラフラと歩いていると、なぜか、製鉄所に着いてしまった。裕子は、水穂さんに言われたセリフを思い出したので、中に入るのはためらわれたが、先日声をかけてくれた利用者が、彼女に気が付き、中に入って、と、言ったので、彼女は中に入った。利用者たちは、彼女が成功したと思って居るのだろうが、彼女はどんよりとしていたので、それ以上何も聞かなかった。彼女は、フラフラと、長い廊下を歩いていくと、中庭に出てしまった。もうどうでも良くなって、彼女はわっと泣き出した。利用者たちが、心配そうにそれを眺めていた。

ふと、顔をあげると、目の前に焼き芋があった。焼き芋を持っていた手をたどると、水穂さんが焼き芋を差し出して居るのだった。

「よかったじゃないですか。」

水穂さんは、小さな声で、そう言って、彼女の隣に正座で座った。

「良かったって、何も無いですよ。」

裕子は涙を拭くのも忘れて、そう言うと、

「いえ、偉い人たちの集まりに参加しても馬鹿にされたりするだけで、何も収穫は無いことはわかっていましたから、門前払いになって良かったんですよ。」

と、水穂さんは優しく言った。

「なんで、そんなに良かったんですか。私は、やっぱり片手が無いことで、結局帰ってくるしかできなかったんですよ。それがどうして良かったことになるんでしょう?」

裕子が、ちょっと怒りを込めてそう言うと、

「いえ、あなたは、そういう世界には適さなかったんですよ。あなたには、もっと重大な使命があったから、そういう世界にはいらないで帰ってこれたんです。そう考えれば辻褄が合うんじゃないでしょうか?」

水穂さんが言った。

「何を言っているんです。私、馬鹿にされたんですよ。それしか演奏技術がなかったんでしょうか。皆さんもあんなに応援してくれたのに。私、それを裏切るようなことしかできなくて、申し訳ないです。」

裕子はすぐ反論したが、水穂さんは、首を横に振った。

「でも、馬鹿にする人たちは、きっと馬鹿にされている人たちによって自分たちがなりなっていることはどんなに努力しても気付け無いでしょうね。できない人たちがいて、初めて出来る人が生きるのに、そういうことには、偉い人というのは、絶対気が付かないんです。どんなに、僕達が怒っても嘆いても、通じることは無いでしょうね。だから、それに気がつくことができて良かったんですよ。」

「そんなこと言わないでください。そんな事言われても、私が馬鹿にされて悔しい気持ちは、どうなるんですか。馬鹿にされている人たちは、ずっとそれを背負いながら生きていくっていうことですか?それでは、あまりに不条理と言うか、納得できませんよ。」

裕子が若い人らしくそういうことを言った。

「ええ、結局の所誰も、結論づけてくれることはできないでしょう。あなたが、もういいって自分で不条理に別れを告げるしか無いでしょうね。生きてると、どうしてこうなるのってことは数え切れないほどあるんですけど、それに、対処も、対抗もできないのが人間なんですよ。」

「でも、出来る人はそういうことも乗り越えてしまいますよね?」

裕子は、改めて、水穂さんにそう言うと、

「いいえ、乗り越えるという表現は当てはまりません。実際には、偉い人たちというのは、何も苦労していないで、偶然の幸運で偉くなった人がほとんどなので、負けたときの対処なんて何も知らないんですよね。そのとおり、そういうことに同対処するかなんて、誰も教えてはくれないじゃないですか。だから、偉い人というのは実際には何もしてないんですよ。逆に、人生経験豊富な人のほうが、意外に低い立場に立たされる方が多いんです。そして大事なことは、出来る人はできなかった人のおかげで生かされていることを知らないということです。」

水穂さんは、弱いながらもそう言ってくれた。

「それよりも、これからどうやって生きていくのかを考えなくちゃ。夢を持つということは幸せではありません。夢を持つのは、現世に満足していないからですよ。それよりも、毎日をどうやって生き継いで行くかを考えるのが先決です。偉い人たちは、そんな事これっぽっちも知りませんよね。もし、そういう人が、助けを求めてきても、冷たい態度で応じればいい。そういう気持ちで、強く生き抜いてください。」

裕子は、水穂さんに言われて決断した。

次の日。あのメロディオンで、アンダーソンのラッパ吹きの休日を演奏したという動画は削除されていた。しかし、ある人は、それ以前に、ダウンロードしてその演奏を保存していたため、聞くことができた。


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ラッパ吹きの休日 増田朋美 @masubuchi4996

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