第3話 ことの成り行き

 唐突に異世界に転移して魔王討伐の使命を負わされ、使命を達成したにも関わらず元の世界に戻れず途方に暮れていたら、ずっと片思いしていた相手と実は両想いだった事が判明して、二人で元の世界の青春を実現できるか試す運びになった──これまでの話を一行でまとめるとこうなってしまうのだが、この流れについてもう少し詳しく話しておこうと思う。

 始まりは、の六月末の朝だった。

 俺はユウナ──いや、真城結菜に片思いをしていて、彼女と朝の通学バスで遭遇する事を目的に、いつもより早起きをして学校へと向かった。

 狙いは違わず、バスに乗ると彼女が既に乗っていて、俺は心の中でガッツポーズしたものだ(ストーカーちっくだとかは言わないように。恋する男子と言ってくれ)。

 バスに乗ると、真城結菜もこちらに気付いて、にこりと笑って慎ましく頭を下げてくれた。俺も同じ様に、鼻の下を伸ばして挨拶を返したのを覚えている。

 今にして思うと、彼女が他の男子にこういった挨拶じみた事を自分からしていた例は少ない。もしかするとこれが彼女の言う『アピール』だったのかもしれないが、鈍感だった俺は、ただちょくちょく喋る同じクラス・委員会の男子がバスで同乗したから挨拶をしてくれた、くらいにしか思っていなかった。実に残念男子である(それでもめちゃくちゃ喜んでいたのだけれど)。

 それから間もなくしてバスが動き始めたので、また降りた時にでも彼女に改めて挨拶をしよう──そんな事を考えながらつり革を掴んだ時、異変は起こった。

 実際に何が起こったのかは俺にはわからない。ただ、けたたましいブレーキ音と大きな衝撃音が聞こえてきたかと思えば、その直後に視界がぐらりと揺れて身体が吹っ飛ばされていたのだ。それは真城結菜も同じだった。狭いバスの車内で無造作に振り回されながら、『あ、これはヤバいやつだ』と感じたのをよく覚えている。

 時間にしてみれば一瞬だったと思うのだが、意識だけは鮮明で視界はやたらとスローモーションになっていて、宙に浮きながらも周囲を確認する余裕があった。きっと、脳が生命の危機を察知して通常の何倍もの速度で働いていたのだろうと思う。

 俺はスローモーションで人が車内を飛び交うのを確認しながらも、慌てて想い人を探した。そんな状況になっても彼女が心配だったのだ。

 真城結菜も俺と同じく宙に浮きながらも不安げにこちらを見ていて、そんな彼女と目が合った。

 その瞬間、俺は強く願ったのである。この人だけは助けたい、と。

 すると、次の瞬間に視界が真っ白になっていて──俺の意識は途絶えていた。

 意識が戻ったのは、「おお……!」という感嘆する声が聞こえて来た時だった。

 ぼやけていた視界がもとに戻ってくると、魔導師みたいなローブを着た男達や王様といった、RPGゲームの様な風貌の人達が騒然としていたのだ。

 周囲はレンガ調の石の壁。それこそ中世風のアトラクションか、テレビで見たヨーロッパの古城みたいな室内。間違ってもバスの中ではなかった。

 下を見ると蛍光塗料を塗られて作られたかのような幾何学模様と祭壇があり、ファンタジーもののアニメや漫画で見た事があるような魔方陣が描いてあった。

 そこで、隣から『瓜生くん……⁉』とよく知る声が聞こえて来たのである。驚いて声が聞こえた方を見ると──俺と同じ様に祭壇の上にちょこんと座っている制服姿の真城結菜の姿があったのだ。

 それから俺達は、召喚士や王族風の男──後にプラルメス聖王国の法王・パウロ三世であると自己紹介を受ける──から事情を説明された。

 この世界は魔王軍の前に危機に瀕しているという事。〝勇者〟と〝聖女〟には世界を救う力があるという事。そして俺と真城結菜は〝勇者〟と〝聖女〟として異世界(俺達の世界)から召喚され、世界を救う責務があるという事。

 そこで俺は、諸々の事情を察した。

 異世界転移──よくアニメや漫画とかで見るシチュエーションが、俺達に起こったのだ。

 この世界の連中は救世主を欲し、何十年かに一度だけ異世界から英雄を呼び出せる召喚の儀式を行った。その結果、〝勇者〟として召喚されたのが俺こと瓜生映司うりゅうえいじ、そして〝聖女〟として召喚されたのが真城結菜ましろゆうなだったのである。

 もちろん、俺とユウナもすぐに状況を受け入れたわけではない。俺達はただの学生で英雄でも何でもない、魔王と戦うなんて無理だ、さっさと帰してくれと訴えた。

 だが、その訴えは認めてもらえなかった。この魔法陣から召喚されたという事は〝勇者〟と〝聖女〟である証である、そうであるならば力はあるはずだ、の一点張り。

 実際に〝勇者〟しか持てぬはずの聖剣バルムンクは俺を受け入れていたし、〝聖女〟しか受け付けないはずの聖衣もユウナを受け入れていた。これこそが、俺達が召喚されし英雄である事を証明していたのだ。

 そして、この召喚魔法は責務を果たせば元の世界に帰れる、それしか元の世界に戻る方法はない、と召喚士は言ったのである。

 元の世界に戻るには〝勇者〟と〝聖女〟の責務を果たすしかない──即ち、魔王を討伐するしかなかったのだ。

 それから二年間……世界の命運やら魔王を倒す責務やらを唐突に背負わされた俺とユウナは、元の世界に戻る為、こちらの世界の新しい仲間とわけもわからないまま必死で戦った。

 元の世界で両片思いだった俺達が、二年間も共に過ごしてどうして何も起こらなかったのか、と疑問に思うかもしれない。

 ただ、俺達は……本当に、恋愛にうつつを抜かしている余裕などなかったのだ。

 確かに、救世主として召喚されただけの事はあって、俺達に〝勇者〟や〝聖女〟としての適格があったのは事実だ。ゲームみたいな魔法や技はすぐに使えるようになったし、全く戦えないという事はなかった。

 だが、〝勇者〟や〝聖女〟としての適格があったからといって、アニメや漫画の様な無敵チートができるとかそういった事もなかった。何度も死にそうな思いをしたし、強敵の前に何度も死を覚悟したのは事実だ。

 それに、英雄だかの適格があると言われたところで、それまでただの高校生として生きて来た十五~六歳の男女が、いきなり異界の魔物や亜人、或いは魔王に魂を売った人間と命のやり取りを強いられたのである。まともな精神状態でいられるはずなどない。

 最初の頃はろくに眠れなかった。目覚めたら夢であってくれ、自分の家のベッドで目覚めてくれと祈って眠りについていたが、その願いが叶う事もなかった。

 ただただ生き残る事、そしてユウナを死なせない事で必死だった。それ以外の余裕など、一切なかったのである。

 それはユウナも同じだったと思う。最初の頃は、よく泣いていた。だから、俺は自分に言い聞かせる意味も込めて、『俺が絶対に連れて帰る。約束する。だから頑張ろう』と彼女に言ったものだ。

 俺達はこの異世界に来てから、元の世界に戻る為、そして死なない為に、ただがむしゃらにこの理不尽な使命と戦った。

 それは、俺がアニメや漫画で見て来た楽しいファンタジー世界の大冒険とは随分と違っていた。楽しめた事など、一切ない。

 ユウナを好きだと言う感情は残っていたが、彼女とどうこうなるよりも彼女を死なせない為にはどうすべきかをずっと考えて動いていた。それだけ、切羽詰まった状況だったのである。

 先程彼女の困り顔が懐かしいと感じたのは、そういった経緯がある。魔王討伐を果たして初めて精神に余裕を持てたからこそ、俺もユウナも二年前の様なやり取りができたのだろう。

 だが──魔王の討伐を果たしたというのに、俺達が元の世界に戻る事はなかった。

 英雄召喚の儀式を実施した召喚師は『通常なら役目を終えればもとの世界に帰れるはずだ』と言っていたが、俺達は戻れなかったのだ。

 原因はわからなかった。もしかしたら事故に遭っている真っ最中に召喚されたのが影響しているのかもしれない。そもそも何十年に一回しか起こせない儀式ならば、あの召喚士も初めての経験で何か失敗したのかもしれないし、使命を果たせば帰れるというのは俺達を戦わせる為に吐いた嘘だったのかもしれない。

 結局のところそれらは推測でしかないし、俺達にどうこうする手立ては何もなかった。

 そして先程、異世界から召喚された〝勇者〟と〝聖女〟は、魔王討伐という役目を終えても本来あるべき場所に帰れず、世界を救った救世主という名誉ある称号と多額の報奨金だけが贈られた。

 まあ、言うならば一生遊べるだけの褒美だけ与えて、お役御免とばかりに城からほっぽり出されたのである。

 先程見送っていた戦士の男と魔導師の女は、俺達がこの世界で共に戦った仲間だ。冒険の最中で結ばれた二人は、これから故郷に戻って挙式するのだという。俺達の気も知らず、めでたい事である。

 そしてこの異世界に取り残された俺達は互いに気持ちを伝え合い、元の世界で経験できるはずだった青春をこの異世界の中で取り戻そう──そんな目標を打ち立てたのである。


「それで、ユウナ」

「なあに?」

「青春を取り戻すって……具体的に、何をやるつもりなんだ?」


 俺の至極当然な質問に、ユウナが「うーん」と暫く顎に手を当てて悩まし気な顔をして考え込んでいた。

 そして──


「それも一緒に考えよ? ……みたいな?」


 発案者のユウナさん、完全にノープランだった。

 まあ、きっと『元の世界に帰れない』という現実を受け入れる為に打ち出した目標みたいなものだから、ノープランでも仕方ないのかもしれないのだけれど。


「あ、でも一つだけ思いついた事ならあるよ?」

「おっ。あるならそれからやっていこう。他に案もないしな」


 そもそも、異世界でできる青春ってどんなものだろうか。

 全く想像ができないので、まずはユウナの考える青春を知る必要があった。これが後々の指針にもなるだろう。


「じゃあ、まずは両替店にいこっか」

「両替店? 何で?」


 ユウナの提案に、俺は怪訝に首を傾げる。

 両替店とは、金貨や銀貨、銅貨を両替してくれる店だ。無論、それ以外にも品物をお金に交換してくれたり、物を預けたりそれを担保にお金を貸したりしてくれる場所でもある。

 元の世界で言う銀行みたいなものだろうか。そういえば江戸時代でも似たような業務を両替屋がやっていたらしく、銀行の大元になったと聞いた事がある。異世界でも両替店はそういった立ち位置なのかもしれない。


「私達が預けている〝ある物〟が必要なの」

「私達っていうと……俺も?」

「うん。一緒に預けたから、エイジくんのもあると思うよ?」

「マジか。全然想像つかないんだけど」


 両替店には確かに色々アイテムを預けさせてもらっているが、彼女の言う〝ある物〟が何を指しているのかさっぱりわからない。


「ふふっ、行けばわかるよ」


 その悪戯げな笑みに、どこか嫌な予感がしなくもない。一体何をするつもりなのだろうか。

 まあ、特に予定もないし急ぎの用事もないから、全然両替店に行くのは構わないんだけど。


「ほら、早く行こ? 善は急げだよっ」


 相変わらず楽しそうな笑顔のままそう言うと、ユウナは軽い足取りで町の中を歩いていく。

 ユウナが何を考えているのかはわからないけれど、きっとこれが俺達の異世界青春取り戻しスローライフの第一歩。

 どうせ戻れないなら、彼女と一緒に存分にこの世界を楽しんでやるのも良いのかもしれない──俺はそんな事を考えながら、ユウナの隣に並んだのだった。

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