第二章 開拓地の駅は物騒だった



 車窓の外は、次第に晩い午後の陽射しに変わっていった。大地は赤く褪せていく。話し込んでいるうちに、思ったより時間が経ったらしい。それから三十分程して、汽車は駅に停まった。

「今日は、ここ停まりです。目の前が南北を岐ける渓谷ですから。明日は、渓谷を越えて北部開拓地に入ります。ここは南部の比較的大きな開拓地ですからね。泊まる所もありますよ」

 アルト・シーゲルは立ち上がって言った。

「あの人たちはどうするんだろう?」

 フラゴンも立ち上がって聞いた。

「ああ。最低限の食事と、寝る所は用意されています」

 シーゲルは硬い口調で答えた。これ以上、この話題は避けたいのだ。フラゴンも、その気持ちを察して、それ以上聞くことは止めた。

 昼間停車した駅より随分と大きな駅で、駅舎もすこし立派だった。フラゴンとシーゲルは、自然と並んで歩いていた。

 フラゴンは貨車の方を見たが、その辺りは静まり返って、中の人々が出て来る様子はなかった。感傷的になってはいけないことは判っている。これより酷いものは幾らでも見てきた。彼等にはまだ生き延びる場所はある。フラゴンは自分に言い聞かせた。個人が踏み込む問題ではなかった。

「ちょっと待ってくれ」

 二人の前に立った男が押しとどめた。制服の男だ。野良犬の鉄道警備隊。

「なにか?」

 フラゴンが答えた。

「あんたじゃない。お前だ」

 男はアルト・シーゲルを見下ろした。格好の獲物をみつけた残忍な目。

「ちょっと、話を聞かせて貰おうか。穏やかではない話をしていたな。煽動のつもりか?」

「意味がわからんね」

 シーゲルの声は落ち着いている。

「ふざけるなッ」

 男はシーゲルの胸倉を掴んで引き上げた。

「近頃、農場や鉄道を批判する煽動活動家が、あちこちであることないこと言い回ってる。俺達は、そう言った連中にも容赦はしない」

「私がその連中の仲間だと言うのかね?」

「そう。これから、じっくりと調べさせて貰う」

「止めた方がいい。何の証拠もない。それに、彼は開拓地の人間だぞ」

 フラゴンが男の手を掴んだ。

「決めるのは俺だ。邪魔するなら仕方ない、あんたも一緒に来てもらおうか」

 男は手を振り払うと、歯を見せて唸るように笑った。凶暴な笑いだった。

「待て、この人は関係ない。私だけ連れて行け」

 シーゲルが強い調子でフラゴンを庇った。

 乗客や開拓地からやってきたらしい人々が足を止めて、三人のやり取りを怯えたように見ている。制服の男達が急ぎ足でやって来た。十人近くいる。男はちらっと仲間を見て、勝ち誇った笑いを浮かべた。

「行こう。案内してもらおうか」

 フラゴンが言った。いざとなったら、護身用の銃を使うつもりになっている。

 このまま制服の男達に頭を下げるのは、なんとしても納得いかなかった。ふざけるなよ、フラゴンは胸の奥で怒りを抑えた。

「危険ですよ」シーゲルが耳元で素早く囁いた。

 フラゴンは目顔で大丈夫だと返事した。二人を取り囲んで、制服の男たちは駅舎の中へ歩き出した。フラゴンとシーゲルも黙ってついて行く。制服の男たちは、フラゴンとシーゲルを、駅舎の奥の小部屋へ入れた。他に、四人の男が残った。

「隊長、例の連中ですか?」

 四人の中で一番の大男が聞いた。濁声のゴリラだ。

「さあな。そいつをこれから調べなきゃならん」

 隊長と呼ばれたのは、最初に二人を呼び止めた男で、今は、テーブルを挟んで深々と椅子に腰を降ろしていた。フラゴンとシーゲルは立たされたままだ。

「はっきり言って措く。私は開拓地の人間だが、煽動家ではない。この人はもっと関係ない人だ」

 シーゲルは、腹の底から出る低い声で言った。次の瞬間、シーゲルは膝をついて屈んだ。大男が後からシーゲルの膝の裏を蹴ったのだ。フラゴンの頭の中で閃光がはしった。

 フラゴンが殴りかかろうとした時、シーゲルの笑い声が聞こえた。シーゲルはズボンの埃を払って、ゆっくりと立ち上がった。厳しく引き締まった、開拓地の男の顔だった。

「成程、どうしようもない連中だな」

 シーゲルは左足を軽く踏むと、もう一度笑った。

「こう言うやり方で、随分、煽動家とやらを捕まえたんだろうね」

 シーゲルは穏やかに言った。腹の中は煮えくり返っているに違いない。フラゴンは、あっと気付いた。シーゲルは、フラゴンに害が及ぶのを恐れているのだ。自分を庇おうとしている。フラゴンはポケットの銃に手を伸ばしかけた。

 隊長は、黙って頷き、後の男達に顎をしゃくった。大男が後からシーゲルを羽交い締めにして押さえ、右脇の制服の若い男が、フラゴンを押さえた。もう一人が、シーゲルとフラゴンの上着に手を突っ込み、ポケットの中身をテーブルに並べる。慣れた手つきだった。何度も同じ事をやって来たに違いない。

 フラゴンの懐を探っていた男が、銃に手が触れた瞬間、眼を引きつらせた。

「隊長、この親父、妙な物を持ってます」

 抜き取った銃を、隊長の前に置いた。隊長はフラゴンを鋭く睨んでおいて、銃を手に取った。シーゲルもフラゴンを鋭い眼で見た。

「FKE―Wだな。見かけない奴だと思っていたが。これはこれは」

 隊長は顔を歪ませて喉の奥で笑った。

「こんな物騒なものを何処で手に入れた?」

「貰ったんだよ南の……」

 フラゴンの後の言葉は続かなかった。若い男が、フラゴンの脇腹へ拳を打ち込んだのだ。フラゴンは体をふたつに折った。吐きそうになる。痛みより怒りが勝った。くそっ、奴等の思い通りになって堪るか。生来の闘志に火がついた。

「見え透いたことを言うなよ。これがどんなものか知ってて、言ってるんだろうな? こいつをこの部屋でぶっ放すとする。するとどうなる?――この部屋はおろか、駅の半分は吹っ飛ぶ代物だ。下さい、はいどうぞって代物じゃない。まあ、いい。すぐに判るさ」

 隊長は、テーブルに並んだ品物を無造作に広げ出した。その間も、フラゴンとシーゲルは押さえつけられたままだ。

 隊長は財布を開き、中身を出した。フラゴンの財布から出て来たクレジットチップを指に挟んで、口笛を鳴らした。それは、ブラックチップと呼ばれるもので、火星北半球では殆どクレジットチップは使えないが、このクレジットチップは、火星の何処でも使えるものだった。

「見かけによらず、金持ちなんだな?」

 隊長は冷たく値踏みする目付きになった。

 それから、通行証が入ったケースへ手を伸ばした。中を覗いた隊長の顔色がさっと蒼ざめた。隊長は立ち上がった。椅子が大きな音を立てて後ろに倒れる。

 隊長は、フラゴンの通行証が入ったケースを突き出し、フラゴンへ寄って来た。

「これはなんだ?」

 隊長は上擦った声でわめいた。

「私の通行証だ。移民局の役人が出したものだよ」

「この特別鑑札付きの通行証は、政府高官や、一部の特例を認められた者にしか許可されないものだ……お前は……」

「おや、そうかね。じゃ、私がそうなんだよ」

 思わずフラゴンは冷たく言い放った。フラゴンは、目の前の男が急に慌てふためくのが小気味良かった。おそらく、通行証が持つ力だろう。だが、男の狼狽が、そのまま暴力への発露へ向くかも知れない恐れがあった。フラゴンはシーゲルを見た。シーゲルもフラゴンを見ていた。目の奥に、屈しない光が宿っている。フラゴンを気遣う目つきだった。

「一体、お前は誰だ。何の用で北をうろついている?」

 隊長は片手に通行証を、片手にフラゴンの銃を持って聞いて来た。他の男達も、隊長の慌て方から普通でないものを感じ取って、フラゴン達を押さえる力が弱くなっている。

「唯の旅行者だと言ったら?」

 フラゴンの中で、男達に対する怒りが膨れあがった。薄っぺらな権力の影に頼る薄汚い奴等だ。こう言った手合いを、南半球では嫌と言うほど見てきた。

「ねえ、旦那。この特別鑑札は、素性の知れない人間には、発行されないものなんですがね。脅かさないでくださいよ」

 隊長は突然口調を変えた。媚びるような声だ。

 フラゴンは、汚物の中へ足を踏み込んだような気持ちになった。相手が権力を持つと判ると、平気で態度を変えてくる。

 フラゴンは、後から体を押さえた腕を振り払うと、脇腹の痛みを堪えて、真っ直ぐに背を伸ばした。

「じゃあ、良いんだね。これで私達は引き取らせてもらう」

 男の手から、通行証と銃を引った繰って取り戻した。フラゴンは、他の男達にも、通行証を見せた。男達の眼が、通行証に食いつく。

 大男は今にもトイレに駆け込みそうな顔になったし、若い男は痴呆のように口を開いて、光のない眼でフラゴンを見た。他の男二人も、似たり寄ったりの顔だ。男達の反応に、フラゴンは戸惑いを覚えた。

 これは何だ? あまりにも見事な変わりようは? 通行証は、フラゴンの予想以上の効果をあらわした。驚いたのはフラゴンの方だった。

 フラゴンがわざわざこれ見よがしに通行証を見せたのは、もうこれ以上無駄な争いをしたくなかったからだ。一瞬は、意外に力を発揮した通行証の力で、この男達を嫌と言うほど這いつくばらせてやろうかと怒りが沸騰したが、フラゴンはその気負いを捨てた。そして、謝罪はないのかねと言う言葉を、フラゴンは辛うじて飲み込んだ。 

 無駄なことだと気付いたのだ。彼等の屈辱は、そのまま弱い者への暴力となって吐き出されるだろう。それも避けたかった。このまま無事に済むものならそれだけで良いと思い直したのだ。フラゴンはシーゲルを促して部屋を出た。

 男達は追ってこなかった。部屋の中は静まり返っている。

「いつも、あいつらはああなんですか?」

 フラゴンが尋ねると、シーゲルは黙って頷いた。左足を少し引き摺っていた。

「開拓地の人にも、連中はああ言う態度をとるんですか?」

「奴等は、開拓地の人間を自分たちの使用人程度にしか思っていない。彼等が標的にするのは、今の状況を変えようとする者だけじゃない。怪しいと見れば、どんな人間でも容赦しない。それが連中の遣り口だ」

「例えば、あなた」

「そう」

「連中を動かしているのは、やはり、鉄道会社ですか?」

 フラゴンの問いに、シーゲルは口元を引き締めた。

「そうとは言い切れない。鉄道もその一端ではあるが。総てではない」

「もっと大きな力が働いている?」

「複雑なものがね。さあ、長居は無用です。行きましょう」

 シーゲルはちらっと後ろを警戒するように見やり、フラゴンの腕をつかみ急がせた。

「何処へ行くんです?」

「この駅のホテルは、鉄道会社のものです。奴らの息がかかっていない所へ行きましょう」

「まだ、危険なんですね?」

「ええ。暗闇なら、貴方が特別鑑札を持っていようがいまいが、連中には関係ないことですからね」

 シーゲルは声を落として喋り続けた。

「特別鑑札なんて……驚いた。まあ良い。とにかく、近くの開拓村に知り合いがいます。そこへ行きましょう。鉄道を離れて、開拓地へ入れば、連中も無茶は出来ませんからね」

「それは、貴方に迷惑をかけることになりませんか?」

「いいえ。私のことはご心配なく。こうなった以上、貴方を放って置く訳にはいきません。今夜は、私と一緒に、開拓村へ行きましょう」

 シーゲルは、駅前の広場に出ると、辺りを見回した。

「私は今夜、この近くの開拓村に泊まる予定です。もう、迎えが来ている筈だが……」

 広場は混雑していた。

 何台もの馬車が止められて、馬が嘶いている。

 荷台には車輪はなく、浮揚ユニットが使われ、奇術のように空中に浮いている。駅前は、急に開拓地の村らしくなった。停車した駅では、開拓地で収穫された作物の一部や、他の加工品が貨車に積まれる。開拓地の村には、必ず集荷場があり、そこからまとめて出荷されるのだ。ホテルへ向かう乗客らしい人々も、一斉に駅前に溢れて出していく。中には、開拓地を回る商人も居る筈だ。

「よう、シーゲル。久し振りだね」

 一人の男が、近寄って声をかけた。開拓地の人間のように見えたが、何か抜け目のなさを感じさせる男だった。シーゲルと同じ、手織りの麻の上着を着て、旅行用の鞄を提げていた。目は栗鼠のように丸くてよく動き、躰つきは頑丈そうだったが、シーゲルとは違う俊敏さを感じさせた。フラゴンは、この男を見て、森の猟師を思い浮かべた。抜け目なさと用心深さ、そして諦めない忍耐強さを、この男は身にまとっていた。

「やあ、フラン親方。珍しいね、こんな所で会うとは」

 シーゲルは親しげに声を返した。

「誰か待ってるのかい?」

 フラン親方、は聞いた。卒のない物腰の柔らかい物言いだった。

「ああ、開拓村のタナカを探しているんだが」

「見かけなかったな。そうか。今夜は開拓地泊まりか」

「ああ……」 

 フラン親方は気のない返事を返し、それからじっとフラゴンを見た。

「この人は、私の知り合いで……」

 シーゲルが言い掛けるのへ、

「シルヴィウス・フラゴン……?」

 フラン親方はとても信じられないと言う顔で、声を潜めて叫ぶように言った。

「親方、判ったのか?」

「そ、そりゃあ、判るさ。俺は、その、フラゴンの、いやフラゴンさんの作品は、それこそ全部読んだよ。何度も何度も読んださ。いや、それでもこいつは、とてもじゃないが信じられんことだ。目の前に、シルヴィウス・フラゴンが居るなんて」

 フラン親方は、どうして良いか判らないと言う風だった。急に打ち解けた暖かさが男から溢れ出てきた。そうか、正体が知れない他処者には、警戒を怠らないと言うことだ。開拓地は昔ながらの、村社会を形作っているのだろう。他処者が入り込めば、すぐに分かる仕掛けだ。

「失礼、この男は、ナダの谷で旅館と食堂をやってる、フランです。本当の名は、フランシス・マルロォですが、今じゃ何処でも、フラン親方で通ってます」

 シーゲルが、紹介した。

「私は、貴方が仰るとおり、シルヴィウス・フラゴン。ああ、フラン親方。私の目的地は、デスモインの北の果て、ナダの谷です。今のところは」

 フラゴンは手を差し出した。フラン親方は、しっかりとその手を握り返してきた。栗鼠そっくりの目がくりくりと陽気に踊った。

「貴方は、この火星でも随分と知られています。お会いできて光栄ですよ」

 フラン親方は言った。シーゲルとも違う、逞しいが、もっと自由な力強さを、フラン親方は感じさせた。

「ナダの谷へおいでの時は、必ず寄って下さいよ。旅館をやってますんでね。いくらでも逗留なさると良い。それに、本物の美味い珈琲もある」

 フラン親方は、もう決まったでしょ? と言った顔でフラゴンに言った。

「その時には、是非、お伺いします。……フラン親方」

「お待ちしていますよ、フラゴンさん」

 フランシス・マルロォは心をこめて言うと、

「じゃあな、シーゲル。今年の秋の収穫祭には行くからな」

 砕けた物言いをして、二人に軽く会釈して去って行った。

「好い男ですよ。デスモインじゃ、旧い家系の一家でね」

 シーゲルはフラン親方を見送りながら言った。

 そして、広場の向かいに着いた馬車に向かって、大きく手を振った。

「来ましたよ、迎えが。行きましょう」

 シーゲルが指差したのは、広場の向かいに止められた一台の馬車だった。

 がっしりした体格の、髭を蓄えた青年が手を振っている。この青年が、アマギだった。馬車は乗用のバギーではなく、農場で使う荷馬車だった。

 フラゴンはシーゲルについて歩き出した。

 フラゴンたちが馬車に近づくと、荷台からふたつの顔がひょいとのぞいた。

 子供だった。男の子が二人だ。ふたりとも青年と同じ栗色の髪の毛をしていて、自分達に向かって歩いてくる大人達を、興味深そうに目を丸くして見ている。

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