第十四話

 私はタバコを一本吸いながら、これからのことを考えていた。

 明日も里美に会えると思うと、うれしかった。だが不安もあった。


 このまま里美と会って、だんだん好きになって付き合うことになったら優子のことは、完全に忘れてしまうのだろうか? あんなに愛していた優子のことを。


 だが私は、すでに里美にひかれていた。そして里美を欲しいという気持ちにうそはつけなかった。


 私は写真立ての優子に向かって、つぶやいた。

ゆるしてくれ、優子……」


   ●


 土曜日。その日は私が、たまに行く喫茶店で昼食を取ることから始まった。そこは白い壁に三角屋根で、高い煙突があった。


 私はドリアを二つ注文して、里美に教えた。

「ここのドリアは結構、美味しいんですよ。ちょっと熱いですけど」


 テーブルに運ばれてきたドリアを食べて、やっぱり里美は言った。

「本当、美味しいですね。ちょっと熱いですけど」


 食べ終わると、私は聞いてみた。

「どこか、行きたい所はありますか?」

「いいえ、清水さんにまかせます」


 私は、それならばと車で海に向かった。




 砂浜が南北にのびている、海岸に着いた。日本海とはいえ七月なので海も、おだやかだった。そしてTシャツに短パン姿の数名の若者がいた。


 私は、里美を誘った。

「少し、歩きましょうか?」


 里美が、うなづいたので二人で若者たちと反対方向へ歩き出した。しばらく歩いて、海を見渡せるコンクリートていに腰かけた。


 私が

「悩んだりした時は、ここにきて海をながめるんですよ」と言うと

「何か、悩んでいるんですか?」と里美は聞いてきた。


 私は、答えた。

「ええ、まあ」


 すると里美は、胸を張って言ってきた。

「悩み事なら相談に乗りますよ。私は結構、頼れるんですから!」


 君のことで悩んでいるんだけどなあ、と思いつつウォークマンをチノパンのポケットから取り出して聞いた。

「何か、聴きませんか? 椎名さんが好きだって言っていた、宇多田ヒカルの曲も入っていますよ。ベストアルバムですけど」


 そして私は、曲名リストを見せた。


 すると里美は、それを見て言った。

「あ、私、この曲が良いです。この一番最初の曲!」

「ああ、そういえばカラオケで歌っていましたね」


 私たちはイヤホンを左右、一つづつに分けて、お互いの耳に差し込んだ。一曲目が終わり二曲目と聴いていき、八曲目になった。


 私は、言った。

「私はこの曲、『This Is Love』も好きなんですよ」


 すると里美も同意した。

「あー、この曲も良いですよねー」


 結局、ベストアルバムの曲をすべて聴き別のアルバムも聴いているうちに夕方になり、二人はオレンジ色に染まっていた。


 すると里美が聞いてきた。

「来週は、どうします?」

「来週は、ちょっと忙しいので再来週に会いましょう」


 すると里美は、喜んだ。

「はい! やったー!」


 その、うれしそうな顔を見ていると、やはり私は気持ちをおさえることができなかった。


 だから私は立ち上がり、里美の方を向いた。

「椎名さん、ちょっとお話したいことがあるんですが」


 私が、あらたまって言ったので、里美も何事かという表情で立ち上がった。


 私は、おだやかな波の音を聞きながら、里美の目を見て告白した。

「椎名さん、私はあなたのことが好きです。私と付き合ってくれませんか?

 妻のことは、優子のことは、まだ忘れていませんが忘れる努力をします」


 すると里美は、ずかしそうにうつむいて答えた。

「はい、私でよければ……。よろしくお願いします……」


 それは消え入りそうな、小さな声だった。

 私は、おや? と思った。いつもの里美なら、『やったー! ありがとうございます!』と喜びそうな気がしたからだ。


 まあ、いい、と思い私は続けた。

「それじゃあ、私は敬語はやめます。呼び方も里美にしたいと思います。名字で呼ぶのは堅苦しいので。いいですか?」


 里美は、またも小さな声で答えた。

「はい……」


 自分から『好き』と言うのは慣れていても、相手から『好きだ』と言われるのは慣れていないんだなあ、と思った。


 そして再び、聞いた。

「里美は、俺のことを何て呼ぶ?」

「じゃあ、私も信吾しんごで……」


 まだ、うつむいている里美に私は告げた。

「取りあえず、顔を上げてよ」


 すると里美は、ゆっくりと真っ赤な顔を上げた。その表情は、いつもの里美ではなく、かなり緊張しているようだった。


 私は里美の緊張を、ほぐそうとして言った。

「ははっ。だいぶ緊張しているね、里美」


 里美は、少し硬い表情で答えた。

「こういう緊張する時って結構、苦手で……」


 しかし、目に真剣さが宿った表情も充分、魅力的だった。


「里美……」

「なあに、信吾?」


 私が半歩、近づくと里美はまた、恥ずかしそうにうつむいた。私は、右手を里美の左手に差し出した。


 すると里美も、おずおずと左手を差し出した。私は里美のその手を、しっかりとにぎった。手を握ったまま更に半歩近づくと私と里美の距離は、ほとんど無くなった。


 私は、両手で里美をしっかりと抱きしめた。里美の、温かさと柔らかさが伝わってきた。


 そして私が

「里美……」と呼びかけると、里美は顔を上げ

「信吾……」と答えた。


 私は、里美とキスをした。柔らかな唇だった。シャンプーの、良いにおいがした。数秒間キスをした後、唇を離した。


 私たちは、約束をした。

「里美。再来週、デートをしよう」

「うん」

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