第一章 北へ-4


 この男は、初対面の自分に、何故、こんな話をしたのだろうとフラゴンは思った。遠慮のない朴訥さだけではあるまい。もしかすると、私が火星の人間ではなく、今までにない旅行者だと判断したからかもしれない。通り過ぎていく者には、人は寛大である。それだけでなく、自分のちょっとした秘密のようなものも漏らしたりする。後腐れがないからだ。今まで、何度もそう言ったことをフラゴンは経験していた。それなら、フラゴンの疑問にも、目の前の男は意外とすんなりと答えてくれる可能性がある。

「開拓地は、今はどうなんです? 何か問題を抱えているんですか?」

 フラゴンは聞いた。

「表面的な問題ですか? それとも、目に見えない方?」

「両方。開拓地だけではなく、この惑星が抱える問題です」

 シーゲルは、手で顎をなで、考えるように目を車窓の外へむけた。

「強盗団の話なども、詳しく聞かれましたか? 貨車に乗って移動してる連中のことも?」

「今だって、制服の警備隊とか言うのが、強盗団向けに乗り込んでるんですってね。私は、あの連中は好きになれないが」

「ふふふ……。あの連中だって、半分以上は盗賊ですよ」

「あの連中が列車を襲うとでも?」

「いや、そう言う意味じゃありません。連中は、盗賊より性質が悪い。見たでしょ、連中が、農園と契約した貨車の人達をどんな風に扱っていたか。それでも、無頼漢同様の連中を雇うしかない。ここでは、人が足りないんです。開拓地の村でも、今は自警団を組織して、盗賊の略奪に備えるようになりましたがね。制服の連中は開拓者でもないし、まともな連中でもない」

「盗賊団っていうのは、一体どこから出てきたんです? 南は、政府機関や企業の社員ばかりだ。北の開拓地だって、代々の移民入植者ばかりの筈だが」

「そう、昔はそうでしたがね。火星では、開拓地だけじゃなく、南でも移民総局がすべてを統轄することになってます。しかし、それも昔の話でね。今は移民総局は形だけになりました。元凶はそこにある、我々はそう考えています。移民総局だって、中央政府のひとつの機関に過ぎません。中央政府の決定には従わざるを得ないと言うことです。移民を希望する者は増えています。移民総局は、飽和数以上の移民を受け入れてしまった。これが、ことの始まりです」

「ちょっと待って下さい。移民総局は、火星を統轄する機関。それは、形だけのことなのかな?」

「移民総局は、火星の様々のところと癒着しているのが現状ですな。地球の思惑を越えた存在になってしまった。実権は、移民総局の役人にはありません。なんせ、中央政府は火星の移民総局を、長い間放りっぱなしにし過ぎました。移民総局は企業の下請けになってますよ。移民総局を、私達の手に取り戻す必要があります。評議会も力を持ってきました。今は、少しずつ移民総局へ評議会のメンバーを送り込んでいるところですよ。でないと開拓地は、やがて南半球の企業に吸収されてしまう。それだけは防がねばならない」

 アルト・シーゲルの声は熱を帯びてきた。

「そこまで深刻な状況なのですか」

「まだ、表立った動きはありませんがね。来る時は雪崩と一緒で、防ぎようがないでしょうよ」

「私のような旅行者は、火星では邪魔者だな」

 フラゴンは真剣な面持ちで言った。

「いえ、そうとも限りません、フラゴンさん」

 言って、アルト・シーゲルはにやりとした。その顔には、ある表情がうかんでいる。フラゴンはシーゲルの目の中を見た。そして、同じようににやりと頬をくずした。

「貴方も人が悪い。私のことをご存知のようだ。それでいて、知らん顔して、今まで話してたんですね?」

「貴方の興味を引こうと思いましてね。シルヴィウス・フラゴン」

 シーゲルは額に皺を寄せ、かすかに頷いた。

「どうも、面妖しいと思った。退屈しのぎには、あなたの話は辛辣だった」

「南半球で、何度か拝見しました。あの時は、取り巻きがたいへんでしたね。あのまま、南の連中と馴染まれるのかと思ってましたがね。どうやら、貴方は違ったらしい。それで、声を掛けたんです。それでなきゃ、あんな話はしません。貴方は、火星に自分の栄誉をばら撒きに来たんじゃないって分かりましたから」

 フラゴンは、複雑な心境で苦笑いした。火星に来たのは、政治的な意味合いは勿論、自身の栄光の残照を餌に、南の社交界で欄春のひと時を過ごす為でも、新しい作品の野望に衝き動かされてでもなかった。唯、徒に転々と当てのない道を歩いて来たに過ぎない。目の前の、アルト・シーゲルという開拓地の評議委員も、南の名士と同様、大きな勘違い、勝手な思い込みをしているのかも知れない。フラゴンは、南の狭い社交界から逃げてきたのだった。腐乱と高慢ちきな悪臭がたちこめる、鼻持ちならない小世界から。

「南の連中は、そうは思わないでしょう。貴方は、自分で思っていらっしゃる以上に、注目の的です。そして、自分で思ってらっしゃる以上に、周囲に対して影響力をお持ちです。貴方の作品が、貴方を放っておきません。私も、貴方は何か目的が有って、火星にいらっしゃったのだと思っていましたから。でも、そうじゃないのかも知れません。今は、そう思えます」

「たしかに、政府の高官や企業のお偉方が、予想もしなかったほど歓待してくれましたが。元来、私はそう言った集まりには興味がありません。特に、独りになってからは、疎ましいだけでね。それに、何か目的を持って火星に来たんじゃない」

「そうでしょうとも」

 シーゲルは答えて、口を閉じた。納得した響きだった。

「今の私には、行く当てもない」

 フラゴンは上目にシーゲルを見て、苦く笑った。

「まあ。貴方の噂は開拓地でも時々、新聞などで記事になってましたがね」

 シーゲルが言うのは、フラゴンの放浪のことだと判った。それと、火星南半球でのフラゴンの姿に違いない。

「でも、ただ生きているなんてことはないでしょう。貴方は、幾つも作品を書き上げていらっしゃる。私は、それが貴方の生き方なのだと思っていましたがね。ま、これは私なんかが口を差し挟むことじゃないが」

「書かざるを得なかったと言うべきでしょうね。望んで書いたものかどうかは別にして。さっきの話だが、移民を受け入れたことが、何故、盗賊団を生む原因になったのか、私はそちらの方が知りたい」

「ああ、そのことですか。簡単なことです。移民と言うより、半分は農場の労働力として、移民省は移民団を火星に送り込んでくる。勿論、表向きは全員が開拓移民団です。ご覧の通り、耕すべき大地は無限にあります。開拓地や農場は表面積の五パーセント程度ですからね。しかし、開拓地にはまだ、飽和数以上の人間を養うだけの蓄えがないんです。そうなると、移民団の半分は、必然、南の農場が引き受けることになります。農場は自由契約ですから、辞めることも出来る。でも、農場を辞めた後、この火星の何処に行き場が在ると言うんです?」

 フラゴンはやっと納得してきた。

「こう言った兆候が見え始めたのは、ここ十五年程のことです。開拓地は、入植者しか住めません。一度、農場を辞めた者は、入植者としての資格を失うんです。彼らは、生きる為に奪うしかない」

「じゃあ、列車の警備の連中も、前は開拓移民団として、火星に渡って来た入植者なんですね?」

「半分くらいは。でも、大方は、企業が地球から呼んだ連中です。軍隊崩れや傭兵、民間の警備会社から雇われた連中ですよ。彼らは、南の農場や開拓民とは違います。誰も畑や田圃を作ろうとは考えていません。彼らは、目に見える危険な部分です」

「じゃあ、本当に強盗団がいるんだ?」

「ええ、居ます。尤も、もっと北の方ですがね。南部開拓地は、渓谷を挟んで北部開拓地とは隔離された、別の地域だし、強盗団が隠れる場所も少ない。まだこの辺りは保安局の保安団が頑張ってます。北部開拓地とデスモインは、範囲が広すぎて保安局では手がまわらない。北部開拓地については、鼻っから保安局は投げてますよ」

 シーゲルはどうしようもないと、忌々しげに鼻を鳴らした。

「そうですか。火星開拓移民団は、鳴り物入りの一大計画だったのにね。年月が経つとやっぱり綻びが出てしまう」

「北部開拓地は、最初の入植者を迎えた、一番古い開拓地ですがね。後になって出来た、南部や東部の開拓地ほど、条件も設備も整っていないんです。北部は荒地に真正面向いている分、厳しい土地柄で一番手が回らない」

 アルト・シーゲルはホッと大きく息を吐いて、フラゴンを見た。

「もうひとつ。貴方は、貨車に乗っている人達のことをご存知ですか?」

 フラゴンはつまらない質問をしたと思った。きっと知っているに違いないし、これは開拓地の人間にとって深刻な問題に違いない。

「知ってます。彼等は犠牲者です。元凶である移民局を正すことが、問題の根を枯らすことですが、その前に、犠牲者の救済をどうにかしなければなりません。早急に行う一番の問題です。だが、うまくいかない」

「やはり。いや、難しい質問をしてしまったようだ」

「実際のところ、複雑で難しい問題です。今のところ、これと言った手当てがみつからない。強盗団が狙うのも、実は彼等なんです。人間が拐われるのが現実です。彼等は商品ですよ。南部農場や鉱山へ売られるんです。信じられん話です」

「それで、保安局や移民局は動かないんですか? 徹底して盗賊団を壊滅させるとか、開拓地を守るとか、貨車の人々をもう一度、開拓地へ戻すとか……」

 フラゴンは、ぼろを着た少年の姿を思い浮かべていた。シーゲルは素っ気なく首をふった。

「無理でしょうな。原因を作っているのは、移民総局です。さっき話したとおり、余分の移民を受け入れて、南部農場へ労働力として送り込むのが目的ですから。それでも足りなくて、盗賊団からも人間を買うんです。開拓地を離れた者や、農場行きを断わって、行き場をなくした人々を口車に乗せて、騙す連中もいる。これが、火星の現状です。もしも、こう言ったことになりたくなければ、後は盗賊団に入るか、ナダの谷へ自力で辿りつくか、どちらかしか、方法は残されていない」

 フラゴンが口を開きそうになるのを、シーゲルは激しく首を振って拒み、こう言った。

「我々では、阻止する力も、溢れた人々を受け入れる余力もない」

「けれど、それだけの事が分かっているのなら、中央政府へ訴え出ることも出来るでしょう? 何故……」

 言いかけてフラゴンは止めた。

 地球は、国と言う概念を取り払い、地球そのものがひとつの大きな国(国家、あるいは共同体)となった。二十九世紀から三十世紀にかけてその動きは激しくなり、三十一世紀に輝かしい瞬間を迎えたのだ。それから四百年が経とうとしている。 

 輝かしい時代は過ぎた。州立政府は、昔を懐かしんでいる。自分たちは昔、国の一部だったのだと。再び、地球は分裂を望み始めている。州ではなく、国として自立することを。州による相互協力は、限界に達していた。国であった頃と同様に、州によって貧富の差がはっきりとしてきた。富める者は、貧しい者に贈り続けることに倦いている。地球の皺寄せは、月面都市や軌道上コロニー、そして火星に押し付けられていく。母体が、再び悲鳴をあげているのだ。

「ま、この辺で辛辣な話は終りにしましょう。簡単に説明できることじゃない。それより、フラゴンさん、本当に行く当てがないのですか?」

 シーゲルは、自分も行く当てのない放浪者のような情けない顔つきで言った。純朴な人柄が溢れてくる。

「はっはっはっ、大丈夫です。慣れてますから」

 思わずフラゴンは笑った。あまりにも、シーゲルが不安そうな顔で自分を見てくれたからだった。久しぶりに、人の温かさに触れた気がした。

「笑い事じゃありません。心配してるんです」

 怒った顔でシーゲルは言った。

「失礼。貴方を笑った訳じゃない。自分を笑ったんです」

 それから、フラゴンは不意に自分が惨めに思えた。

「どうなさいました?」

「貴方に比べたら、私は何の事はない、唯の役立たずだ。こう言う時はいつも自分の不甲斐無さを思い知らされる」

 嘘ではなかった。たゆまず生きる人の姿を見るにつけ、フラゴンは根を捨てた自分の中で、きあげてくる焦慮に躰を焼き尽くされるかと思う時があった。

「私も、旅の気楽さに、愚痴になったようだ」

 フラゴンはため息混じりに言った。あわただしい気分が心を占めてくる。

 当てもなく、旅の中で年月を重ねてきた。日々の暮らしに縛り付けられることはなかったが、そのかわり、暮らしにまつわる全ての努力と稔りはなかった。ただ、忙しさが、意味もなく気を急かせる何かが、常にフラゴンを追い立てていた。

 目の前の男は、開拓地で生まれ、開拓地で育ち、開拓地で死んでいくのだろう。今日のフラゴンには、そんな農夫の一生が羨ましかった。フラゴンには望むべくもない。また望んでもならないものだった。自身が生み出した作品の評価さえ認めたくはなかった。自分が選んだ仕事が家族を死へと導いた。もし、違う仕事を求めていたら、妻や子供たちを死なせることもなかったろう。フラゴンの心の中で今も燃えつづける、激しい自身への憎悪。それは、皮肉なことに、作品を書くことでしか、おさまることはない。人は、こんな非合理な、理不尽な世界で生きていかねばならないのか。

「あなたの一生は、きっと……、その静かな、満ち足りた光に包まれているのでしょうね?」

 フラゴンは逡巡ためらったが、そう聞いた。本当は、貴方が羨ましい、貴方の最後は、美しく静かなものだろうと言いたかったのだ。

「冗談を言っちゃいけません。私達は、生きるべき処で生きていくように運命められているんです」

 シーゲルは、フラゴンから何かを感じ取ったようだった。続けてこう言った。

「きっと、見つかりますよ。私の親父がよく言ってました。扉はいつでも開かれる。求め続ければ、幾つになっても。例え、それが余命一日の、人生の黄昏であろうと。求める道ならば悔いはないってね」

「求めているものはない」

「そう、でも、決して消えないものもある。私は、子供を開拓地で亡くした。三人……。それは、私も妻も決して忘れられない。病気でした。でも、病気だろうと事故だろうと、戦争だろうと、諦めろと言って諦めきれるものじゃない。私は、子供を守れなかった。だから、私は、評議委員になって、新しい命を守ろうと決心したんです。開拓地を受け継いでいく若い命をね。ねえ、フラゴンさん、それが、私に出来る精一杯なんです」

 アルト・シーゲルは窓の外に眼を向け、それっきり黙りこんだ。重い沈黙だった。それは、フラゴンへの問いかけだった。あなたはどうですか。

 無意味な死。

 そんな死があるのだろうか。フラゴンを取り巻く闇は、最初から闇だったのだろうか。輝く光を振りまいていた思い出が、生身の体をもった日々が、或る日突然闇に変わったのだ。それは、誰にでも訪れるものだろうか。それともある人を狙って、人生のある瞬間、猛獣のように襲いかかってくるのだろうか。


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