サイドストーリー
瑠衣の看病
朝、目覚めると、横でくっついて寝ている瑠衣ちゃんの体が妙に熱いことに気付いた。そして、胸の前で両手を握り、小刻みに震えているのである。
おでこに手を当てるとかなり熱い。
「瑠衣ちゃん、熱があるじゃないか」
「うー……、うぅ……」苦しそうにうめく瑠衣ちゃんの脇に体温計を挟み、検温終了の音がして取り出すと38℃。
もしかして昨夜は少し寒かったから、布団が一枚足りなかったかもしれない。ということは、これは布団を一枚追加することを怠った僕のせいである。なんとかしなければ。
熱が高いので、引き出しから冷却シートを取り出して、まずは瑠衣ちゃんの額に貼る。
時折こんこんと咳をして、苦しそうである。僕はまず瑠衣ちゃんに食欲があるかどうかを確認する。
「瑠衣ちゃん何か口に入れられる?」
「食べたくないのじゃ……」あれだけ食欲旺盛だった瑠衣ちゃんから弱々しい返事が返ってくる。やはり発熱で食欲がないようだ。
僕はキッチンへ行き粉末のスポーツドリンクをマグカップに入れて温かいお湯で溶かして、猫舌の瑠衣ちゃんでも飲める適温まで下げる。そして布団まで戻って、瑠衣ちゃんを抱き起こし、マグカップに入れたスポーツドリンクを口元に持っていき、
「瑠衣ちゃん、飲める?」
と聞くとこくんと頷いたのでマグカップの縁を口に当て、少しずつ飲ませてあげる。喉も渇いていたらしくゴクゴク飲んでいくが少しむせてしまう。半分くらい残してマグカップをテーブルに置いた。そこで再び寝かせてあげるが辛そうに顔を歪めている。しばらくどうしようかと考えあぐねていると、栄養錠剤の存在を思い出した。葛根湯と一緒に飲ませれば、体の抵抗力が上がって少しは早く楽になるかもしれない。部屋の隅に置いてある救急箱を開けそれらを持ってくると、
「瑠衣ちゃん、お薬だよ」半分残っていたマグカップのスポーツドリンクと一緒に栄養剤と葛根湯を口に含んでもらう。飲み終わると、瑠衣ちゃんは僕の首に手を回して、ぎゅっと抱きついてきた。どうやら相当辛いらしい。そのまま頭を撫でてあげると、瑠衣ちゃんは目をつぶって僕に抱きつく力を強めてくる。しばらくするとそのまますうすうと寝息を立てて眠ってしまった。
それから三時間ほど経つと、瑠衣ちゃんは半分目を開け、
「ヒナタ……、寂しいのじゃ、そばに居てほしいのじゃ……」
心細くて寂しい。それがひしひしと伝わってくる。僕がまだ一人の頃体調を崩した際に、苦しみが過ぎ去るのをじっと孤独に耐えていたその時の心境を思い出した。本来なら誰かが看病してくれる、心配してくれる。それにより寂しさや心細さ、苦しみが緩和されるのであるが、両親が突然この世から消え、途中からそれを享受することができなくなった。過去の自分の心境と今の瑠衣ちゃんの気持ちが重なり合って、それが痛いほどよくわかってしまった。
瑠衣ちゃんの隣に潜って添い寝し、瑠衣ちゃんの頭を腕枕して、背中に手を回し抱きしめてあげた。瑠衣ちゃんの手も背中に回ってくる。そのままゆっくりと背中を摩ってあげていると少しづつ落ち着いてきて、静かに寝息を立て始めた。瑠衣ちゃん早く治って、元気になってくれ……。
瑠衣ちゃんの背中に手を当てていると、僕もいつの間にか眠りの淵に引き摺り込まれていった。
日が落ちて目覚めると、少し熱が下がってきたのか瑠衣ちゃんは、
「お腹が空いたのじゃ……」と食欲が出てきたようなので、
「よし、すぐに作るからね」僕はキッチンへ向かう。少しでも塩分と栄養をとってもらうために、鍋にお米と水、出汁を入れ、卵とほうれん草も入れて煮込む。10分ほどで出来上がり、半身を起こした瑠衣ちゃんの布団まで卵ほうれん草粥を持っていく。レンゲで掬ってフーフーしたあと、
「瑠衣ちゃん、あーん」
と言うと瑠衣ちゃんは素直に口を開けてきたので、そのまま食べさせてあげる。もぐもぐと食べている様子を微笑ましく眺めつつ、僕の分も自分の口に運んで食べた。うん、我ながらいい味だ。
「おいしい?」と僕が訊ねると、
「うむ、美味しいのじゃ」とにっこり笑ってくれた。瑠衣ちゃんはぱくぱくと食べていって、すぐにお皿は空になった。これだけ食べられればもう大丈夫だろう。
お風呂のお湯をたらいに汲んできて、タオルを絞って、瑠衣ちゃんには上半身の服を脱いでもらい体を拭いてあげる。体は汗ばんでいて、大きな胸を見ないように拭くのは結構難しい作業ではあったが、病人に対してこんなことを考えたらダメだと自分を叱咤して頭を振る。拭き終わるとすごく気持ちいいみたいで瑠衣ちゃんは嬉しそうだった。そして新しいパジャマを着せてあげて、掛け布団を掛けてあげる。
「明日には治ってるといいね」と頭を撫でると、瑠衣ちゃんは、
「早く治して一緒に遊ぶのじゃ」と笑顔を向けてきて、僕はホッと一安心した。そして瑠衣ちゃんと添い寝して体を冷やさないように抱きしめると、瑠衣ちゃんも僕の背中に腕を回してきてギュッと抱きしめ合う形になった。お互いに相手の温もりを感じながら目を閉じると心地よい眠気がやってきて僕らは眠りに落ちていった。
翌朝、朝の微睡みの中、何かが僕のお腹の上によじ登っていく感触がして目を開けると、猫のように丸くなった瑠衣ちゃんがこちらを見ていた。昨日までの弱々しさはどこへやらといった感じで、顔色も良くなりすっかり元気になっているようだ。
「ヒナタ、おはよう、腹減ったのじゃ」
と、無邪気な笑顔を僕に向けてきて、起き抜けなのに笑みが溢れた。さらに瑠衣ちゃんは、
「ヒナタ、ありがとう。大好きなのじゃ」と僕に顔と体を擦り付けながら、瑠衣ちゃんはまた喜びをほほに浮かべた。ああ、瑠衣ちゃんが喜んでくれている……それだけで胸がいっぱいになる。瑠衣ちゃんを見ていると、こちらも自然と嬉しくなってきてしまうのだ。
お礼なんていい。彼女が苦しんでいる様を見て、放っておけるわけないんだから。すぐに回復に向かって本当に良かった。こんなことを考えていると、瑠衣ちゃんは僕にとってかけがえのない大切な存在だと改めて認識する。
「瑠衣ちゃん、大好きだよ」
僕がそう返すと瑠衣ちゃんはニコニコと嬉しそうに顔を擦り付けてくる。
「来週はどこか遊びに行こうね」
「行くのじゃ!」
こんな感じで、めでたしめでたしで終わるはずだったのだが、そうはいかないようで、
二日後、
その日は朝から体が重かった。瑠衣ちゃんが風邪をひいてしまった教訓で、上に薄い布団を一枚追加したにもかかわらず、昨夜は寝ている間がなんだか寒くて、瑠衣ちゃんと一緒に寝てるはずなのに体の震えが止まらなかったのだ。瑠衣ちゃんの方はというと風邪も快方に向かって全く問題なくすやすやと寝ていたようで安心した。
引き出しから体温計を取り出して熱を測ることにした。すると38.5℃もあるではないか。
これでは学校に行っても頭痛や気分の悪さでまともに授業を受けることができない。きっと教師の話を聞いている余裕なんて無いだろう。クラスメイトにも風邪を伝染させることになるし、無理して登校したところで、余計にひどくなって治るのが遅くなる可能性も高い。そうなるとさらに学校を長期間休まなければならなくなるし、僕の風邪をただばら撒きに学校へ行ったことになって迷惑がかかる。欠席しよう……。僕は学校に連絡を入れると、スマホを充電器に繋ぎ枕元に置いて、布団の中に入った。
「ヒナタ? どうしたのじゃ?」
起床したのにまた布団に入って、いつまでも起きようとしない僕に異変を察したのか、瑠衣ちゃんが顔を覗き込んでくる。
「ヒナタ、顔色が青白いのじゃ。大丈夫か?」と瑠衣ちゃんは心配そうに僕を見て、おでこをくっつけてくる。
「熱いのじゃ、高熱なのじゃ……、わらわが伝染してしまったのじゃ……」どうやら僕が瑠衣ちゃんを看病したことによって伝染したと、うしろめたさを感じているようだ。
「気にしなくていいよ」
瑠衣ちゃんの風邪ならもらっても構わないし、後悔もしていない。本当に気にしなくても良いのだ。
「大変なのじゃ、ヒナタが死んでしまうのじゃ……」
「ただの風邪だから、寝てたら治るから、心配しなくていいよ」
と、頭痛と喉の奥の痛みを堪えつつ優しく語りかけるが、瑠衣ちゃんはそのまましばらくくっついていたかと思えば今度は頬擦りをしてきており、ちょっと可愛いなと思ったりもする。しばらく僕の顔を見て眉毛をハの字にしたかと思えば、何かを思いついたかのように立ち上がって、スマホで何やら検索し始めた。操作方法を教えてからというもの、気付けば瑠衣ちゃんのスマホ活用率はどんどん上がっていく。
すると、何やらスマホを持ったままキッチンに行き、スマホの画面を見つつ無洗米と水を計量カップで計りながら鍋に入れて、火をかけている。これってまさか……と思っていると、瑠衣ちゃんが菜箸を片手にガスコンロの前で鍋の番をし始めた。やっぱり……僕のためにお粥を作ってくれている。
グツグツと煮えてくると、冷蔵庫から生卵を取ってきておぼつかない手つきで割り始める、すると殻が変な割れ方をしてしまったのか、殻の一部が鍋の中に入ったようで、瑠衣ちゃんは菜箸でつまみ出そうとして、なかなか取れなくて慌てている。その様子を見て、なんだか涙が出そうになる。
包丁を使えないからか、手でちぎったような浅葱をかけた卵粥のお皿が僕の前に置かれる。そして、瑠衣ちゃんがレンゲで掬ってフーフーして、
「ヒナタ、食べるのじゃ」と僕の口元に持ってくる。
「ありがとう……」両親が居なくなってから、こんな看病なんてされたことがなかった。体調が悪くなればいつも一人で苦しんで、回復するまでジッと耐えるしかなかった。その時は寂しくて心細くて仕方がなかったのだ。でもどうすることもできないから、苦しい時が過ぎるのをひたすら我慢しながら待つしかなかった。それが今は瑠衣ちゃんがこうして看病してくれている。その優しさや温かさが染み渡るようであり、寒くなっていた心を優しく包みこんでくれているようで、なんだか涙がポロポロとこぼれ落ちてきた。
「ヒナタ、何故泣くのじゃ? キツイのか? わらわが伝染したからか……?」
「瑠衣ちゃんから看病されて、嬉しくて泣いてるんだよ」
「そうか! ほらあーんするのじゃ」瑠衣ちゃんは笑顔でレンゲに乗せたおかゆをまたフーフーして僕の口の前に持ってきた。
ぱくっとそれを口に入れた。塩気もなく、ただの卵粥なのに、おいしい……こんなに心が温かくなる食べ物を口にしたのは初めてかもしれない。本当に美味しい……。
「ヒナタ、伝染してしまってすまんのじゃ……」
そう言ってまたレンゲにお粥を乗せてフーフーしてくれる。お皿一杯分のおかゆを食べ終えたところでお腹いっぱいになり、温かい物を胃袋に入れたことによって汗が軽く出始めた。
瑠衣ちゃんは立ち上がってキッチンに移動し、踏み台に乗りながら、ガサガサとあちこちの棚や引き出しを開けて何かを探し始める。手に取って確認しながら戻して、また探す。するとスポーツドリンクの粉末が入った袋を見つけて、ジッパーを開き、匂いを嗅いだあとに指でほんの少し舐めると、それをコップに入れて水を注ぎ始める。さらに部屋の隅にある救急箱から栄養剤と葛根湯を一回分取り出し、コップと一緒にこちらへ持ってきてくれた。
瑠衣ちゃん、自分がされたことを覚えていたのか……。
「ヒナタ、ゆっくり寝ておくのじゃ」と瑠衣ちゃんは僕のおでこに冷却シートを貼ってくれて、布団をかけてくれる。その隣に瑠衣ちゃんも潜り込んでくる。
「瑠衣ちゃん、伝染るよ」
「わらわはもう元気いっぱいじゃから、伝染らんのじゃ」と瑠衣ちゃんは笑顔で僕にくっついてくる。
体調悪くてキツイけど心細くないし、寂しくない……。ああ、なんでこんなに瑠衣ちゃんは優しいんだろうなぁ。
永遠の瑠衣 箱枝ゆづき @yuduki-hakoeda
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