第十五話
私はその夜、優子の最後を思い出した。
私は入院している優子を、毎日のように
優子は日に日にやつれていったが、それでも元気を出してもらおうとバラエティ番組の話や最近、観たコメディ映画のDVDの話をした。
すると優子は言った。
「ちゃんと、ご飯、食べてる? お弁当屋の、お弁当ばかりじゃないでしょうね? 栄養のバランスを考えないとダメよ」
だが、その日は事情が違った。いつもは私の話を楽しそうに聞いているのだが、その日は、うわの空だった。
私は、聞いた。
「優子? 聞いてる?」
すると
「え? うん、聞いてる聞いてる」と答えたが、やはり、うわの空だった。
私が不思議そうに優子を見つめていると、やがて優子は話し出した。
「今日は天気も良いし、外で話さない?」
「うん、いいけど……」
「ここじゃ、話しにくいことだし……」
この病室は白い壁に囲まれていて四つのベットがあり、ベージュのカーテンでそれぞれのベットを仕切ることができた。そして病室には優子の他に、二人のお婆さんの入院患者がいた。
私は、答えた。
「え? 別に、いいけど……」
私と優子はヒノキが数本、植えられてある病院の庭にある、白いベンチに腰掛けた。東北地方とはいえ、もう三月下旬だったので、だいぶ雪も
優子は、話し出した。
「これから話すことはひとり言だから、そのつもりで聞いてね」
「うん、分かった」
「私、もうすぐ死ぬの」
それを聞いた私は、何と答えていいか分からず沈黙した。
すると優子は
「療養と検査のために七カ月も入院だなんて、誰が考えてもおかしいもの」と言って私の目を
私はすぐに目をそらし、どうしようか、何を言おうか考えた。
すると優子は、小さく笑った。
「あなたのこと、無表情で何を考えているか分からないっていう人もいるけど、私に言わせれば、あなたほど顔に出る人はいないわ」
そしてまた、小さく笑った。
私が、うつむいていると優子は聞いてきた。
「ねえ、教えて? 本当のこと?」
私は覚悟を決めて、話し出した。
「君の体は、すい臓ガンに侵されている。入院した時はすでに手遅れで、もって半年だろうと言われた。だから……」
でも、やはり
『だから君は、いつ死んでもおかしくない』とは、言えなかった。
優子は、言ってくれた。
「本当のことを言ってくれて、ありがとう。やっぱりあなたは、優しい人だわ」
私は、絶対に知られてはいけない秘密を知られて、うなだれた。
すると優子は、問いかけてきた。
「ねぇ、あなた、知ってる?」
私は、『え? 何を?』という顔で優子を見た。
すると優子は、
「人は誰でも、いつかは死ぬの」
そして続けた。
「そして人生の価値は、生きた長さでは決まらないと思うの。どれだけ幸せだったかで、決まると思うの」
私は、その言葉をだまって聞き入れた。
優子は、晴ればれとした表情で告げた。
「その点、私は幸せだったわ。あなたと出会い、素敵なプロポーズをさせ、幸せな日々を送れたわ」
私は本当に優子を幸せにできただろうか? と思いながら聞いていた。
優子は、続けた。
「だから、いつ死んでも
「優子……」
「でも一つだけ残念なのは、あなたの子供を産めなかったことね。あなたと私の子供なら、きっと可愛かったと思うから。でも、しょうがないものね。授かりものだものね、子供は」
私は、本心を言った。
「そんなこと、気にしなくてもいいよ」
すると優子は、言った。
「ねえ、あなた。一つ、お願いがあるの」
「何?」
「一晩だけでいいから、外泊したいわ。私たちの家にもう一度、帰りたいの」
「分かった。主治医と相談してみる」
「お願いね」
早速、私が診察室で主治医と相談すると、許可してくれた。
「そうですね。その願い、かなえてあげたいですね……。分かりました、一泊二日の外泊を許可します。
でも分かっていると思いますが、何かあったら、すぐに病院に連絡してください。いいですね?」
私は喜びを、おさえて真剣な表情で答えた。
「はい、分かりました」
その週の土曜日の朝、私は優子をマンションに連れてきた。
優子は、喜んだ。
「ああ、久しぶりの我が家だわ。やっぱり家が一番」
そして、続けた。
「でも掃除は、さぼっていたみたいね? それに台所が、きれいすぎるわ」
私は、言い訳をした。
「朝は簡単な物を作るけど、夜は疲れているから……」
「お弁当屋さんの、お弁当ね? まあ、仕方ないわね」
「ごめん……」
「まあ、いいわ、今夜は私が作ってあげる。何が食べたい?」
私は、少し考えて答えた。
「えーと……。あ、ビーフシチュー!」
優子が作るビーフシチューは、やはり美味しかった。それを久しぶりに食べられると思うと喜びを隠せなくて、聞いた。
「ほんとに作ってくれる?」
「ええ、もちろんよ。でも、その前に部屋を掃除しないとね」
だが掃除は、十分で中断された。アルバムを見つけたからだ。
「これは結婚式の時の写真ね。ふふっ、あなた
「優子は、リラックスしているな」
「私も、緊張していたのよ?」
「あ、これは新婚旅行の時の写真だ。ハワイの夕日は、きれいだったなあ」
「そうね。本当に、きれいだった」
そうこうしていると昼になり、行きつけのうどん屋で、かけうどんを食べた。
マンションに帰ってくると掃除の続きをして、終わると私が録画しておいたバラエティ番組を観て二人で楽しんだ。
夕方になると近所にあるオレンジ色の看板のスーパーに行き、ビーフシチューの材料とワインを買った。アルコールは、あまり飲まない二人だったが結婚記念日などの特別な日には、よくワインを飲んだ。
優子は赤いエプロンをして、キッチンに立った。
「それじゃあ、ビーフシチューを作るから、ちょっと待っててね」
その後ろ姿を見た私は、日常が戻ってきたかのように思えた。テレビをつけてニュースを見ていると突然、何かが倒れる音がした。キッチンを見てみると、優子が倒れていた。
「優子? 優子!」と抱きかかえ叫んだが、返事は無かった。私は、すぐに救急車を呼んだ。
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