第二話 黒猫少女との日々
僕が瑠衣ちゃんと出会ってから一ヶ月が経った。瑠衣ちゃんは人間の姿になってくれているから、ペット禁止の僕のアパートでも問題なく居候することができた。瑠衣ちゃん自身はあんな古風な言葉遣いであるものの素直で純真無垢なため裏表がなく、ちょうど良い距離感で過ごすことができるという。なんだか良い関係だった。
ただ、猫じゃなく人間の姿なのに僕に体を擦り付けてくるのである。おそらく猫の姿の癖なのだろう。しかし人間の姿でそれをされると大きな胸まで僕に擦り付けられてしまうのである。その時は僕も思春期真っ盛りなわけで、どうしても意識してしまうし変な気持ちになってしまうためやめていただきたいところである。とはいえ瑠衣ちゃんにそのことを直接言えるはずもなく、おそらくこれは癖というか習性だろうから言っても治らない可能性の方が非常に高い。なので僕は毎回我慢してるというか別に嫌というわけではなく嬉しいんだけど、あんまりやられるとムラムラしてくるからそれを我慢というか。猫の姿だったらいくらでも甘えさせてあげるんだけどなぁ。
黒猫の姿の瑠衣ちゃんを抱えて冷蔵庫の近くまで来ると、突然、ボン! と人間に変身し、質量が増加して僕は瑠衣ちゃんをお姫様抱っこする形になって慌てて床を踏ん張る。そしてもちろん猫→人間に変身すると瑠衣ちゃんは裸になってしまうので、僕は近くにあったエプロンを慌ててかぶせる。
「瑠衣ちゃんいきなり変身されるとびっくりするんだけどっ」床に下ろすと瑠衣ちゃんは恥ずかしがる様子もなくかぶせたエプロンを付ける。しまった……これでは裸エプロンじゃないか。などという考えは振り払う。瑠衣ちゃんは気にも留めず冷蔵庫を開けると、
「ヒナタ。わらわは腹が減っておる。冷蔵庫にはもう食材が残り少ないゆえ、買い物に行った方がよいのではないか?」と瑠衣ちゃんは体を擦り付けながら僕に提案してくる。
「……」胸が……大きな胸が思いっきり僕の腕に擦り付けられていった……。
「ヒナタ、聞いておるのか?」と、顔を覗き込んでくる瑠衣ちゃん。近い! 距離が近いよっ!
「……っあ、う、うん。そうだね。買いに行こっか」と平静を装って返事をすると、
「うむ。わらわも付いて行っても良いか?」と瑠衣ちゃんは訊いてくる。
あぁ、これは一人で留守番するのが寂しいのだろう。瑠衣ちゃんが来るまで一人暮らしだったからその気持ちはよく分かるぞ!
「……その前に服を着よっか?」
「うむ」
というわけで、僕と瑠衣ちゃんは近くのスーパーに向かうことにした。徒歩五分程度の場所にあるのですぐに到着する。カートにカゴを乗せて店内に入るなり、さっそく瑠衣ちゃんが話しかけてくる。
「さて、今日の夕飯は何にするのじゃ? わらわはもう腹ペコじゃぞ」とお腹を押さえる。
「それじゃあ瑠衣ちゃん何が食べたい?」と訊いてみると、
「そうじゃのう……魚がよいぞ。今日は焼き魚が食いたい気分じゃ」と言うので、僕も魚が好きなので別にいいが、実を言うと昨日も魚だったし、今日も魚を選ぶ瑠衣ちゃんはやっぱり猫だなと内心思いつつも鮮魚コーナーを見て回る。
大きなブリ1匹が置かれていて、それを興味津々な目で見つめる瑠衣ちゃん。
「それ食べたいの?」と訊ねてみると、
「食べてみたいが、わらわには大きすぎるのじゃ……」と答えた。まあ、そうだよねー。バラしても全部冷凍庫に入るかどうか。ウチの冷凍室は小さいからな。などと考えていたら、
「やっぱり鮭が良いのじゃ!」と彼女は顔を輝かせてパックの鮭の切り身を指さす。本当に瑠衣ちゃんは鮭が好きだなぁ。
鮭の切り身を二パックと、適当な野菜、調味料を買ってレジに並ぶ。
「ありがとうございましたー」という店員の声を背中に受けつつ店を出ると、早速瑠衣ちゃんが口を開く。
「ヒナタよ。わらわは今猛烈にお腹が空いておるのじゃ」
またこのパターンかよと思いながら苦笑いをする僕。そして案の定、この後にあの台詞が来るのだった。
「早く帰って食事にしようではないか!」そして例の如く腕を絡めてくるので、胸の感触がダイレクトに伝わるわけである。
家に到着すると、僕は今から使う食材以外を冷蔵庫に収納して、早速買ってきた鮭をグリルで焼き始める。その間に野菜とウインナーを切って鍋に投入し水とスープの素を入れて煮込む。いわゆるポトフもどきである。その様子を瑠衣ちゃんは僕に体を擦り付けながら見ているわけだが、もちろん大きな胸もモロに擦り付けられるわけである。なんか料理してるだけなのに別の意味ですごく疲れるんですけど!?
そんな調子で数十分かけて夕食が完成した。テーブルに料理を並べて席に着くと、僕らは手を合わせていただきますをしてから食べ始める。すると瑠衣ちゃんの箸が全く進んでいないことに気付く。それどころかどこか元気がないように見える。もしかして体調が悪いのだろうかと思い訊ねることにする。
「どうしたの? 食べないの?」と、訊ねると、
「……熱々で舌が火傷をするので、冷めるまで待っておるのじゃ……」
あー、そうだ、瑠衣ちゃんは猫だから猫舌だった。というわけで僕は瑠衣ちゃんのポトフが入ってる器を持ってフーフーしてあげる。するとたちまち笑顔になる瑠衣ちゃん。可愛いなちくしょう! そんなことを繰り返してるうちにようやく適温になったらしく、瑠衣ちゃんは嬉しそうに背筋を伸ばして正座をし、箸を器用に使って行儀よくご飯を食べ始めた。猫なのに僕よりも食べ方が綺麗というか、いや、もう見慣れたはずなんだけども。
「んんー、美味じゃ……。鮭は絶品じゃのう♡」
幸せそうな顔でもぐもぐと、鮭とご飯を交互に口にして、水を少し飲んだあとにポトフもスプーンですくって口に入れる。
「こちらも野菜と肉の出汁が効いて美味じゃ……」
いつものことだけど、本当に美味しそうに食べるよな瑠衣ちゃんは。こんな適当な男の料理なのに。見てて気持ちがいいくらいだよ。それにしても、これだけ綺麗に食べてくれたら作った甲斐があったってもんだよね。そんなことを考えながら僕も食事をしていると、あっという間に皿の上は空になっていた。瑠衣ちゃんはご飯おかわりして三杯食べてたし。本当によく食べる子だ。
その後二人で食器を片付けてから歯を磨いて、一人ずつお風呂に入ったあと壁を背もたれにクッションに座ってテレビを見ることに。しばらくぼーっとしていたけど、突然肩に重みを感じたので横を見ると、瑠衣ちゃんが僕の肩に頭を預けて目を閉じている。どうやら眠くなったらしい。時計を見ると時刻は午後九時を過ぎていた。確かにこの時間になると眠くなるよね。ということで布団を敷いてそこに二人揃って寝転がる。そして電気を消して眠りにつく前に一言だけ言う。
「おやすみ、瑠衣ちゃん」僕の言葉に反応したのかたまたまなのか、瑠衣ちゃんは僕の胸に腕をかけてくる。顔を見てみると長いまつ毛の目は閉じられて寝息を立てている。どうやら無意識にやっているようだ。僕はその手を握って眠りにつくことにした。
翌朝、鳥のさえずりで微睡んでいる僕の上に、自分と質量がそれほど大差ない物体がよじ登ってくる感覚がして、明るい光に顔を顰めつつ薄く目を開けると、そこには瑠衣ちゃんが猫のように体を丸くしながら乗っかっていた。目が合うと彼女は僕をじーっと見つめながら、
「ヒナタ、おはよう。腹が減ったのじゃ」と、屈託のない笑顔で明るく言ってきた。その表情に僕はつられて笑顔になってしまう。孤独で空虚な日々が続いていた1ヶ月前が、まるで嘘のように充実している。
◇ ◇ ◇
それから一週間ほどが経過したある日のこと。その日は休日だったので僕はコードレス掃除機で軽く床の掃除をしていたのだが、床には僕の髪の毛と体毛しか落ちておらず、瑠衣ちゃんの長い髪は一本も見当たらなかった。
……普通は髪の毛って毛髪サイクルで抜けるはずだよな……? と不思議に思ったが、瑠衣ちゃんは和風美人で可愛いから、きちんと髪の手入れもしていて抜け毛が少ないのだろう、それに掃除の手間も省けるし。ということで気にしないことにした。
その後瑠衣ちゃんと家でのんびりと過ごしていたら、インターホンが鳴ったので玄関に向かいドアを開けると、そこには一人の女性が立っており、僕を見つめてくる。そしてすぐに頭を下げて挨拶をしたかと思えば、急に顔を上げて僕のことを見つめてきて、こう言ったのだ。
「あなたの家に、猫又が居るって情報があったの」
と――。
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