第三章 開拓村での一夜ー1




 開拓移民アマギが住む村は、美しい村だった。

 地球で言えば、丁度十八世紀終わりから十九世紀初頭の開拓地を思い浮かべると良いだろう。緑輝く草原と林。豊かな田圃と畑。点在する家々。炊煙が夕暮れのなかにたゆとうている。

 その周囲は、開拓されつつある荒地。

 現代の人々が回帰を求め、懐かしみ、憧れる田園。

 まるで、郷愁が思い描いた風景が、立ち現れたように思うだろう。


 二人の子供は、ドナマン・アマギの幼い子供だった。彼は二十三歳だが、二人の子供を持ち、一家の主として、開拓地に住んでいた。彼は十代目のアマギ家の当主だった。父から受け継いだばかりの、新しい当主だった。ドナマン・アマギは、病に倒れた父に代わって半年前に家を継いだ。

 開拓地は大家族が多い。耕すべき大地は、無尽に広がっている。荒地である。地球暦で二百年近く掛かって耕された土地は、まだ僅かだった。開拓地では、家族と、村の開拓民だけが頼りだった。

 フラゴンとシーゲルは、アマギの家に丁重に迎えられた。

 ドナマン・アマギの父は、車椅子で二人を迎えた。病気からは回復したが、躰は元には戻らなかったのだ。

「それでも、村の評議委員をやっていますよ」

 彼はそう言って笑った。

「有り難いことさ。あんたのような人が村を守ってくれるなら、病気様々だよ」

 シーゲルはそう言って笑い声をあわせた。

 アマギ家の夕食は賑やかだった。

 ドナマンの他に、兄弟が三人いた。娘ふたりは、既に結婚していて、別の開拓地に住んでいる。末息子はまだ結婚していなかったが、自分の畑も持っていた。こうやって、家々の土地は広がっていく。ドナマンの祖父母も健在だ。家族は全部で十三人だった。これは、開拓地では平均的な家族で、それ程多い訳ではない。

 夕食時に突然の客が四、五人増えても、開拓地の主婦は、これっぽっちもあわてない。遠来の客や、突然の訪問者を迎えることに、彼女等は卓越した才能を発揮した。食物の全てが、開拓地で作られたものだった。

 それは、ありふれたものである。馬鈴薯を蒸かしたもの、焼きブロッコリー、蕪の煮た物。川魚の燻製。火星の開拓地では、もっとも一般的な、食用ザリガニの茹でた物。塩漬け豚肉と野菜のスープ。他は、自家製のバターやチーズ。

 フラゴンは、またとない食事にありついたと言う訳だ。客の為に、自家製のジンとワインが出された。

 酒が入り、食事が進むと、男達は時間を惜しむかのように、色々な情報交換を始めた。話の内容は、さまざまだ。

 開拓地の村同士の用水の争い。収穫の見込み。移民局への評議委員会としてのこれからの対応。全てが、フラゴンにとって興味がある話題だった。南半球とは全く別の、火星の顔を知ることになったのだ。

「で、陳情は上手くいったのかね?」

 うずうずした顔付きで、ドナマンの父親が尋ねた。

 シーゲルは軽く首を振り、こう言った。

「いや、いつもの通りさ。最初から当てにしちゃいない。だが、圧力をかけ続けなきゃ、一歩も前へは進めないからね。移民総局は、開拓地の為にあるのであって、地球のお偉方に追従するのが仕事じゃないさ」

 自分の地口が気に入ったのか、シーゲルがにやりとした。

「根本から考え直さなきゃならない時期に来ていますよ。もっと急がなきゃ。開拓地が団結すべきです」

 ドナマンが横から口を出した。

「解ってるさ。だが、あわてちゃいかんな……」

 と、シーゲルはまたにやりとする。

「いったい、どれだけ時間をかければ気が済むんですか?」

 ドナマンは、自分のひたむきな不満を隠さなかった。

「待つと言うことは、より良い機会を逃さないと言うことでもある」

 シーゲルは答えた。

「待ちすぎて、機会を逃すと言うことも有り得ますよ」

「私達は、それほど間抜けじゃない筈だがね」

 シーゲルが、ぴしゃりと決めつけた。

「……ええ」ドナマン・アマギは唇を噛んだ。言われた通りなのだ。

「今は静かに、根を張り、やるべきことをやる時だ。やがてやって来る機会を逃さないようにな。ま、お前さん達若い連中にとっては、聊か焦れったいだろうがね」

 シーゲルは、諭すように言った。ドナマンは、頭を大きく左にかしいで見せただけで、何も言わなかった。彼等の言葉の背後には、充分に吟味され、議論された結論があるのだと、フラゴンは感じた。ここで交わされているのは、もっと具体的な、詳細な方法に違いない。

「移民総局にも、開拓地からかなりの人数が入っている。実務を行っているのは、今は開拓地の人間だと言っても過言ではないぞ、ドナマン」

「判っていますよ、シーゲル。だが、実権はまだ、連中の手の中にある」ドナマンはここで大きく息をつぎ「南の連中が、形骸となった移民総局を、こうも頑なに手離そうとしないのには、ちゃんとした理由がある。そうでしょう?」

 その言い方は、訊ねると言うより、確認する為の投げかけだった。

「その通り」シーゲルは否定しなかった。

「それは、火星の独立だ」

 ドナマンの言葉に、フラゴンは強い衝撃を受けた。独立? どう言う意味だ?

 独立と言う言葉は、この場合、とてつもなくきな臭いものを感じさせた。

「本当のことかね?」フラゴンは聞いた。

「そう。南の政治家や企業だけではありません。我々が望んでいるのも、独立ですよ」シーゲルが答えた。

「我々……とは?」

「北半球も、と言うことです。開拓地も、ナダの谷の人々も全て、火星が独立することを望んでいます」

 シーゲルはゆっくりと部屋の中を見回し、

「但し、南の連中とは、目的が違いますがね」と付け加えた。

 南半球の風景が、フラゴンの脳裏でとめどなく流れた。そして、空港や整備された設備と建物群。政治家や企業の責任者の顔と、自分を引きとめようとした社交界の人々。

「彼等が、その、南の人々は、独立を望んでいる。なんの為に? しかも、北のあなた達も同じように独立を望んでいる。これは、尋常じゃない」

 フラゴンは用心深く訊ねた。踏み込んで聞くべきことではない。

「実際のところ、事態はかなり緊迫しています。我々は、急がなくてはならない。今のところ、南の連中にかなり出し抜かれていますからね。南は、中央政府と直接の接点を持っている。政界だけじゃなく、財界にも働きかけることが出来る。私達のラインは、移民総局しかない。あとは、非公式だが、西部生態研究所だけだ」

「だから、開拓地は団結しなければならないと言っているでしょう!」

 ドナマンが声を荒げた。

「ドナマン、お客様がいらっしゃるんだ」

 彼の父親が、威厳をもって言った。

 その一言で、ドナマンは素直に引き下がった。

「済みません、父さん」

「私が、代わりに少し詳しくお話しましょう」

 シーゲルが身を乗り出した。

「しかし、これは、私のような者が聞いて、口出しするような事柄じゃありませんよ、シーゲル」

 フラゴンはあわてて言った。慥かに、これは大変な話なのだ。

 だが、シーゲルはかぶりを振った。

「そうじゃありませんよ、フラゴンさん。私は、あなたに聞いてもらいたいのです。だからこそ、あなたを強引にここへお連れしたのです」

「私に、この話を聞かせるために?」

「そう。私はあなたの力をお借りしたいのですよ、是非にも」

「私に何か出来ることがあると?」

 シーゲルは力強く頷いた。

「あなたに、火星の開拓地を知って欲しいのです。南の農園も含めて、全てをね。そして、いつの日にか、火星のことを書いて欲しいのですよ」

 シーゲルの言葉の底には、拭いきれない悲壮な光が不吉に瞬いている。巨大な怪物に立ち向かう蟻のようだ。南と北を比べたら、それ以上の力の差があるに違いない。

そして、フラゴンは頷いた。

「独立を望んだのは、私達開拓移民より南の企業同盟の方が先だった。これは、当然の成り行きでした。火星は今、太陽系内で最も利潤を生み出す場所です。火星を抑えておけば、その企業は地球上の、あらゆる分野の経済的競争を勝ち抜くことが出来ます。いや、競争にもならんでしょう。火星には手付かずの資源と、広大な大地と、宇宙への中継港と言う更なる可能性が眠っている。彼等は、北の開拓地を、自分達のものにするつもりです。その為には、是が非でも独立することが必要なのですよ。火星州政府として政策を立てられるようになれば、開拓地をどのように扱おうと、中央政府はそれを止めることは非常に困難になる。だが、いくら形骸化したとは言え、今はまだ移民総局が存在する。移民総局が存在する間は、巨大企業と言えど、合同州政府だろうと、簡単には手を出せない。逆に今は形骸化した移民総局が、私達の最後の砦になっている。私は、私の故郷を守りたい。これが、開拓地に住む者の独立への思いです。偽るものは何もない。私達は、北半球だけで独立を果たそうと考えているのです。移民総局を火星北部州に移し、州の機関として、開拓民の為の機関として甦らせる。それが、今、私達が考えている独立構想です」


 フラゴンは、ベッドに入ってからも、シーゲルの言葉を考え続けていた。ただ話を聞いただけなのに、何かとてつもない事件に巻き込まれた気がする。

 火星の内情に疎いフラゴンでも、シーゲルの言うことは理解できた。それは、フラゴンが南半球で、肌で感じた印象と合致している。シーゲルの言うことは事実に違いない。

「南半球の実権を握る幾つかの州政府機関や中央政府の機関、そして、企業も、北の独立を望んではいないようです。南は、北を併合吸収し、自分達の所有とするのが狙いです」

 と、シーゲルは言った。

「そして、状況が緊迫していることも………」

 フラゴンは枕の位置を直しながら、こう呟いた。

「だが、私に何が出来る?」

 フラゴンは、細くしたランプの、淡い灯りの中でかぶりを振った。

 突然、ある言葉と一人の男の顔が、脳裏に閃いた。

 フラゴンに、火星へ渡る口実を与えた男だった。

 そうだった。何の当てもなく、火星を旅しているのではなかったな。

 カルマン・オコナーと言う古い友人と、月面都市で偶然再会したのは、三ヶ月前のことだった。

 カルマンは学生の頃からの友人で、生物学者だった。再会する前、最後に会ったのはフラゴンが妻と子供を亡くす一年前のことで、その時彼は、地球再構築計画局の後身、GRIP(グリップ)のメンバーだった。カルマンの専攻は、細菌と微生物だった。砂漠化した土地を緑化した後、微生物を基盤にした土壌改良を研究していた。

「これから、火星に行くところでね。火星の北半球にある、生物研究所に行くのさ。火星の古代微生物の採取と研究だよ」

 と、カルマンは言った。

「火星へか?」

「ああ、火星は、地球と違って、まだまだ謎の部分が多い。私にとっては素晴らしい場所だよ」

「素晴らしい場処……か」

「ああ、フラゴン、君もこんな、人間が造ったちっぽけな人工都市でなく、本物の自然の荒々しさを感じてみたらどうだい? 社交辞令や面倒な手続きやらから解放されるよ」

 カルマンは青年のように目を輝かせて言った。

「いつ、出発するんだね?」

「三日後だ」

「長いのかい?」

 その問いに、カルマンは天真爛漫な笑顔でこう答えた。

「もう地球へは戻らないかも知れない」

 カルマンと交わしたのは、そんな会話だった。

 そして、三日後には、カルマンは意気揚々と火星へ旅立って行った。

 カルマンとの再会がなければ、フラゴンは火星へ渡ることはなかったと思っている。本物の自然の荒々しさ、と言う一言が、もう地球へ戻らないと言わしめる程の何かがある火星、そして何より、カルマンの笑顔がフラゴンの心を動かしたのだった。

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