第6話

「なぁ、名前聞いていいか」


少し前を歩く大きな背中に向かって話しかけた。


「あっ、そうだった。まだ名前言ってなかったね。俺の名前は”向井 裕太むかい ゆうた”だよ。気軽にユウタって読んで」


(なんだよこいつ、めっちゃ印象良いじゃん。イケメンで愛想がいいとか神様の配分の仕方は一体どうなっているんだよ」


「あぁ、よろしくな”ムカイ”」


 しばらく歩いた後、いかにもここでセーブしておいた方がいい感じの門の前に俺の隣の席の少女が見えた。彼女は学校の前の道を渡るために車が来ていないかを確認していて、俺達には気づいていないようだった。


 まだ4月だというのに湿度が高すぎる教室に入った俺の前には異様な光景が広がっていた。教卓に立つ男子生徒が話しかける座席にはクラスの男子がまばらに座っていて、静かな教室の中のどこを見ても女子の姿は見えなかった。教室の中にいる人間が一瞬にしてこちらに敵意を向けるようにこちらを見た。


「真翔君、この前窓ガラス割った人が誰か覚えてる」


異様な空間の中で一番偉そうな人間が話しかけてきた。


(いったいどう答えたらいいんだ。こんな空で少しでも間違った答えを出してしまったらまずいな、ここは一旦無難な答えをしとくか)


「いや、わからない」


どのくらいの時間だったのだろう、5秒だったのかそれとも5時間だったのか、次の言葉が聞こえるまでとても長い時間がたったように感じた。


「こいつらの言ってる通りの返事が返ってきたってことは割ったのはおまえだな」


「なぁ、俺らはもう帰っていいか」


後ろから聞こえる向井の声をかき消しながら座っている生徒が俺をにらみながら帰宅の合図を待っている。


「いいぞ」


 教卓に立ってる奴が偉そうに許可を出すと教室の中の人たちが次々と立ち上がり、一人ずつ湿った空気を換気していった。あの返事は最悪な返事だったと気づいた。


「おい、翔太しょうた!まだ決まったわけじゃないだろ。なんで誤解を生むようなことをしたんだよ」


「じゃあ裕太は100%こいつじゃないって言うのか」


「それは…」


「ほら無理じゃん」


翔太という人物が見下ろしながら質問をしてきた。


「窓ガラス割ったのって君なんでしょ」


(きっと彼はぶつけどころのない怒りをどこかにぶつけたいだけだ。きっと彼は自分の関わる人たちにただ嫌な思いをさせたくないだけだ。きっとそうなんだろう、ならばここで出すべき答えは一つしかない)


「うん、俺が割った」


「なんであの時、嘘ついたんだよ」


(こいつの怒りを発散させる受け答えはどうしたらいいだろうか、弱弱しい感じで受け答えをしたら少しは落ち着いてくれるだろうか


「…実はこのまま言わなければばれないと思ってたんだよ。そしたらこんな風になって、出てきたって感じだよ」


「お前人にけがさせてそれで謝罪もなしに黙ってるなんてなんも感じなかったわけ」


「……」


「なんか言えよ」


(なんかだんだん声量大きくなってないか、俺の反応の仕方で何か違えたか、ひとまずそのまま続けるか)


「悪気はあったけど怖くて言い出せなかった」


「お前ほんとにウザイな、これから覚えとけよ」


 そう言い残すと翔太は鞄をもって教室を後にした。早すぎる梅雨に一言も喋ることができずに、教室の中二人しばらく立っていた。


「ごめん、こうなるはずじゃなかったんだ。」


静寂を破る向井 裕太の声が教室に染み渡った。


「じゃあどうなるはずだったんだよ」


「君をここに連れてきて全員の誤解を解くつもりだったんだ。そして誤解を生まずに何事もなくこの件を終わらせたかったんだ」


「そうか、じゃあ残念だったな。この件の犯人は俺になったんだよ」


「本当に申し訳ない」


 灰色の空の下、家に着く。玄関に見覚えのない靴を一組見つけた。自分の靴を下駄箱の端に寄せていると後ろの扉の開く音が聞こえた。予想はついていたが改めてその扉の方を確認したら妹が立っていた。妹は目が合うとすぐに心配そうな顔をして問いかけてきた。


「大丈夫、なんかあった」


「そうなんだよ、金曜日になぜか出費が多くて今金欠なんだよ。おかげで今週末発売の新作ゲームが買えなくなっちまったんだよ」


「そう…それならしょうがないね。今友達来てるから帰るまで部屋の中に居てね」


「お、おう」


 ベランダに出る窓ガラスは半透明に染まっていた。

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