第四話 束の間の幸福
あれから四日が経過した。この家に来たての瑠衣ちゃんは黒猫の姿以外ではあまり甘えてこなかったのだけど、今は人間の姿でもお構いなしに抱きついてきたり、頬を舐めたりしてくる。あの出来事からなんだか距離がかなり縮まったような気がする。
部屋で机に向かって宿題をしていると、瑠衣ちゃんは後ろから僕の肩に顎を乗せてきてその様子を観察している。ああ、密着度が半端ないんですけど……。これはあれだ、猫の動画で見たけど、主人が自宅でリモートワークをしてると自分に構ってほしくてくっついてくるあの行動にそっくりなのである。可愛いから僕はそのままにしておく。
「ヒナタはそのような文字を書いて面白いのか?」と訊ねてくるので、
「面白くはないけど、やらないと怠ける癖ついちゃうからね」と真面目に答えたら、
「ヒナタは頑張り屋なのじゃ」と明るい声で僕の頭の上に顎を乗せてくる。その体勢は後ろから胸に頭が挟まれるような形になってしまうんですけど。これは集中力を鍛える訓練になるぞと頭の中で自分を納得させようとするが、頭を挟んでいるものが胸であるのには違いがなく、なかなかな修行となったのは言うまでもない。
ある日の休日。洗濯物と布団をベランダに干すと、家事もひと段落つき時間にも余裕があったので、
「瑠衣ちゃん、今日はどこか遊びに行こっか。商店街にでも行く?」と僕が誘ってみると、
「そうじゃな! この前行った店は美味しかったのじゃ! また行こう!」と無邪気に喜んで快諾されたので、早速出かける準備をすることにした。外は晴天であり、絶好のお出かけ日和である。
二人で商店街まで歩いていく途中でも、瑠衣ちゃんは相変わらずベッタリと僕にくっつくように歩く。こうしてくっつかれると、大きな胸が当たるわけで。それを意識しないように若干必死になるわけで。
「あ、待つのじゃ! あそこはなんじゃ?」と瑠衣ちゃんの指の先にある店は、アクセサリーショップだった。しかも店内の物は全て三百円で買えるという激安の。
「ここは格安アクセサリーショップだよ、興味あるの?」と僕が訊ねてみると、
「うむ!」と言って中に入っていってしまったので慌てて追いかける僕。すると中には所狭しと商品が並んでいるのだが、ピアスやネックレス等の装飾品から、財布やスマホケースといった小物類まで売っている。それを楽しそうに眺めている瑠衣ちゃんは、ふとあるものに目を留める。
「これは!? 金の首輪じゃ!」と瑠衣ちゃんはちょっと太めのチェーンの金メッキのネックレスを両手で持って、キラキラと目を輝かせながら見つめている。それは金じゃなくて金メッキのような色に塗装したステンレスのネックレスなんだけど。
「も、もっと良い物買ってあげるよ? ここの安いし……」と僕が言うと、
「これが良いのじゃ! これじゃなきゃ嫌じゃ!」と金メッキもどきのネックレスを胸に抱いて離さない。どうやらこれが気に入ったらしい。初めて瑠衣ちゃんにあげるアクセサリーが三百円ってあまりにも安すぎて申し訳ないような気もするが、本人が気に入ってしまったのでどうしようもない。
会計を終えてショップを出て、瑠衣ちゃんにさっきのネックレスを付けてあげると、「わあ!」とネックレスを触りながらなんだか天にも昇る心地のような喜び方をして、ニコニコしながらショーウィンドウに映りこんだ自分の姿を見ている。まるで百万円くらいのネックレスを付けたかのように。
こんな安い物で、こんなにも喜んでくれている。なんて瑠衣ちゃんは純粋なんだろうか……。
そして今度は別のお店を指さして言う。
「次はあれじゃ! あ、あっちも見たいのじゃ!」と無邪気にはしゃぐ彼女の姿はとても微笑ましくて、ついつい笑みが溢れてしまう。本当に可愛いなぁ……と思いながら瑠衣ちゃんについていくことにした。
お昼になったので、瑠衣ちゃんと魚料理が美味しいと評判の定食屋にやってきた。ちなみにここに来るのは二回目である。そこでアジフライ定食に舌鼓を打っていると、
「こんな良い贈物を貰い、美味い飯を食える。夜は寝床もありヒナタと一緒に寝られる。ヒナタと一緒だとわらわは幸せじゃ……」と何やら心底幸せそうな笑顔で呟く瑠衣ちゃんの素直さに、僕はなんだか涙が出そうになった。こんなにも健気な子を、彩芽さんは殺そうとしていたのだと思うと許せない気持ちになる。それに退魔師とか言っていたけど、妖怪を祓うということは殺すということだ。つまり殺生を行うということ。
確かに人間は皆、何かしらの情を持った動物をある時は食料を得るため、またある時は作物を食い荒らす害獣を駆除という名目で殺生をしながら生きている。生きるためには、食料を得るためには仕方のないことだが、その殺生の対象が瑠衣ちゃんとなれば話は別だ。瑠衣ちゃんが猫又であろうと関係ない。彼女は僕の大切な家族である。僕が瑠衣ちゃんを守れればもうそれでいい。瑠衣ちゃんだけは何があっても守らなければならない。こんな子が消えてなくなるなんて考えたくない。
「瑠衣ちゃんは僕が大切にするからね」と言うと、
「わらわはいつまでもおぬしの傍に居るのじゃ」と満面の笑みを浮かべるので、僕は思わず彼女を抱き締めてしまった。彼女は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに僕に体を預けてくれる。
「ヒナタはわらわとずっと一緒」
僕の手に指を絡めながら瑠衣ちゃんは猫のように目を細めて笑った。
夕方になりそろそろ帰ろうかという時になって、瑠衣ちゃんが急に立ち止まって一点を見つめ始めた。
「どうしたの?」と訊ねると、
「わらわは怖いのじゃ。こんなに幸せじゃと、もしヒナタが居なくなったらわらわはひとりぼっちなのじゃ。そんなのは嫌なのじゃ。あの頃のようにひとりぼっちになりたくないのじゃ」と瑠衣ちゃんは僕に顔を擦り付けてきて、抱きついてくる。そんな彼女の背中を撫でながら思った。この子は僕と同じ孤独な状態だった。それも食べ物にも困ってた上に雨風をしのげる家もなく彷徨っていたことを考えると、僕よりもはるかにつらい環境だったに違いない。
「居なくならないよ、ずっと一緒だよ」そう言ってやると、瑠衣ちゃんは安心したようにニッコリと笑うのだった。
帰宅して洗濯物と布団を取り込み、夜になると、僕と瑠衣ちゃんはいつも通り一緒の布団で横になる。
「今日の布団は気持ちが良いのぅ」と、至福の笑顔の瑠衣ちゃんが布団の上で伸びをしたあと、僕の体に擦り寄ってきて頬をペロッと舐めてくる。そして嬉しそうに僕に顔をくっつけてきて、
「ヒナタ、大好きじゃぞ」満面の笑みで恥ずかしげもなく愛の言葉を言われた。こんなにストレートに言われると僕も照れるしかないじゃないか……そう思いながら僕も負けじと言葉を返すことにする。
「僕も大好きだよ、瑠衣ちゃん」そう言うと、また嬉しそうな顔をして僕の胸に顔を埋めてくる。そして僕の胸にスリスリと頬擦りしながら甘えるような仕草をするものだから、僕はだんだん瑠衣ちゃんの唇を奪いたくて仕方がなくなってきてしまった。今こんな雰囲気でキスなんてしてしまえば、僕はそれ以上のことをしそうな気がする。純粋で素直な瑠衣ちゃんにこんな穢すようなことはしたくない。そう思っていてももう愛しくて仕方がなくて、欲望が抑えきれなくなりそうだった。なので無理矢理唇を奪おうと顔を近づけていくと、なんと瑠衣ちゃんの方から僕の唇に唇を重ねてきたのだ。そして舌を絡ませてくる。舌の感触は柔らかくて温かくとても情熱的で官能的だった。僕は瑠衣ちゃんの舌の感触に脳髄がビリビリと電流を流されるような快感に包まれてしまった。
「んん……、ヒナタ……」瑠衣ちゃんは僕に強く抱きついてきて、大きな胸を押し付けてくる。
「……瑠衣ちゃん、このままじゃ僕、瑠衣ちゃんを襲っちゃう」僕の言葉を聞いてるのかいないのか、さらに舌を絡められて唾液を交換し合ってしまう。お互いに舌を吸ってしまう。瑠衣ちゃんの舌が僕の口の中で暴れ回り、舐め回してくる。僕はあまりの気持ちよさに頭がクラクラしてきてしまった。このままではダメだと思い口を離そうとするが、瑠衣ちゃんは僕の頭を押さえつけて離れないようにしてキスを続けてくる。やがてお互いの唇が離れると、透明の糸が引いていた。
「はぁ、はぁ……ヒナタ、ヒナタ……」切なそうな声を上げながら、僕の背中をきつく抱きしめてくる瑠衣ちゃん。このまま服を脱がしてめちゃくちゃにしてしまいたい衝動に駆られた。だが、それをしてしまうともう後には戻れなくなる。純真無垢で素直な瑠衣ちゃんではなくなるような、そんな気がして服を捲りあげようとしていた手が止まる。そして背中を優しく撫でる。
しばらくして落ち着いたのか、瑠衣ちゃんがポツリと呟く。
「ヒナタが大好きじゃ……」その言葉には裏が全く感じ取れず、本心の言葉であると確信した。こんな健気で素直で、純粋に僕を心から好きと言ってくれる大切な存在を離したくない。もう絶対に瑠衣ちゃんを離すことはないと心に決めつつ、幸せな気分と共に深い眠りの淵に転がり落ちていった。
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