第三話 暗雲

「あなたの家に、猫又が居るって情報があったの」

 いきなり訪ねてきた女性は僕にこう言ってきた。……猫又ってなんだ? もしかして猫から人間に変わった瑠衣ちゃんのことか? なんでこの人は瑠衣ちゃんのことを知ってる? その前に情報があったってなんだ? 誰かに見られたといっても、猫の姿の瑠衣ちゃんが見られたことは無いはずだ。猫の瑠衣ちゃんを外から見られるタイミングといえば、一番最初に路上で瑠衣ちゃんに出会って、腕に抱えて内緒でアパートへ連れてくる間だけ。それからは人間に変わっている。たまに猫の姿になることはあったけどそれは全て部屋の中での出来事である。誰かに見られることは考えにくい。

 瑠衣ちゃんは親戚の従妹が居候したということにして大家さんに報告している。なのに、この人は猫又が居るなどとまるで猫の姿の瑠衣ちゃんを知っているかのような発言をしてくる。わからないことだらけだが、とりあえずなんとか切り抜けなければならない。

「えーと、あなたは誰ですか?」と聞いてみると、

「わたしは桜守さくらもり彩芽あやめと言います。この近所にある稲荷神社の巫女です」と答えたあと続けて彼女は言った。

「単刀直入に言いますが、あなたが飼っているその黒猫は猫又ですよね?」と言ったあと僕の後ろの方に視線をやったため振り返ると、いつの間にか目を覚ましていた瑠衣ちゃんがこちらを見ていた。

「なんじゃ?」と顔を出すので、僕は慌てて『来ちゃダメだ』とアイコンタクトを取る。

 なんで瑠衣ちゃんの猫の姿が黒猫だと知ってるんだ? と疑問が浮かぶが、それを顔に出したらダメだ。

「僕は猫なんて飼ってませんよ。居るのは従妹の瑠衣ちゃんです。この物件はペット禁止なので」と内心焦りながら平静を装って答える。

「嘘ね」即座に否定されたうえに断言されてしまったため思わず言葉に詰まってしまう僕。その様子を見たからか更に追い討ちをかけるように質問してくる彼女。

「その子からは邪気を感じるわ。普通の人間じゃないわね。それに、部屋の中に黒い毛がいっぱい落ちてるわね」と彩芽という女性が言ってくるので、これは間違いなく誘導尋問だと即座に判断して、

「黒い毛? どこに落ちてるんですか?」と僕はただ本当に毛は落ちていませんよとアピールする。実際瑠衣ちゃんは抜け毛を出さないので部屋は汚れていないのである。すると彼女はニヤッと笑って、

「猫又は猫の姿で居ても毛が抜けないの。人間の姿に変身してる時もそう、髪の毛や体毛が抜けないの。抜け毛には邪気がこもるから、毛が落ちてるとわたしのような退魔師に存在を悟られてしまうからね。髪の長い女の子が1人部屋に居るのに、髪の毛一本も落ちてないのは不自然すぎるわ」

「掃除してますからね、落ちてませんよ」そういえば掃除をしてる時、僕の髪の毛や体毛は落ちてても瑠衣ちゃんの髪の毛や体毛は全く落ちてないなぁと思っていた。その理由をこんな形で知ることになるとは。

「いくら丁寧に掃除してても一本くらいは落ちてるはずよ」

「……」

 僕はとりあえず床に目を凝らして、偶然見つけたおそらく僕の髪の毛を拾って、彩芽さんに見せる。

「ほら、落ちてるじゃないですか」

「この髪の毛には邪気がないわ」

「……」それはそうである、これは僕の髪の毛なのだから。でもまさかこんな一瞬で見破られるなんて……。

 僕が愕然としていると、

「観念したかしら?」と聞いてくる彩芽さん。こうなったら仕方がない。また従妹とシラを切り通すしかない。

「瑠衣ちゃんは従妹で居候なんだ!」

「残念だけど、探偵を使ってあなたの身辺調査をさせてもらったわ。あなたは両親を交通事故で失い、一人っ子。親戚とも疎遠で関わりなんてほとんどない。学校でもほぼ誰とも関わらずにいつも一人で過ごしている。友達も居ない。そんな子がある日突然家に女の子を連れてきて住まわせる。こんな不自然なことは誤魔化しようがないわ。嘘をついても無駄よ」

 なんだこの人は……、なんでここまでして僕のことを調べ上げている? なんで瑠衣ちゃんをここまで狙おうとするんだ?

「瑠衣ちゃんをどうするつもりだ?」僕は彼女を睨みつけて問うと、

あやかしは人間界に存在すると、人間界のバランスを崩してしまうの。生物の在来種が他の国から来た外来種に食い荒らされるようなもの、要するに生態系のバランスが崩れてしまうということよ」

「……だったらなんなんだよ?」と聞くと、

「わたしの仕事は妖魔退治なの。悪い妖怪を祓って人々を守る仕事よ」悪い妖怪、その言葉に僕はカチンと来て、

「瑠衣ちゃんは悪い妖怪なんかじゃないっ!」と反論する僕に対して呆れた顔でため息をつく彩芽さんは、

「じゃあなぜその子は人間に化けられるのかしら? それも女の子の姿で。その意味がわかる?」と言うので一瞬答えに詰まる僕だったが、ここで認めてしまえば何をされるかわからないと思い直し言い返す。

「それは分からないけどっ! 瑠衣ちゃんは可愛いしお利口さんだし、誰にも迷惑かけたことなんてないんだ!」

「……猫又はそうやって人間の心を奪って住処と寝床を確保し、人間と共存するように見せかけて徐々に人間界のバランスを崩していくの」

「バランスを崩すって、何がどう崩れるんだよ!?」

「……簡単に言うと、猫又はいずれあなたから生殖機能を奪ってしまうわ。これはどういうことなのかというと、あなたの子供が産まれなくなるということ。あなたはあの子が居るなら子供なんていらないといずれ思うようになるでしょうけど、これはあなただけの問題ではないの。長い目で見れば猫又が人間界に多数存在してしまうと、出生率が極端に下がり人間の数はどんどん減ってしまうということ」

「……」何も言えなくなってしまった僕に畳み掛けるように続ける彩芽さん。

「そして、出生率が下がれば人口が減り、経済は低迷を重ねて破綻。治安は悪化、国としての機能を失い、やがて人間よりも猫又の数の方が上回り、人間は滅んでいくでしょうね」

 そんな……そんなことあるはずがない……だって瑠衣ちゃんは今までずっといい子だったじゃないか……それなのに……どうして……!?

 頭の中が真っ白になってしまった僕にトドメを刺すかのように彩芽さんが言い放つ。

「あなたが猫又を庇うのは、人類が滅んでも良いと言ってるようなもの。独りよがりの自己中心的な考えよ」

「……」

「さあ、もうわかったでしょう? そこを退いて。あの子は祓わなければならない」彩芽さんが玄関から上がり込もうとしてきたので、僕は思わず立ちはだかった。そして、瑠衣ちゃんに

「瑠衣ちゃん! 逃げてっ!!」と叫んだ。それを聞いた瑠衣ちゃんは黒猫に戻り、開いてた窓から外へ逃げ出す。それを玄関から出て追いかけようとする彩芽さんを引き留めようと、必死に腕を掴んで叫ぶ僕。

「待ってくれ!! お願いだから話を聞いてくれっ!!」すると彩芽さんはため息をついて言う。

「話を聞いてどうするの? まだあの子を庇う理由でもあるっていうの?」そう言われて言葉に詰まった僕を見て、

「あなたはあの子に情が移ってしまってる。それが猫又の手口なのよ。そうやって離れられないようにして、あなたから徐々に生殖機能を奪っていく、それが猫又なの」と言われてしまった僕はとうとう膝から崩れ落ちてしまい、その場で座り込んでしまった。

「これで分かったでしょ? もう手遅れってことが」そう言って去ろうとする彩芽さんの足を掴む僕。振り返った彩芽さんに僕は涙声で訴える。

「それでもいいからっ! 頼むよっ! 僕には瑠衣ちゃんが必要なんだっ……! 殺すなんてやめてくれ」そう言うと少し間を開けて、

「……」僕の手を払う彩芽さん。

「とりあえず今日は帰るわ。またしばらくして、その時に話しましょう」そういって帰ろうとする彼女に僕はこう言った。

「ありがとう……ございます」それに対して彼女は何も言わずそのまま帰っていったのだった――。

 しばらくすると、黒猫の姿の瑠衣ちゃんが窓からひょいと戻ってきた。そして、ボン! と質量が変わる音と共に人間の姿に変化する。僕は瑠衣ちゃんに服を着せると、

「さっきの女は何者だったんじゃ? 何やら恐ろしい雰囲気だったので思わず逃げてしもうたが」と瑠衣ちゃんは僕に体を擦り付けながら訊いてくる。僕はその背中に手を回して瑠衣ちゃんを抱き寄せる。そして背中を撫でながら答える。

「さっき来た人は退魔師って言ってね、悪さをする妖怪を倒す仕事をしてるんだって。瑠衣ちゃんを消しに来たって言ってた」と言うと、体をビクッと震わせたあと僕に抱きついてきた瑠衣ちゃんは小声で僕に呟く。

「怖いのじゃ……」というので、

「大丈夫だよ。僕は瑠衣ちゃんを絶対に守ってみせる。瑠衣ちゃんが居てくれれば、僕は生殖機能を君に取られたっていいんだ」と僕が言うと、

「生殖機能? わらわがヒナタの生殖機能をなぜ取るのじゃ?」と首を傾げながら訊いてくる。

「いや、退魔師の人から猫又は人間から生殖機能を取るって言われて」

「ネコマタ? なんじゃそれは?」

「瑠衣ちゃんみたいに人間に変身できる猫のことを猫又って言うらしい」

「そうか、わらわは猫又という種類の猫だったのか」と、目をぱちくりさせて、

「わらわはヒナタから生殖機能を奪ったりなどしない。むしろどうやって奪うんじゃ?」と瑠衣ちゃんはハテナ顔をする。……これは本気で知らない顔である。猫又について何も知らないのか……?

 そしてよく考えれば僕も猫又がどうやって人間から生殖機能を奪うのかを、彩芽さんから詳しく聞いていなかった。あの時はとにかく瑠衣ちゃんを失いたくないの一心だったし、そんなのを聞く余裕なんてなかった。

「わらわはヒナタと一緒に居られればそれでいいのじゃ」と瑠衣ちゃんは僕の膝に乗っかってきて、笑顔で明るく答えた。僕はその言葉を聞いてなんだか胸が熱くなってしまった。嬉しいような悲しいような感情が僕の胸の中を渦巻く。『一緒に居たい』だなんて言ってくれる存在がこれまで居ただろうか。僕を虐げた家族が交通事故で消えてからは誰も僕のことを必要としてくれなかったのに。瑠衣ちゃんは僕を必要だと言ってくれた。それだけで充分だと思えるくらい嬉しかったのだ。

「ありがとう、瑠衣ちゃん……」僕はギュッと瑠衣ちゃんの背中を抱きしめた。すると瑠衣ちゃんも両手を回してきて、

「こちらこそわらわを拾ってくれて、ありがとう。ヒナタ」と優しく抱き返してくれるのだった。そしてぐりぐりと頬に頬を擦り付けてくる。瑠衣ちゃんのこの行動はいつものことのはずなのに、なんだか妙に情熱的に感じた。きっとこれが猫の愛情表現なのだろうと思った僕はしばらくされるがままになっていたが、瑠衣ちゃんは僕の頬をペロリと舐めてきたのである。

「瑠衣ちゃん、人間の姿でそういうことをされるとですね」

「なんじゃ? なんだかヒナタが元気なさそうじゃから、わらわが慰めてやっておるのじゃ」と、僕をジッと見つめたあと、ゆっくりと瞬きをして細目になる。まるで両目でウインクするようである。そんな可愛らしい仕草で見つめられたらたまらない気持ちになってしまうではないか……そう思った時にはすでに遅くて、僕はたまらずに瑠衣ちゃんにキスをしていた。瑠衣ちゃんは猫のように目を細めて受け入れている。僕が唇を離すとまた顔を擦り付けてくる。

「むふふ、ヒナタからチューしてくれたのじゃ」と瑠衣ちゃんは嬉しそうに僕にくっついてくる。そして人間の姿なのに僕の膝に頭を乗せて丸くなる。そんな甘えた態度をとる彼女が可愛くてたまらなくなった僕は頭を撫でてあげると、気持ち良さそうに目を細める。そんな姿に癒されながらも、先程の彩芽さんとのことを思い返すと心が痛む。しかし、今はただ瑠衣ちゃんとの時間を楽しみたい。僕には瑠衣ちゃんが必要である。その想いがどんどん固くなっていく。交通事故で散った家族と比べれば、百分の一にも満たない期間、たった一ヶ月半の間過ごしただけなのに、もう瑠衣ちゃんが居なくなることは考えられなくなってしまった。

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