第1話 蛟龍〜水の拳〜 第九節

 話は前日の夜に遡る。


 京都府福知山市の南西部に位置する三岳山みたけさんの山中を、一人の男性を背負った大男がやぶを掻き分け進んでいた。


竜馬りょうま、しっかりせぇ、もうすぐ病院に着くで」


 豊かな髪量の蓬髪ほうはつが特徴的なその大男は、筋骨隆々とした体格にフライトジャケットとジーパンを身に着けている。その巨大な背に背負ったもう一人の男は傷を負っているらしく、その衣服は血に染まり、大男のフライトジャケットを赤く濡らしていた。


「すまない、あきら

「気にせんでもええ、意識を失わんようにだけ集中しとれ」


 大男……御槌彬みづちあきらは、その背に背負った男、御槌竜馬を励ましながら、麓へと急いでいた。

 山を下りたらすぐに救急車を呼ぶつもりだ。


 竜馬を背負い藪漕やぶこぎをしながら進んでいる彬だったが、その顔には汗一つ無い。

 ただ、竜馬の体力が保つかだけが心配だった。


 そもそも、何故竜馬がそんな重い怪我を負う羽目になったのか、それは大阪にある関西空手道協会ビルの所有権に関する土地問題に、地元の暴力団が絡んで来ていた事が原因であった。


 その土地の所有者であり、ビルのオーナーである扶桑利光ふそうとしみつ氏の死去と同時に、地元の暴力団、安田会が過去の貸借金の証文を掲げて協会ビルと土地の差し押さえを迫ったのだ。


 だが、利光氏の息子で、協会理事長でもある光徳みつのり氏が、戦後間もない混乱期であった為に証文は簡易的な物ではあったが、父は約束を守り借金は全額支払っているとして、それを拒否したのだが、利充氏の側に証文の控えや貸借取引の書類が無いのを良い事に、安田会は殺し屋集団を雇い光徳氏を手に掛けようとしたのだった。


 それを竜馬が庇い、殺し屋の手によって深手を負わされてしまった。

 そして難を逃れた光徳氏は地元警察へ駆け込み、光徳氏を仕留め損なった殺し屋とその一味達はもう一人事情を知る竜馬を追って来たのだ。


 その時に竜馬も警察署へ向かおうと考えたのだが、殺し屋達が進路に先回りして妨害を始めた為にそれを躱していくのが精一杯だった。


 竜馬を襲った殺し屋は短剣の使い手で、協会ビルから出て来た光徳氏の命を狙って短剣を投げ付けて来たのだが、それを咄嗟に庇った竜馬が背に短剣を受けてしまった。


「御槌君!!」

 竜馬は深手を負いつつ光徳氏に、

「私は大丈夫です、理事長は警察へ……!」

 と言い、その言葉に頷いた光徳氏は他の門下生に護られながら協会ビルの中に入り、裏口から警察署へと急いだ。


 光徳氏が入った直後ドアに鍵を掛けられ、入れなくなった殺し屋は、しゃがみ込んで呻いている竜馬の止めを刺しに近付いて来たが、竜馬は車に乗り込み現場を走り去った。


 そしてその後を殺し屋集団の車が追い、それを彬が追ったのだった。

 つまり彬は殺し屋の車を何台も追い越し、竜馬の車に追い付いた事になる。凄い脚力である。


 これが彬一人ならば殺し屋全員を相手にしてもどうにかなるとは思うのだが、竜馬を庇いつつ戦うとなると守り切るのは難しく、治療を受けさせる為に病院に駆け込んだ所で殺し屋達が追うのを諦める事も無い上に、他に被害者が出てしまう可能性も高いだろうという事からどうにかして追手を撒いて数が減ってから反撃してやろうと考えた。

 そうやってかなりの距離を走り続け、その道中、いくつか信号を無視してしまう場面も有ったが、それにより殺し屋達の車を撒く事が出来たようだった。


 そこから山沿いにある集落の方へ向かった後に道端にガソリンが少なくなった車を捨てると、竜馬を背負って程近い場所にあった寺の側を通り寺の裏手にある山中へと逃げ込んだのであった。


 彬と竜馬が踏み込んだその山は彬が若い頃に何度か登った事がある三岳山で、福知山側から登ってこの辺りまで降りてきた覚えがあった。


 やがて日が傾き、辺りは茜色の夕焼け模様から濃紺色の夕闇へと変わって来ていた。

 山中へ踏み込んで行く毎に周囲は暗さを増して行く。

 鬱蒼と茂る木立の間から笹薮へ入り記憶の中にある山道の方面へ向かう事にする。


 そのまま藪の斜面を登って行き、途中立ち止まってしばらくの間追手が来ない様子を確かめた彬は、藪を抜け出して山道へと出た。


 そうして山道を進んでいく内に彬は前方からの異様な気配に気付いた。


 それは小さな明かりを灯して近付いて来る人間のようであり、しかも一人では無くかなりの人数の気配だ。追手の連中が山狩りにでも来たと言うのか。


 竜馬を背中から降ろし、道端に横たえた彬は、三戦立さんちんだちの構えを取り、『水の練気れんき』を練った。

 そうして瞬時に全身を駆け巡った『水の練気』により、彬の身体は銃弾も受け流す蛟龍こうりゅうの化身へと化した。


 ――相手が何人やろうと関係あらへん、片っ端からブチのめしたる。

 そう決めた彬は、謎の集団へと歩を進めて行った。


「夜中の山中って本当に真っ暗なんですね……」

 真っ暗な山中を進んでいた隊列の中の一人が、前を進む者に話しかける。


「まぁな……灯りを消したら目の前も見えんようになるで」

 話しかけられた男がそう答える。


 ほぼ真っ暗闇な視界だから、後ろの者は前の者が装着しているケミホタルを頼りに、隊列は足下の感触を確かめながら、ゆっくりと進んでいた。


「なんかこんな真っ暗な中だと熊なんかに襲われたらひとたまりもないですね……」

 先程言った男が、前に居る男に声を再び声をかける。


「熊も居るしイノシシも出るし、なんなら大昔は鬼も出たらしいで……しかしホンマに鬼でも住んでそうな雰囲気やな……」


 前の男がそう軽口を叩いた、その時だった。


 列の先頭の先からチャッチャッチャッチャッ……と山道を踏みしめる音が急速に近付いて来たかと思うと、大きな謎の影に先頭に居た男が吹っ飛ばされた。


「ぐえっ!!」

 吹っ飛ばされた男の身体はくの字に折れ曲がり、山側の斜面に叩き付けられた。


「うわっ!!」「何や!!」「く、熊か!??」

 隊列は大混乱に陥った。


 だが、その中の一人が銃を構え、

「誰かぁッッッ!!」と謎の影へと誰何すいかを掛けた。


 それを見た謎の影は拍子抜けしたように、

「は?何やお前ら。64式……???」

 と言った。


 隊列の中の一人がマグライトを点け、謎の影を照らす。

 そこにはざんばら髪を逆立たせた、血塗れの大男が立っていた。


「うわーっ!!鬼だーーーっ!!」

 隊列の面々を恐怖が襲った。

 泣きべそをかき出す者も居る。


「ちゃうちゃう、人間やがな、この格好には訳があんねや、それより、おたくら何者で……?」


 謎の影……御槌彬がフランクな関西弁で話しだしたのを聞き、やっと大きいだけの人間だと認識し、安心したのか、マグライトを持った男が口を開いた。


「我々は陸上自衛隊だ。夜間行軍訓練をしている途中だ」

 と言った。


「何や、自衛隊さんでしたか、ワシはちょっと急いでたもんで、先頭の方に気付かんとぶつかって

 しもて、えろうすんませんでした。」

 彬はマグライトを持った男に深々と頭を下げた。


 ヘルメットを被り、迷彩服を身に着けて大きな背嚢はいのうを背負い、右肩に自動小銃を下げている。

 ……弾倉は入っとらへんな、と彬は確認する。


「いや、こちらこそ明かりを消して移動をしていたせいで危うく怪我をさせてしまう所だった。どこも怪我はしておられませんか?」


 えらく丁寧に話しかけて来る男に彬は、

「あぁ、ワシはどうも無いで、でもな……」


「小隊長、そいつ絶対怪しいですって……!!」

 男の後ろにいた隊員が小隊長と呼ばれた男に囁やきかける。


「いいから、ちょっと黙ってろ……見た感じ、血が付いておられる様子ですが、あなたの血では無いと……?」

 誰かを傷付けるか殺して逃げて来た逃亡犯かも知れない、小隊長の佐々木信之ささきのぶゆき三尉はそう疑い、かつ努めて刺激をしないように話し掛ける。


 この大男、今はおとなしい様子で会話にも応じているが、何か凶器を持っていて突然暴れ出すかも知れない……。マグライトを持つ手に汗が滲む。


「ああ、この血はワシの弟の血で、怪我をしたもんやから運んでたんやけど、おたくらが来たもんでワシ一人様子を見に来て、上に待たせて来たんや。」

 そう言って山道の上の方を指さした。


「そうでしたか……では……北川三曹。」

「はいっ」

 佐々木は先程、彬に誰何すいかをかけた隊員に声を掛ける。


「全隊待機させろ。装備は外して構わん。それから、峠の中隊長にも連絡を。隊員転倒につき待機中と。よろしく頼む」

「了解!」


 声を掛けられた北川はマグライトを点灯して頭上に掲げて旋回させつつ、小休止しょうきゅうし!!時間は別命!!と隊列に向けて大声で叫んだ。


 先程吹っ飛ばされた隊員も、背嚢がクッションになり怪我はしていない様子だった。

「それでは、ええと……」

「御槌や」

「みづち、さん、弟さんの所へ案内して頂けますか」

「おう、こっちや」

 彬はそう言うと山道を歩き出した。


「……っていう事があったんや。その後は佐々木さんが部下連れて木の枝でこしらえた簡易担架で竜馬を運んでくれて、ジープに乗せて麓まで運んでくれて、救急車を呼んで竜馬は何とか命は取り留めたんや」

 彬は見舞いに来た竜馬の妻の静江と那美にそう説明する。


 改めて見ると、彬のその身体は座ってるパイプ椅子が小さく見えて、すぐにも壊れてしまいそうに見える程の巨体だ。


「しかし、こんな夜更けに呼び出してしもうて済まんかったな、眠いやろ、那美」

 そう話かけて来た彬に、那美は、

「いえ、大丈夫です、師匠。」

 と返答した。


 確かに眠気や疲れのような物は那美の表情には無かった、それより、父・竜馬をこんな目に遇わせた殺し屋への激しい怒りにより険しい表情になっている。


「せっかく篠山に来たのに土産の一つも持って来れんですまんかったな……竜馬はワシが見とくさかい、静江さんと那美は家に帰ってもええで」

 と言い、彬は静江に一万円札を手渡した。


「そんな……主人を助けて頂いて感謝のしようもございません」

 静江がそれを断り深々と頭を下げる。


 それを見た彬は、それ以上渡そうとはせず、代わりに那美の手に札を握らせた。


「那美、静江さんを頼むで。学校は休んだらええ」

 目尻を涙で光らせ、鼻をすすりつつ彬が言う。


「はい、師匠」

 那美は拳を固く握りしめ、そう答えた。


 そして、静江と那美はタクシーを呼んで家へと帰って行った。


 どちらにせよ、竜馬の入院の為に様々な用意が必要だったので、叔父の彬が竜馬の傍に居てくれて、一時帰宅出来た事は助かった。


 そうしてその日はそれ以上は何も起きず、那美は静江に

「今日は休んでいい、って言われたけど、やっぱり学校に行くよ」

 と言って、自室に戻り眠り直したのだった。








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