第一章 北へ-2


 ブレーキが悲鳴をあげ、列車が引き攣るような音をたてて停まった。

 うとうととしていたフラゴンは、心地良い睡みから突然に追い立てられる不満に鼻を鳴らし、わずかに眼を開いて外を見た。

 小さな駅だ。しなびた緑と強い陽射し。夏だと言うのに、空は高く感じられた。それは火星の重力のせいだった。

 地球の八割ほどの重力しか持たない火星は大気密度も低く、空は地球より高く乾いていた。惑星の質量の問題でもある。質量と重量は比例する。

 木々の葉は、白茶けて葉先が縮んだように見える。水も火星では貴重な資源だった。それは、百年前(地球暦二百年)も今も変わらない。

「四十八分の停車です」

 乗務員の間延びした声が、停車時間を放送する。

 自然とフラゴンは苦笑いを洩らした。

 この赤茶けた惑星は、なんてのんびりしているのだろう。

 何百年も、時間を捲き戻したようじゃないか。

 フラゴンは座席から立ち上がる時、重い腰を伸ばすのに呻き声をあげた。とにかく外へ出たかった。地面に立ち、自分が歩けることを確かめたい。

 通路を出口へ向かいながら、フラゴンは上着の奥の護身用の銃に、そっと触れてみた。体温で温められた、生温い金属の感触があった。

 この銃は、南半球で知り合った中央政府の役人がくれたものだった。彼は、フラゴンのファンだと言って、自慢した。

「むこうは危険ですから。何かの役に立つでしょう」

「そんなに危険なのかい?」

「いや、念のためです。脅かす訳じゃありませんがね、近頃、強盗団が頻繁に列車を襲っています。鉄道には警備隊が乗っていますからね、まず大丈夫でしょう。連中は、間違いなく自分の仕事を遂行します」

 役人の言葉は、逆にフラゴンを不安にした。頻発する強盗団を捕まえないのかと聞きたかったが止めにした。行って見ればわかる。変に不安な顔を見せると、また北へ行くことを止められそうだったからだ。火星では、北と南では考え方が違うようだった。南の人間は、北半球を野蛮な土地だと言った。

 列車の外に出ると、強烈な陽射しがフラゴンを焼いた。夏も終りだというのに、秋の気配はどこにもなかった。南半球の寒さが懐かしい。向こうは、やって来るのは春だ。だが、こっちはすぐに寒くなると聞いていた。

 列車がつくる影の中に、制服を着た男たちがいた。役人が言った列車警備の男達だ。男達はフラゴンを見たが、すぐに眼を列車の後ろの方に戻した。彼等が見張っているのは客車ではなく、後ろの貨車のほうだ。フラゴンは、制服の男達を避けて駅舎へ歩いた。警備隊の男達は、まともな男達には見えなかった。

 こう言った連中を、フラゴンは公転軌道コロニーや、月面都市の片隅で見たことがある。彼等は繁華外の場末にたむろし、色んな商売をして生きていた。薬物の売買、盗み、人殺し。制服の男達は、彼等にそっくりで、悪いことに、鉄道会社に身分を保証され、武器を持ち、機会があれば正当に使用することが出来た。制服が警備隊の男達を守っているのだ。場末の連中より、やることはあくどいだろう。彼等はそんな臭いを発散していた。

 フラゴンの背後で、貨車の扉が開く音がした。制服の男たちが鋭く眼を光らせる。

「ぞろぞろと降りて来やがったぜ」

「ここまで臭いがしそうだ。俺は奴等を見ると、意味もなく殴り倒したくなるんだ」

「あれでも大事なお客様だ」

「中には、たまにいい女が混じってるときもあるしな」

 フラゴンが通り過ぎる時、制服の男達のそんな言葉が聞こえた。その後、男達は遠慮のない下卑た笑い声を上げた。

 粗末な駅舎に入る前、フラゴンが列車の後ろを見ると、貨車の側に二十人ほどの人の群れがかたまっているのが見えた。人々はいちように粗末で汚れた服を着て、疲れていた。まるで囚人のようだった。

 のろのろと動き回っていた。手に古びた水筒やパックを下げていた。水を汲みに行くのだ。人々は、貨車で北へ行くところだった。

「ファルエメェット鉄道は、どう言う心算なんだね、何故あんな連中を平気で列車に乗せてるんだ?」 

 フラゴンが駅舎に入ると、乗客のひとりらしい肥えた男が、駅長を怒鳴りつけていた。

「別に、規約違反じゃありませんよ、お客様。それに、彼等はナダの谷からまた南へ引返すんです。彼等は南部農場の貴重な労働力ですよ。鉄道が、彼等と契約を交わしたんです」

 痩せた野良犬のように狡賢い目を細めて、駅長が答えた。

「失礼ですが。お客様も、南部農場の方ではありませんか?」

 肥えた乗客の男は、ちょっと言葉に詰まったが、

「言われなくとも判っている。だが、私は、ああ言った宿無しどもは、別の便でまとめて運べば良いと言っているんだ。近頃じゃ、あいつらを狙って強盗団が頻繁に出るそうじゃないか。私は面倒に巻きこまれたくないだけだ。巻き添えを喰って怪我でもしたら、責任は鉄道にあるんだぞ」

 男は言った。

「大丈夫ですよ、お客様。そのために腕っこきの警備部隊が乗りこんでいます。それに、ここだけの話ですが。貨車は最後尾、万一の時には切り離します。それで、一件落着です。そうでしょう?」

 駅長は抑揚のない、博物館の説明係のように喋り、帽子をとって慇懃に頭をさげた。もうこれ以上は何も言うことはありませんよ、と言う顔で。

「だが、しかしどうも感心しないやり方だな。安全という意味でだが」

 ぶつぶつと言いながら、男は、暑い、暑くてかなわんと声を張り上げた。

 フラゴンは男と駅長の後ろを過ぎ、簡易食堂へ入った。食堂と言っても駅舎の端の一部屋で、表にむかって開かれ、外にもテーブルが置かれているといった簡単なものだった。外のテーブルの上には、屋根の代わりに色あせたタープがはためいている。 

 それでも、列車の中に居るよりはずっと快適だった。他の乗客も、長い停車時間を潰すために、食堂のテーブルに座っている。

 フラゴンは冷たい飲み物とサンドイッチを注文した。力のない木々の影が、テーブルのそばに落ちている。わずかな影は、木々のむこうの大地を照りつける陽射しの強さを、よけいに際立たせていた。

 霞んで薄汚れた大気の中に、かすかに緑のかたまりが窺えた。きっとあれが、一番近い開拓地の村なのだろう。駅の簡易食堂は、ほとんどが、鉄道の営業許可を取った開拓地の人々が経営していると聞いた。もっと北に行くと、駅長も開拓地の入植者が兼ねているところもあるそうだ。そう言えば食堂の店員は、駅長や制服の男達とは違って、フラゴンは親しみが持てた。きびきびと洗練されたものは何ひとつなかったが、のんびりとして穏やかだった。

 どうやら一息つけそうだ。行く当てがある訳ではなかったが、早くこの鉄道の旅を終りにしたかった。今度は、どこかで落ち着くのもいい。たしかに、ドームに包まれた都市や、コロニーの人工重力の回転の中で暮すよりはずっと良い。荒々しいが、自然の大地と空と太陽がある。この旅も、長いことはないだろうが、今フラゴンは疲れていた。あてもなく旅をしている日々。渡り鳥は季節を知っていたが、フラゴンには行き着く場所も、渡って行く大陸もない。

「良かったら、もう一杯いかがですか?」

 顔を上げると、若い娘が、飲み物が入った瓶を持って立っていた。

「あ、ありがとう。いただくよ」

 娘は十五、六だろうか。日に焼けて健康そうだった。

「あなたは、この近くの開拓地の娘さんなのかね?」

 フラゴンが訊くと、娘はうなずき、

「南部開拓地のスルギ村です」とこたえた。

「スルギ村は古いのかい?」

「ええ。第六期の火星開拓移民団ですから、もう六十年以上になります」

「地球では百年以上経つ計算になるね」

「はい」娘ははにかむように微笑んだ。

「そうだ、煙草はあるかね? 細いシガーが良いんだが」

「あります。スルギ村の煙草は上等です。私も、葉煙草を作るんです」

 娘は、労働に荒れた指をそっと、瓶の陰にひっこめた。美しい仕草だ。若い娘は、どんな処に住んでいようと、自らの美しさを夢見る。

「そう。じゃあ、ケースに入ってなくてもいいから、百本ほどもらおうか」

「すぐに持って来ます」

 娘は瓶を抱え、食堂の奥へ小走りに駆け込んでいった。

 フラゴンは、娘が竹を編んだ衝立の陰に消えるのを、ぼんやりと眺めた。それから、制服の男達の会話と、駅長と乗客の会話を思い返した。不愉快だったが、これが火星のもうひとつの顔なのだ。自分の生命を支えるものはなんだろう。あの乗客のように、自分の命を一番に守りたいとは思わなくなった。自身の命も、家族が津波に呑まれた海岸へ、置き去って来た気がする。

 火星南半球の、整備された美しい大農場の風景が浮かぶ。すべて、州立政府か企業の管轄農場である。経営と言った方が解り易い。個人の農場は、南半球にはない。 

 それに、高い建物もだ。農場は、広がる波紋状に、同心円を描いて広がっている。その中心にあるのが、地球中央政府直轄の大農場。地球や月面都市、公転軌道コロニーからやって来る船が発着する宇宙港。火星中央空港が並び、あわせて火星内航行の飛行船港がある。他に、中央政府と州立政府機関の建物が並んでいる。同心円状に広がる農場の一角は、政府機関と企業に従事する者の居住区だった。恰度、円の中心から東へ十キロほど行ったところである。

 居住区と言う殺風景な言い方は相応しくない。ひとつの大きな町である。南半球の人々は、ここを火星の首都と呼び、都だと言う。ネオ・マーズと言う糞面白くもない名だ。火星の首都、ネオ・マーズには、地球の縮図がある。それは月面都市にもあり、公転軌道コロニーにもある。権力と政府と社交界だ。力と名誉と金である。

 政府があり、企業が形成する農場と空港があり、劇場と踊るためのホールがあり、派閥の為のサロンが開かれる。月面都市では場末と呼び、コロニーではスラムと呼ぶ。それだけの違いだ。生まれるもの、囁かれることは同じだ。フラゴンが南半球を離れた理由のひとつでもある。

 フラゴン自身が注目を浴びたことも理由のひとつだが、それ以上に、南半球の風潮がフラゴンを嫌にさせた。力と名誉と金の風潮である。それは、頽廃と無気力と混沌の代名詞でもある。

 表面では、火星はひとつと言うが、中に入り込むと、南半球の人々は、北を軽蔑していた。開拓地の入植者を農奴扱いし、無学な連中、進歩を望まぬ愚かな百姓どもと公然とけなした。開拓地の先を荒廃した大地と呼び、極北に近いデスモインは、無頼漢の巣だと言った。

 デスモインは、開拓地より先に拓かれた、北部自由居住地帯のことである。デスモインの中心はナダの谷だと言う。フラゴンが行こうと思っているのは、このナダの谷だった。鉄道の北の終着駅でもある。開拓地は火星開拓移民しか住めないし、その先の荒野には住む人もいない。


「実際あそこには、まともな人間は住めません。第一、住もうとも思わないでしょう。北は南とは根本的に違います。本当に行くおつもりなのですか?」

 移民局の役人は、何度もフラゴンに尋ねたのだ。そのしつこさは、フラゴンを苛立たせた。

「勿論、行くよ。だから、こうやって便宜を図って貰っている。もし、迷惑なら私はこのまま勝手に出発してもいい」

 フラゴンは火星移民総局のじれったさにうんざりしていたので、本気でそう言ったのだった。移民局の役人は意外な程にあわてた。フラゴンの作家としての名は、この火星でも充分に通用した。地球以上に、フラゴンのような有名人は、貴重な存在なのだ。火星の南半球は、地球に対して、負い目を持っている。地球はまだ、すべての中心であり、彼等を動かす核だった。地球に比べれば、火星は拓かれる途中の田舎に過ぎない。

 いくらネオ・マーズが火星の首都であろうと、地球は政治と経済の源なのだ。地球から眺めれば、火星はひとつの惑星でしかない。火星の北と南の違いなど、蚤と虱の違い程度だった。

「たしかに、想像していたより、北は南とは違いすぎる。まるで、別の国にいるようだ」

 この二日の汽車の旅で、フラゴンはそのことを肌で感じ始めていた。

 二杯目を飲み終わっても、娘は戻ってこなかった。フラゴンは催促するつもりで、椅子から立ち上がり、娘が消えた竹の衝立の方へ歩いて行った。

「こっちへ来ては駄目よ。さ、ここで食べちゃいなさい」

 さっきの娘の声が、衝立の向こうから聞こえてきた。

 フラゴンは足を止めた。衝立の隙間からそっと中をのぞきこむと、間近に娘の横顔が見え、向かい合う少年の姿が半分だけ見えた。

 貨車に乗っている子供だ。フラゴンは少年を見て、そう判断した。着ている物は垢じみて汚れていたし、髪は埃で逆立ち、靴は足の倍くらい大きいのを、スリッパのようにつっかけて履いていた。

「見つからないうちに、早く食べちゃいなさい」娘がもう一度言った。

 少年はかぶりをふり、手にした食べ物を後ろに隠した。

「どうして食べないの?」

 娘の声が少し強くなる。少年は足先に眼を落とし、聞こえないくらいの小声で答えた。

「妹がいるんだ」

 少年は二、三歩後ろに退がった。娘は容器の蓋をあけて、パンを二個取り出し少年の手に押し付けた。

「余計なことをするんじゃない」

 声と一緒に少年は襟首をつかまれていた。

「父さん」娘が叫んだ。

「チーサ、余計なことをするなとあれほど言っておいたろう。馬鹿なことをするんじゃない。何度言ったら判るんだ」

 少年は襟首をつかまれたまま、声もあげない。娘は父親の手にしがみつき、少年をふりほどいた。自由になった途端、少年は逃げ去っていった。

「あたし、黙って見てられない」

 娘は父を睨んだ。

「情けをかけてみろ。毎日何十人もの連中が、水と食べ物を貰おうと押し掛けて来るぞ。そうなったらどうする?もう、わしらだけじゃ手に負えなくなっちまう」

 父親は苛々した調子で言った。

「村で面倒を見たらいいのよ」

「それが出来たら、とっくにやっている。連中は村には入れない。移民総局のお達しだ。あの中には、開拓村を離れた連中もたくさんいる。だがな、一度土地と家を手放して開拓地を出た人間は、二度と戻ることは出来ないんだ」

 父親は振り返って、肩越しに少年が逃げた方を見た。

「南の農場と契約したあいつらは、もう開拓地の人間じゃない」

 そう言う父親の声に力はなく、重い感慨があった。

 フラゴンはそっと席に戻った。暫くして、娘が煙草を持ってやって来た。フラゴンは礼を言い、金を払って列車のそばに戻った。列車の後方、貨車の近くに、ビールを飲みながら貨車にもたれている制服の男が二人見えるだけで、少年の姿も、他の人々も見えなかった。制服の男たちに追い立てられ、貨車の中に戻されたのだろう。乾いた光が、影を濃くしている。

 フラゴンに気付いた男の一人が顔を上げ、探るようにフラゴンを見た。制服の男達は、忠実な番犬のように見えたが、貨車の影の中で光る白い目は、野良犬のようだった。男達の腰には、軍制式の大型拳銃が下げられている。拳銃と制服が、彼等を守っているのだ。フラゴンは、制服の男達を真っ直ぐに見返した。憎悪に近いものが、フラゴンの心を支配している。

「下等な奴等だ」

 フラゴンは舌打ちした。時折、今までに感じたこともない激しい感情が、フラゴンの中で湧きあがることがある。火星に来てからのことだ。火星の自然が、フラゴンを否応なく揺さぶるのだ。それが何故かは、フラゴン自身も判らなかった。

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