第八話 瑠衣の隠された真実③ ヒナタの葛藤と苦悩
「わたしはこの稲荷神社の家系に産まれた巫女であると同時に、遺伝子工学研究所の研究員でもあるの」呆気に取られている僕に、彩芽さんは続ける。
「今は研究所という体を成しておらず、ただの猫又対策本部のようになってるけどね……。それもこれもひと昔前、今は亡き、愛猫家の教授の過ちが原因」
「どういうこと……?」
「教授は飼い猫をとても可愛がっていた、その飼い猫もよく教授に懐いていた。教授はいつも飼い猫と一緒だったわ。でも猫は人間よりも寿命が短くて、人間よりも早く永遠の別れがやってくる。ある日教授の飼い猫は年老いて息を引き取った。その時の教授の落ち込み方はまるで世界の終わりを見ているかのようだった。そこから教授は狂い始めたの」そして淡々と語り始める彩芽さん。
「ある日ついに禁断の研究に手を染めてしまう。それは、死んだ愛猫のDNAを使い、遺伝子工学の細胞培養技術によって再生させようとしたの。だけど、それはただ愛猫のクローンを作るだけに他ならない」彩芽さんは首を横に振って、
「愛猫のクローンを作っても、所詮は猫。さらにクローン個体は安定せず体が弱くてすぐに死んでしまう。そこで教授は愛猫の細胞に、自分の細胞を掛け合わせて培養してしまった。こうすることで、人間と同じくらい生きられる猫を作ろうとしたの」
そして手に持っていたネームカードをポケットにしまう。そして再び口を開く。
「結果、愛猫は子猫として生まれ変わったわ。でも、その子猫は人体錬成にも似た実験で人間の細胞との融合を果たしてしまったため、細胞分裂の際に突然変異が起き未知の細胞となっていることに研究員はまだ気付かなかった。何故なら同じ遺伝子の形をしているのに、中身の性能は全く別物だったから。例えるなら、同じボディに同じエンジンの形をしてる車でも、性能が桁違いということ。愛猫の寿命は飛躍的に伸び、何年、何十年経っても元気で教授に可愛がられたわ。そして猫なのに、教授の言いつけを素直に、従順に守るくらい知能が高かった。でも幸せな日々は続かなかった。愛猫よりも先に教授の寿命が尽きてしまったの。すると、今度は愛猫が取り残されてしまった」
彩芽さんはまた一息ついて話を続ける。
「孤独になった愛猫はその寂しさから、行方をくらましてしまった。その後に愛猫が落としていた、たった一本の体毛を分析した結果、研究員たちは気付いたの。あの猫は未知の能力を持ってる、人間の姿になる変身能力を有している猫又だということに。教授はこのような妖を作ってしまった事実を知られてしまえば愛猫が処分されると恐れていたのか、自身が生きている間これらを全て隠蔽していたことも判明した。さらに厄介なことに、あの子には猫との繁殖能力もあるということ。これは野良猫になれば、どんどん増えてしまうということなの。つまり猫又がどんどん増えるということ」
「それってまずいですよね……?」僕がそう言うと彩芽さんは静かに頷いた。
「その通りよ。だからわたしとわたしの仲間が急いで回収しようとしたのだけれど、野良猫と交配した後でもう手遅れだった。猫又は捕まえて毛を引っ張り、簡単に抜けないかどうかを確認しないと見分けることはできない。だから、しらみつぶしに野良猫を捕まえて猫又かどうかを調べる。猫又ではない野良猫には印を付け、猫又を捕まえたら処分を繰り返して、ようやくここまで数を減らせたの。しかし今も増えた猫又は生き残っていて、各地に潜伏している。あなたの家に居る瑠衣は、教授の愛猫の血を引いた猫又なのよ」その言葉を聞いてショックのあまり畳に手を突く僕。さらに追い討ちをかけるように彩芽さんが続ける。
「あなたが瑠衣のことを本気で愛してるように、そういう男性から庇護された猫又がまだたくさんいるはずよ。飼い主の男性が死んだあとに、猫又は必ず野に帰る。そうすればまた野良猫と交配して増えてしまうの」
「……」
「この連鎖を断ち切るためには、猫又を一匹残らず祓うしかないの。あなたは瑠衣の寿命が来るまで面倒を見ると言い出しそうだけど、猫又である瑠衣の寿命はとても長いの。それまであなたが生きていられる保証はどこにもない」
「……」
「しかもあなただけじゃないわ。わたしも、わたしたちの仲間も、瑠衣の寿命が来るまで待ってあげることはできないのよ」
それはそうだろう。僕が瑠衣ちゃんよりも寿命が短いのなら、普通に考えて同じ人間である彩芽さんも人間の平均寿命あたりほどしか生きられない。すると寿命が長い瑠衣ちゃんが生き残って孤独となり、野に帰ることになる。そうなればまた野良猫と交配して猫又が増える。そしてまた瑠衣ちゃんのような猫又を保護する第二第三の僕のような男が出てくる。これでは堂々巡りのいたちごっこだ。それはわかってる。わかってるが、僕には瑠衣ちゃんと永遠にお別れすることなど考えられないし、考えたくもなかった。考えたくないからこそ僕はずっと瑠衣ちゃんと一緒に居ようとしてきたのだから。
「でも……」僕がそう言いかけると彩芽さんは僕の唇に人差し指を押し当てた。
「でもじゃないの!」そして強い口調で言う彩芽さん。僕は黙るしかなかった。
「今わたしが言ったことをきちんと考えて欲しいの! あなたのエゴで人類が滅亡してもいいの!? 自分が死んだ後はどうでもいいとか考えてるわけ!?」確かに自分が消え去った後の世界は僕には関係のないことかもしれない。だけど、死んだ後は関係ないからと僕以外の他の人が好き勝手をしてくれると、残されて真面目に生きている人が迷惑する。極端な話それによって僕だけ生き残るような状況になったら、世界中で人類が僕だけになったりしたら生きていけない。しかし僕が瑠衣ちゃんを匿うだけで将来人類が滅ぶとか到底思えなかった。おそらく僕が生きてる間にはそんな状態にはならないだろう。それなのに瑠衣ちゃんを処分しろと、始末しろと。それこそエゴなんじゃないのか。僕にとって彼女は生きる理由なのだ。それを失ってしまえば、僕に生きる理由は無くなる。だから、僕は……、
「……嫌だ!! 瑠衣ちゃんは絶対に離さない!! 瑠衣ちゃんと一緒に居られなくなるのなら、死んだ方がマシだ!!」僕はエゴに生きる。たった一人の愛する瑠衣ちゃんを守れずして、何が男だ。例え命を落とすことになろうとも彼女を守ってみせるさ。
「……はぁ」ため息をつく彩芽さん。呆れ果ててものも言えないと言ったところか。それでも僕は構わない。彼女がなんと言おうと僕は意思を変えない。決意を固めていると彩芽さんが急に僕を抱きしめてきた。突然のことで戸惑う僕。
「ちょ、何をするんですかっ!?」
「あなたも教授のように寂しい人間なのね……。人の温もりを知らない、可哀想な人間」
そう言いながら僕の頭を優しく撫でてくれる彩芽さん。あれ……? この感覚には、何か覚えがある。僕が心の谷に投げ捨てて、二度と手にすることはないと誓ったもの。思い出せないし、思い出したくないもの。心が追い詰められていた僕は思わずそれを探しそうになったが、慌てて見て見ぬふりをする。そんな葛藤を繰り広げていたら、彩芽さんは僕の頭から手を離して立ち上がった。僕もそれに合わせて立ち上がる。彩芽さんは僕の目を真っ直ぐ見ながら話し始めた。
「いいわ、そこまで言うならわたしは止めないわ。ただし条件があります」
「条件?」なんだろう。僕の瑠衣ちゃんの命を奪わないでって願いはとりあえず届いたのか? 他に何をさせる気なんだ? 不安に駆られる僕を他所に、彩芽さんは言葉を続ける。
「まずはわたしに協力しなさい。あなたには猫又を祓う術を身に付けてもらうわ」
協力……? 祓う術……? そんなものどうやって習得しろっていうんだ? 僕には無理だと思うんだけど……。その前に、
「僕に瑠衣ちゃんを殺せって言うのなら、絶対にやらない」僕は下を向いたまま告げた。
「殺せとは言ってない。祓うと言ってるの」
「同じことだろっ!?」
「いいから聞きなさい! 猫又を『祓う』とは言ってるけど、やることはひとつ。この薬を猫又に投与するだけ」彩芽さんは僕に液体が入ったアンプルを見せる。
「この薬を猫又に投与すれば、猫又の中にある突然変異細胞は大量のカロリーを消費する急激な細胞変化が遺伝子レベルでできなくなる。早い話が、変身能力がなくなる」……それは要するに、猫又がただの猫になる。そういうことか?
ということは、これをもし瑠衣ちゃんに投与してしまったら、もう二度と人間の瑠衣ちゃんには会えなくなる。にゃあと鳴く猫の瑠衣ちゃんとしか。
「……そんなの投与したら結局瑠衣ちゃんと一緒に居られなくなるじゃないか!」と僕が叫ぶと、彩芽さんは僕を見据えて言った。
「何かを得るためには、何かを捨てなければならない。あなたは瑠衣を得るために人類を捨てるというの? もしそうなら、あなたはこれから先、味方になってくれる人類は居なくなってしまうわ。それでもいいの?」
そうだ、僕は瑠衣ちゃんのためなら何でも捨てられる覚悟はあるつもりだ。でも、人間が生きるためにはどうやっても人間と関わらなければならない。それが人間だからだ。全人類を敵に回してしまったら、僕は孤軍奮闘で瑠衣ちゃんをずっと守らなければならなくなる。国とは人との助け合いと援助で成り立っているからだ。それらが全てなくなれば間違いなくすぐにジリ貧となってしまうだろう。そして僕は淘汰されてしまう。それでは瑠衣ちゃんを守ることができなくなってしまう。
「よく考えて。何が正解なのか。あなたが生きるために何が必要かを、全てを捨てて全ての人類を敵に回して瑠衣と生きることが、可能だと思うの?」
そう言われても僕はまだ答えを見出せずにいた。すると彩芽さんは再び口を開く。
「今すぐ結論を出す必要はないわ。これはあくまで提案よ。ゆっくり時間をかけて考えるといい。でもね、これだけは覚えておいて」そして再び真剣な眼差しを向ける彩芽さん。
「人類として生まれたのなら、人類として生きなさい。あなたは人類なのだから」と告げられ、僕は何も答えることができなかった。彩芽さんはそれ以上は何も言わず、猫又の変身能力を奪う薬のアンプルを僕の手に握らせる。
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