バドミントン

 三年生になって、自分の将来を見なければいけないのに僕は未だにつばめの死を背負っていた。携帯を眺めると流れてきたバトミントン部の達成感に満ち、清々しさが溢れる写真。新人戦では逃した県大会の切符を夏の大会で十六年ぶりに掴み取ったらしい。


“自分は何をしているのだろうか”

“彼らは冬から夏に向けて頑張っていたのに僕は去年の夏から一向に前を向こうとしていない”


 自分が惨めで情けなくて嫌になってきた。


“なにかやらないと”


 その時、目に留まった。つばめの葬式の後、彼女の家でもらった彼女からの手紙。未だに読んでいなかった。慎重に封を開け、中にあった三枚の紙を取り出した。


『ごめん、こんな形のお別れのメッセージになちゃって。何書けば最期の言葉として正解なのかわからないね。まずは、私を好きになってくれてありがとう。あと、ごめんね。一緒に花火大会にいけなくて。君と花火見たかったなぁ。

 私は本当に馬鹿だった。君と一緒にいたいがために勝手に副部長にして、結果的に君と大きな隔たりを生んじゃってた。それで…………』


 手紙が進むごとに手紙に水玉のデコレーションが重なり合う。サラサラとして甘く、決して紙は破かない水が手紙と一体になる。

 何故だろう、前を向きたいのに戻りたい。彼女がいたあの世界にもう一度戻りたい。どうにか戻りたい。現実を受け入れてもなお戻りたい。不可能であっても戻りたい。

 一年生で経験したあの苦しさとはほど遠い。でも、あの苦しさなど風の前の塵に等しいと思えるほど辛く苦しい。



 絶対、つばめを蘇らせる。



 七月上旬、僕は映画制作部の元部員たちに連絡をした。


『つばめの映画を作りたいです。土曜の午前十時に学校に来てください』


 急な連絡に困惑した者も多かったと思う。それでも約三十人ほどの元部員が集まってくれた。もちろん、湊や美波、茜も集まってくれていた。


「みなさん、集まっていただきありがとうございます。少しばかり僕の思いを聞いていただけないでしょうか」


 去年の秋のような失態は犯すまいと懸命に自分の思いを彼らに伝えた。もう、絶対的指導者のつばめはもういない。この三十人を自分の力でしっかりとまとめる。過去の自分との訣別としてつばめを銀幕の中で蘇らせる。それでも僕はつばめにこの先も囚われ続けるのだろう。もしそうだとしても、つばめの映画を完成させることができたら、自分の中の自分が変われるような気がする。

 ただただ自分のためだけに三十人もの人に迷惑をかける。他から見れば、自己中心的な行動だと言われても仕方がない。しかし、この場に集まった彼らもつばめに囚われているのなら何も問題はない。

 七月中旬、僕と僕の思いに賛同してくれた三十四人、それに加え、つばめのご両親、二名の学校の教師と共につばめの映画の制作を始めた。


題名:夭逝した玄鳥

監督:高尾 大輔

制作:峰鷹高校 映画制作部

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