第五話 変化

 翌朝目を覚ますと、既に起きていた瑠衣ちゃんが相変わらず寝ている僕のお腹の上で体を丸くしながら笑顔で、早く起きぬかのぅー、とでも言わんばかりな視線を送っている。猫と違って人間の姿なので質量差があり、お腹に乗られると少し苦しいかなと思いつつも、その笑顔を見た途端、昨夜のことがフラッシュバックする。なんとか踏みとどまったけど、危うく瑠衣ちゃんを穢すところだった。

「おはよう、ヒナタ」とペロっと頬を舐めてくれる。それだけでも心臓が変な鼓動をするのに、さらに擦り寄ってくる。僕は抱き寄せようと瑠衣ちゃんの腰に手をやると、急に瑠衣ちゃんはビクッと腰を震わせ、お尻をくいっと上げる。

 ……この反応は。

 猫と触れ合う動画で見たことがある……。尻尾の付け根あたりをポンポンと優しく触ると、猫はお尻を上げるのである。それはどうやら猫は尻尾の付け根が性感帯のようであり、ここを触られるとお尻が上がってしまうとのこと。

 ということは、僕は今、瑠衣ちゃんの性感帯を触ってしまったということになる。触った部分を確認すると仙骨のあたりである。もしも人間に尻尾があったと仮定し箇所を比べると、猫の尻尾の付け根とだいたい一致する。……まさか瑠衣ちゃんもここが性感帯だったとは。もう一回腰の仙骨付近を触ってみると、やっぱりお尻をくいっと上げて反応する。これはどう考えても感じているようにしか見えない。そう考えてたらどんどんムラムラしてきた。でも朝だし学校もあるので我慢するしかない。学校でまた悶々としてしまいそうであるが、もうそれは仕方がない。

 僕は瑠衣ちゃんを抱き寄せてギュッとしてあげた。すると彼女も嬉しそうにすり寄ってくれるので可愛くてしょうがない。

「ヒナタから触られると、気持ちいいのじゃ……ずっとこうしてたいのじゃ」と目を猫のように細めて僕の腰に両手を回してくる。だから僕もそれに応えるようにまたぎゅっとしてあげる。それからしばらく抱きしめ合ったまま過ごした後、二人で朝食を食べることにした。

 昨日からずっとこんな感じである。なんだかどんどんスキンシップが過激になっていってるというか、濃厚というか、まるでバカップルのようだとか、このままではいつ僕の理性が破裂するかわからない。

 好きなら体の関係を持つのは当然かもしれないが、それでも瑠衣ちゃんと肉体関係を持ってしまうのは純真無垢で素直な彼女を穢すような気がしてしまって、踏みとどまってしまう。しかし瑠衣ちゃんをめちゃくちゃにしたい衝動も同時に存在していて、これらが綱引き状態である。正直辛いです。

 二人で朝ごはんを食べ終えて洗い物を済ませると、玄関先で靴を履いて登校の準備をする。その間もずっと瑠衣ちゃんがぴったりくっついてくるのだが、ふと何かを思い出したかのように離れていった。少し寂しそうな顔をする瑠衣ちゃんに罪悪感を感じるが、それを悟られないように笑顔で手を振ってあげる。そうすると瑠衣ちゃんも手を振り返してくれるのだけど、その表情は少し悲しげである。

「ヒナタ、行ってしまうのか? わらわは寂しい……」

 そう言って抱きついてくる。今までこんなことを言わなかったのに。

 いや、実は前から寂しいと思っていたものの寂しさの度合いが許容範囲内のレベルだったためここまでの状態にはならなかったが、ここ最近急接近したために寂しさの度合いが許容範囲を超えてしまった。もしくは許容範囲が小さくなってしまった。そしてこんな感じで寂しさが我慢できなくなり引き留めてきた。その可能性が高いような気がする。

 僕はこのまま抱きしめて学校をサボりたい気分になったが、なんとか心を鬼にしてやんわりと離してあげると、悲しそうな顔で僕を見つめて来る。頭を撫でてあげると渋々と言った感じで手を離してくれた。そして僕は名残惜しい気持ちを抑えながら玄関のドアを開けようとすると、いきなり後ろから手を掴まれる。振り返ると、そこには目に涙を浮かべた瑠衣ちゃんの顔が。なんだかチクッと胸が痛んだ。ああ、女の子の泣き顔は本当に反則だ。特に瑠衣ちゃんの泣き顔は……。

「瑠衣ちゃん、今生の別れじゃないんだから、夕方には帰ってくるからさ」そう言って宥めてみるものの、彼女は首を横に振るばかりであった。

「どうしても行かなきゃダメなのか? やっぱりわらわを置いていくのか? もう会えないかもしれないのじゃ……」と言うので、僕は彼女の頭に手を乗せて撫でながら言う。

「大丈夫だよ、夕方にはまた会えるって」そう言ってあげるとようやく納得したようで手を離すのだった。

 玄関のドアを閉めたあと、瑠衣ちゃんのすすり泣く声が聞こえてくる。寂しい気持ちが痛いほどわかるだけに余計に申し訳ない気分になってくる。たかが学校に行くだけなのに、夕方には帰ってくるのに、僕は後ろ髪を引かれる思いでその場を後にした。瑠衣ちゃんのために無事に帰れるよう、事故とかにはマジで気をつけようと思った。……ああ、なるほど、僕はバカップルの気持ちをたった今理解してしまった。


 授業中にふと笑顔の瑠衣ちゃんのことを思い浮かべると、なんだか顔がニヤけそうになる自分を抑えつつも、授業が終わって家に帰る途中なのだが、ふと思いついた。

 瑠衣ちゃんはあれだけ寂しがるのなら、僕といつでも繋がれるように安いスマホでも持たせてあげようか。格安SIMのスマホなら月額料金も安いし、あれくらいの負担増なら問題がない。そして家にはWi-Fiがあるし、データ通信料は発生しない。よし、そうと決まれば早速契約してこよう。そう思って方向転換し歩き出す。僕はキャリアショップに行くと三十分ほど契約の処理を済ませて、瑠衣ちゃんにあげる新品のスマホが入った手提げ紙袋を手に帰路を歩く。

 何やら猫の鳴き声が聞こえてくる。それも、ぎゃああああという叫び声にも似た鳴き方。これは喧嘩している時の声にそっくりだった。今は春だし、発情期の猫も居るだろうし、オス同士がメスを巡って決闘でもしてるのかなと、特に気にせずに曲がり角を曲がった時、何やら金属製の手袋をした男二人組が三毛猫を地面に押さえつけている光景に出くわした。三毛猫は大声を上げて威嚇し暴れ、体を押さえつけられている手を引っ掻こうとしているが、金属製の手袋の前には猫の爪など歯が立たない。僕はその異様な光景に思わず民家の塀の影に身を隠した。そして半分だけ顔を出して覗き込む。

「猫又か?」

「いや、違う。ただの野良猫だ」

「ちっ、ただの人懐っこい猫か」

 男は三毛猫の首に金色に塗られた首輪を取り付けて施錠し放す。三毛猫は一目散に逃げ出し塀の上にジャンプし、民家の庭の中へ姿を消した。

「全く紛らわしいものを生み出しやがって。いい迷惑だ」と忌々しく吐き捨てて、男二人組は近くに停めていた白いワゴン車に乗って去っていった。……なんなんだあいつらは? 猫を調べていたぞ……? しかも猫又とか言っていた。もしかして瑠衣ちゃんが狙われているのか!? そう思った僕は急いで家へ走った。


 家の前につくと辺りを見渡す。瑠衣ちゃんの姿は見当たらないので僕がお願いしたとおりに家の中に居るのだろう。鍵を開けて中に入るといつも瑠衣ちゃんが待ち構えているのに今日は無反応。慌てて靴を脱いで部屋を確認すると、ベッドの上で僕の枕を抱きしめて寝ている瑠衣ちゃんの姿が目に入る。首には金メッキもどきのネックレスが光っている。

「よかった、無事だった……」

 僕はホッと胸を撫で下ろして、眠っている彼女の顔をよく見ると、頬に涙の跡があることに気付いた。どうやら僕の匂いがする枕を抱きしめながら泣き疲れて、そのまま寝てしまったようである。僕は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。僕はベッドに腰掛けて瑠衣ちゃんの頭を撫でながら謝るのだった。

「ごめんね、一人にして……寂しかったよね」すると眠っていたはずの瑠衣ちゃんが目を開けて、僕の方を見てくれた。

「……っ! ヒナタ!」瑠衣ちゃんは僕に抱きついてくる。

 そして頬をペロッと舐めてきて、熱烈に顔を擦り付けてくる。

「……良かったのじゃ……帰ってきてくれたのじゃ……嬉しいのじゃ……」と言って満面の笑みで頬に頬をくっつけてくる。今朝学校へ行って夕方に帰ってきただけなのに、まるで僕が出て行って数ヶ月待った後のような感じになっている。相当に僕のことが好きじゃなければこうはならない。そう思うと愛しくてたまらなくなり、自然と抱きしめる力が強くなる。するとそれに呼応するかのように瑠衣ちゃんも抱きしめ返してくる。

「寂しかったんだね」と言って頭を優しく撫でてあげると嬉しそうに笑ってくれる。でもまだ完全に不安が取り除かれたわけではないようだ。瑠衣ちゃんは不安そうに口を開く。

「わらわはヒナタと一緒に居たいのじゃ。ヒナタがそばに居るだけでいいのじゃ」……この子はただただ純粋に僕と一緒に居たいのだ。本当に僕を必要としてくれているのだ。あまりの純真無垢っぷりになんだか涙が出そうになる。ならせめて僕が家に居る間は好きなだけ甘えさせてあげよう。もういいと満足するくらいに。だから安心して欲しいなと想いを込めて優しく頭を撫でてあげる。

 そこで、さっき瑠衣ちゃん用に契約してきたスマホを思い出す。

「瑠衣ちゃん、これ」手提げ紙袋を差し出すと、

「なんじゃこれは?」と受け取り中身を漁り始める。そして箱からスマホを取り出すと不思議そうに眺めている。どうやらスマホをどう扱えば良いのかわからないようである。まあ、猫又だから当然か。

「僕と連絡取れる機械だよ」

 僕は充電ケーブルに繋いで電源を入れてやり起動させる。しばらくするとホーム画面が映る。僕は手早くLINEをストアからダウンロードしてくると、瑠衣ちゃんのアカウントを作成して、僕のアカウントと友だち登録しておく。これで、スマホさえあればいつでも瑠衣ちゃんとやりとりができる。授業中に着信音が鳴ってくれるのは困るが、それはこちらが授業の間サイレントモードにしておけば問題はない。すると瑠衣ちゃんは、

「そうなのか。どうすればいいんじゃ?」とスマホを見て唸っている。

 僕はとりあえずスマホのスリープ解除の仕方と、操作方法、LINEの使い方を教えてあげると、瑠衣ちゃんは辿々しい手つきで文字を打ち始める。しばらくすると僕のLINEにメッセージが入ってきた。

『ヒナタがだいすき』と。

 口で言われるのと違って文字で書かれるのは違った照れ臭さがあった。

「僕も大好きだよ、愛してる」と彼女の肩を抱くと、彼女は嬉しそうに微笑んでくるのだった。

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