第一章 北へ-3


 列車は再びのんびりと動き出した。フラゴンは右手の荒地を眺め、その奥のくすんだ緑の一帯へ注意深い視線を送った。チーサと呼ばれた娘が暮らす開拓地だ。南部開拓地の北の外れに近い。ここから列車は、深い渓谷へ入っていく。南部と北部を隔てる渓谷である。北半球で言う南部と北部は、開拓地のことである。

 南半球では、農場と呼ぶ。北半球では、開拓地と呼ぶ。南半球では、農場は工場と言うのと同じ響きを持っていた。実際、農業企業であり、農産物工場と言う方が相応しい。隅々まで整備され、計算された土地が平坦に広がっている。最初フラゴンは、これが新しい農場、農業の在り方なのだと納得した。火星は本当に、重力と大気と熱を取り戻したのだと。この惑星は、命を育てる力を持ったのだと思ったものだ。

 目の前に広がる風景は、たしかに美しかったのだ。美しすぎるくらいだった。理想的な美しさと言っていいだろう。けれど、フラゴンはこの美しさが、計算された美しさだと気付いた。祖父と歩いた田園の風景は、同じように美しかったが、人の手が何百年にも渡って作り上げてきた美しさだった。人と自然の闘いによって生まれた、張り詰めた緊張感を持つ深い美しさだった。

「南半球の美しさは、設計され、管理された美しさだったな」

 フラゴンは、まだ荒地の方が多い開拓地の風景をみつめて言った。この景色のほうが自然と呼ぶに相応しい。

「よろしいですか?」

 ひそやかに声が呼びかけてきた。

 フラゴンが目を上げると、通路に男がひとり立ってフラゴンを見ていた。

 牛を思わせる大きな躰で、目も牛のようにぎょろっと動く。顔も手も日に焼け尽くされている。五十を過ぎていると見えた。

「お邪魔でなければ。鉄道の旅は退屈でしょう。話し相手が欲しくてね」

 男は笑いかけてきた。笑うと、愛嬌のある顔になる。

「どうぞ、私も退屈していたところですよ」

 フラゴンは答えた。話し掛けてきた男に興味を覚えていた。

 男は意外に素早い動きで、フラゴンの向かい側に腰を降ろした。

「私は、北部開拓地のアルト・シーゲルです」男は名乗った。

「シルヴィウス・フラゴンです」

「私はさっきの駅から、この汽車に乗りましてね。昨日は、妹のところに泊まりました。妹はスルギ村にいます。私と同じ開拓地の出身です」

 アルト・シーゲルは、親しげに話し掛けてきた。彼の目は、興味深げにフラゴンに注がれている。

「私は、北部開拓地のタード郡まで帰るところですが、失礼ですがフラゴンさんはどちらまで?」

 シーゲルの問いかけに、フラゴンは口ごもった。目的地など決まっていない。

「ナダの谷へ、行こうと思っています」

 咄嗟にフラゴンはそう答えた。男が頷く。もの問いたげな表情はそのままだった。

「ナダの谷に、どなたかお知り合いでも?」

 男はパイプを取り出し、宜しいですか? と聞いた。

「どうぞ。いや、知り合いがいる訳じゃありません」

「そうですか」

 アルト・シーゲルはパイプに火を点け、ゆったりと煙を吐き出した。

「暑いでしょ、もうすぐ秋は終わりだと言うのに」

 シーゲルは言葉を切り、フラゴンを見た。

「私たち開拓地の人間は、他処者には敏感なんです。あなたがどういう人か、急に興味が湧きましてね。南でも北でも、あなたのような方はあまり見ないもんですからね」

 アルト・シーゲルの言い方は遠慮がなかったが、逆にフラゴンには心地良かった。

「私は、火星に住んでいる訳じゃない。それに南半球の、政府や企業に所属してもいないし、開拓地の人間でもない」

「それに、東部の鉱山の臭いもしないし、ナダの谷でも、西部の研究者でもない」

「火星では、私のような旅行者は珍しいようですね?」

「旅行者?」

「ええ、旅行者です。今のところ、そうとしか言いようがない」

 フラゴンは答えた。

「この火星で旅行を?」

 シーゲルは、目を見開いてフラゴンの顔を覗き込んだ。

「南半球には、少しはいますよ」フラゴンは付け加えた。

「しかし、こっちでは、前代未聞ですな。旅行者とは……。珍しいと言うより、酔狂にも程がある」

 いやはやと、シーゲルはかぶりを振った。呆れたと言う感覚を通り越して、シーゲルの表情は辛辣なものだった。

「北半球ではと言う意味ですか?」

「そう。南では、これから荒れ地の真ん中にリゾートを造るそうですが。あんなものは、金持ちや退屈した変り者の只のお遊びです。いや、それにしても只の旅行者と言うのはわたしゃあ、初めてお目にかかりましたね」

 シーゲルは、面白そうに口許を歪めた。そりゃ面白いだろうさ。だが、自分が旅行者であることに変わりはない、フラゴンは黙ってシーゲルが面白がっている様を眺めた。今までも、色んな好奇の眼で見られてきた。こう言った反応には慣れている。

「まあ、貴方がそうだと仰るのですから、実際そうなのでしょうな」

 シーゲルはもっと何か言いたそうだったが、どうにか自制したらしくそう言ったが、口許はまだ笑っていた。。

「北は開拓地だと聞いていたので、もっと緑が多いかと思ったが、まだ手付かずの荒れ地の方が多い」

 フラゴンは構わず、自分の訊きたい事を優先した。

「そりゃそうです。開拓地は、南のように資本も企業の肩入れもない。最初から、機械化も禁じられてきましたからね」

 フラゴンは、南半球の農場を思い浮かべた。人工的な美しさ。

「火星を、第二の地球にしない。自然を育てる。このふたつが、火星を再生した時に揚げられた命題でしたから。せいぜい耕運機や刈り入れのコンバイン程度で、後は牛馬を使います。私たちは、そうやって百年近くやってきた。それで、やっとここまで自然を根付かせることが出来たんです」

「私が最初に見た農場でも、そう言えば機械は殆ど使っていなかった」

「政府機関であれ、企業の農場であれ、それは同じです。重工業を火星に持ち込むことは禁止されています。火星はこれから、地球を支える穀倉惑星としても、人類の新しい住処としても大きく発展していくでしょう。その基礎が、やっと形になってきたところです」

「私は、月面都市や軌道コロニーも見てきたが、火星が一番自然に恵まれている」

「ほお。色んな処へ旅してるんですな。誰かを探しているとか、何か目的があるんですね?」

 好奇心を抑えきれず、シーゲルは質問と一緒に身を乗り出してきた。

「いや、そうじゃありません。何となくね」

「へえ。暢気なもんですな。で、どうです、火星は?」

 シーゲルは、いよいよもって面白いと言う顔で聞いてきた。フラゴンは、ちょっと戸惑った。この馴れ馴れしい男は、何が聞きたいのだろう。

「南と北は、別世界ですね」

「そうでしょうな」

 シーゲルは、誰が見たってそうだと言わんばかりの顔をした。

「開拓地の貴方から見てもそう思うのですね?」

「さっき、強盗団に襲われたらどうすると、駅長に文句を言ってる馬鹿な人がいましたが、あれは南の人間です。何が強盗団を生み出したか知らない人間のたわごとですよ」

「ああ。私も見ました。実際は、どうなんです。移民総局の役人も、そんなことを言ってましたが」

「ええ。貴方、火星のことをご存知ですか? つまり、火星の歴史を?」

 アルト・シーゲルは聞いた。フラゴンは首を振った。

「私は、村の評議委員をやっていましてね。それで、火星の歴史についても、ちょっと調べてみたことがあるんです」

 シーゲルはちらとフラゴンを見た。

「聞かせてください」

「ご存知でしょうが、火星の歴史は、つまり始まりはと言う意味ですが、地球が抱えるさまざまの問題と密接に結びついています。火星が最初の開拓移民団を迎えたのは、地球暦でほぼ二百年前、火星では百年前です。火星と地球では公転軌道が違いますからね。火星の一年は、地球の二年に近い。で、開拓団が火星に降り立つまでに、その前の準備の為に、火星は更に二百年の再生の年月が必要でした。大気や重力を取り戻す為に。再生が可能となったのは、地球再構築計画が成功したお陰でしてね。地球の砂漠が緑を取り戻したのは、そう古いことじゃありません。この計画がなければ、火星は月面都市と同じに、泡のようなドーム都市でいっぱいになっていたでしょうな」

「地球緑化計画は、たしか二十八世紀のことですね。技術的なものが、火星に応用されて、火星の再生が可能になった?」

「その通りです。しかし、最初から、火星の北と南とでは、目的が違っていたんです。南は、経済投資によって、中央政府と州立政府、それから企業のものだった。北は、開拓移民団の実験場だったと言っても過言ではないでしょうな」

「実験場と言うのは、あまり穏やかじゃないな」

 フラゴンは、咎めるように言った。

「じゃあ、パイロットファームとでも言えば、美しく聞こえますか?」

 シーゲルは強い口調で答えた。不服そうだった。

「あなたの言葉では、開拓地が何かに圧迫されているように聞こえるのだが」

「火星じゃみんな知ってることですよ。知らないのは地球だけです。言い換えれば、お偉い方たちですよ。火星の現状を把握しようともしない。移民総局は埒があかない。地球の移民省は今では日陰に隠れて、実質はないのと同じだ。そのくせ、開拓の進み具合が遅いと、文句だけは言ってくる。いいですか、自然なんてものは、耕せば生まれるというもんじゃない。耕したばかりの大地は、まだ、自然じゃない。物を育てる力なんてないんです。耕して丹精して、初めて作物を育てるだけの養分、力を持つんです。それを、お偉方は何もわかっちゃいないんだ」

 シーゲルは大きく息を吐き、

「いや、失礼。移民総局へ陳情に行った帰りでしてね。つい、気持ちが荒れたままで。愚痴になってしまいました。貴方には、とんだとばっちりだ」

「私は、酔狂な旅行者ですよ、シーゲルさん。私が何を聞いても、誰に話すと言う訳じゃない」フラゴンは言った。

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