第十九話

 平井は、五年前のことを思い出した。


 平井が仕事をしていると、隣の経理課の吉岡よしおか優子が聞いてきた。

「あの、平井さん。ちょっと聞きたいことがあるんですが?」


 経理課には三つの係があり、それぞれ七、八人が働いていた。


「なあに? 吉岡さん?」

「あの、清水さんって、どういう人ですか?」


 平井は、疑問に思って聞いた、

「清水さん? ああ、まあ、真面目まじめな人だと思うけど。それが、どうかしたの?」


 優子は少し、とまどって告げた。

「さっき突然、食事に誘われてしまって……」


 平井は、納得した。

「え? あの清水さんが?! なるほど、そういうことね!」

「はい……」

「年は確か三十五歳で独身。さっきも言ったけど、真面目で仕事もできる方だと思う。でも、あの清水さんがねー」


 優子は、疑問に思った。

「どういうことですか?」

「三十歳を過ぎて独身。しかも誰かと付き合っているとか、浮いたウワサもないの。

 背は高くて物腰も柔らくて顔も、まあまあなのにねー」

「はあ、そうなんですか」

「そんな清水さんが、あなたをねー」

「経理課に異動してきてから一ヵ月、仕事の話をすることが多くなってきていたんですけど、さっき突然……」

「まあ、あの人、無表情で何を考えているか、分からないところもあるけど……」

「でも、さっきは、すごく緊張した顔をしていましたよ?」

「へえー」


 優子は、確認した。

「取りあえず、真面目な人なんですよね?」

「ああ、そういえばタバコは吸っているわね。それに人に対して、緊張してしまう時があるわね。でもまあ、真面目なのは保証するわ」

「だったら一度くらい、食事をしてみようかしら?」

「まあ、それも悪くないかもね」


   ●


 その当時、私は、吉岡優子のことが好きだった。優子は隣の経理課で働いていたが仕事上、話をすることが多かった。


 ある日のこと。

「清水さん。販売管理システムに入力するので受注のデータを、お願いします。できれば、明日までに」

「はい」


 私は受注のデータを整理して、次の日に渡した。


 また、ある日。

「清水さん。在庫の入出庫処理を行うので、出荷のデータが欲しいんですが?」

「ああ、それは販売課の担当ですね」

「え? そうなんですか? すみませんでした、まだ慣れていないもので」

「吉岡さんは経理課に、きたばかりですからね。構いませんよ、私が販売課に問い合わせをします」

「え? 本当ですか?」

「はい。まかせて下さい」


 私は販売課に問い合わせて、優子にデータを渡した。


 またまた、ある日。

 優子は、申し訳なさそうに頼んできた。

「清水さん。取引先への支払いがあるんですが、支払金額を教えてくれませんか?

 すみません。私のミスで、もっと早く聞かなければならなかったのに。できれば今日中に知りたいんですが?」


 私は、これは残業をしなければならないな、と思いつつ優子に良いところを見せたくて、答えた。

「今日中ですか……。分かりました、何とかします」

「すみませんが、よろしくお願いします」


 私は午後八時まで残業をして、支払金額をまとめた。経理課に行くと優子も、残業をして待っててくれていた。

「吉岡さん。これが支払金額です、どうぞ」

「ありがとうございます。そして、すみませんでした、清水さん。残業まで、させてしまって」

「いえいえ、構いませんよ。この時間まで残業をすることは、たまにありますから」

「そうですか……。でも清水さんって、仕事ができる人なんですね。清水さんとの仕事は、いつも期限までにできるんです」

「そうですか。それは何よりです」


 というように私は、優子から依頼いらいされた仕事は、優先してやるようになっていた。


 それはもちろん優子に良い印象を持ってもらいたいからで、だから優子に『仕事ができる人』と言われた時は、すごくうれしかった。


 それに優子もれない経理の仕事を一生懸命にこなしている姿を、見ていて私は感心した。


 だから言った。

「そういう吉岡さんも経理の仕事を、がんばっていますよね」

「はい、以前は総務課にいたんですが今年から経理課にきて、まだ慣れないところもあるんですが……。でも早く、経理の仕事を覚えたいと思っています」

 私は、そうだろうな、と思っていた。私がデータを持って行くと優子は笑顔で

「ありがとうございます」と言い、ノートパソコンにデータを入力していた。


 その表情は真剣で仕事に対するひたむきさがあり、つい見とれてしまうことがあった。


 すると優子に言われた。

「あの、どうかしましたか?」

「いえ、何でもありません。お仕事、がんばってください」

「はい。ありがとうございました」

 というやり取りが、たびたびあった。

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