第四話
六月二十四日。里美が仕事をしていると、課長に呼ばれた。
「椎名君、ちょっと」
彼は今年の四月から課長になったばかりの、若手の有能な男だった。何だろうと思いながらも課長の席に行くと、告げられた。
「突然だが椎名君、君も異動だ」
里美は思わず聞き返した。
「え? 私もですか?」
最近、この商品開発課から何人か異動になるというウワサがあったが、まさか自分もとは思っていなかった。この課には四つの係があり、それぞれの人数は五、六人だった。里美は、二係に所属していた。
「そうだ、椎名君。今回のプロジェクトに会社が相当、力を入れているのは知っているだろう?」
「はい」
課長は、熱っぽく語った。
「うん。商品開発に製造と、力を入れてきた。それで最後の仕上げの営業に、この商品開発課から営業一課に三名、営業二課に三名、異動させることになった。
商品開発の意図を詳しく説明し、営業力を強化するのが狙いだ」
里美は、気の抜けた返事をした。
「はあ……」
だが、課長は続けた。
「異動といっても期限付き。七月一日から一ヵ月間、営業二課だ」
「はい……」
「それで今から、その準備をしてくれないか?」
里美は何とか返事をした。
「はい、分かりました……」
里美が席に戻ると佐野が、やってきた。佐野は丸顔で、肩まで伸ばした髪にウェーブをかけていた。そして聞いてきた。
「ねえ、里美さん。課長に何て言われたんですか?」
「来月から一ヵ月、営業二課に異動だって。めんどくさーい!」
「なに言っているんですか、里美さん。これはチャンスですよ、チャンス!」
「チャンス? 何の?」
「出会いのチャンスに、決まっているじゃないですか!」
里美はピクリと反応し、真顔になった。
「出会いのチャンス?」
「そうですよ、新しい職場に行けば新しい出会いがある。ね、チャンスじゃないですか?!」
しかし里美は、あまり乗り気ではない返事をした。
「チャンスって言ってもねー」
「ですから、そこでいい男がいたら紹介してくださいよ、ね?」
「はあ? あんた彼氏がいるでしょう? 優しい彼氏が」
「直己ですか? まあ、優しいことは優しいんですけど、でも何か頼りないというか男らしくないというか……」
佐野は、いかにも優しそうな顔をしている直己を思い出している表情をした。
里美は吠えた。
「なに、ぜいたく言ってんのよ?! 私はフラれたばっかりなのよ!」
「だから、そこを何とか……」
「だーかーらー、そんないい男がいたら、わーたーしーがゲットするっつーの!
あんたはここで、ちゃんと仕事をしてなさい!」
そして里美は、異動のための準備を始めた。初めは異動を面倒くさがっていたが、よく考えたら新しい出会いがあるかも知れない、とワクワクしだした。
●
六月二十六日。私はIK食品株式会社に出社して、営業二課に着いた。ここには三つの係があり、それぞれの人数は七、八人だった。私は自分の席に座りノートパソコンを立ち上げ、仕事をし始めた。
しかし、その日は課内は騒がしかった。耳に入ってきたのは他の課から異動してくる人がいるという、ウワサだった。私は、あまり気にせず今のプロジェクトのプレゼン用の資料を作っていた。
すると隣の二係の係長で、同期の
「なあ清水、聞いたか?」
私は、ノートパソコンのキーボードを叩きながら答えた。
「うん? 何をだ?」
「今回のプロジェクトで、異動があるんだってよ」
「ああ、そうらしいな」
「なんでも商品開発課から三人、この営業二課にくるんだってよ」
「うん。なんでも俺の一係、お前の二係、
私は、一係の係長だった。
「あー、俺のところに女の子でも、こないかなー」
私はキーボードの手を止め、そう言った神崎を見て少し、あきれながら言った。
「はあ、お前なあ、仕事を何だと思っているんだ。だいたい、お前には子供が二人いるだろ?」
「今、三人目をがんばっています」
「元気だな、お前……」
しかし神崎は、目を輝かせた。
「でもよー、実際、新しい女の子がきたら仕事に対するモチベーションが違ってくるだろ? モチベーションが!」
「モチベーションって……。だからお前は仕事を何だと……。あ、でも俺が聞いたウワサじゃ俺のところには女の子がきて、お前と山口のところには男がくるらしいぞ」
「何? 誰が決めたんだ?」
「誰って、課長に決まっているだろ」
神崎は不満を、あらわにした。
「納得いかねー! なんで俺のところは男なんだ? 俺、課長に頼んでくる!」
「おい、神崎……」
「課長ー! 納得いかないことがあるんですけどー!」と言いながら課長の席に行った。そして課長に新しい女の子がきたら、どんなに仕事に対するモチベーションが上がるか説明しだした。
課長は少し、うんざりしながらも、うなづいた。
「うん、うん……」
その様子を見て私は心の中で、つぶやいた。
『そんなこと、課長に頼むなよ……』
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