第2話 初めての一緒にご飯

 山内さんが 僕の専属家政婦になると決まってからの一ヶ月。なんと山内さんは一回も僕の家に配達にはきてくれなかった。


「あ、どうも、ご苦労様でした」


——バタン


 また違う人が配達にきた……。なんで? え? なんでこないの? てか、毎回配達に山内さんが来てたことの方が、おかしいってことなの?


「山内さんに……会いたい……」

 

 会えない日が続けば続くほど思いは募るって、何かの本だかドラマだかでみた気がするけど、本当そうなのかもしれないよな。なんでこんなに心の中が山内さんでいっぱいに……。電話番号も知らないし、働いているお店は知ってるけど出かけて行ってまで会いに行く勇気はないし。あああ、もう、なんなんだこの気持ち。三十一歳、引きこもり、極力人と合わない生活をしてもう何年か経つけれど、こんなに会いたいって思う人ができるだなんて。


「もしかして、これが……恋……?」


 くおー! そうであるならば、大変なことになってしまうじゃないか! いや、落ち着けよく考えるんだ関川流生せきかわるい。大体山内さんが本当に一ヶ月後と言っていた十月二十日に来るかどうかもわからないじゃないか。


「もしかして、どこかで事故にでもあって、それで僕の家に配達に来れなくなったとか……?」


 だめだ。やめよう、そんな考え。そんな不吉なことを考えていたら、それこそだめだって。きっと理由があって来れないんだ。信じろ。山内さんを信じるんだ。あの純真無垢な笑顔を思い出せ。そうだ、山内さんはあの日、僕に微笑みかけてくれたし、二人で楽しく会話しながらハンバーグを一緒に食べたじゃないか。



「うわっ、美味しい……。ハンバーグを口に含んだ瞬間にじゅわっと肉汁が溢れ出して、無茶苦茶美味しいです。このハンバーグ……」


「うちのお店のお弁当にはハンバーグは出ないですからね」


「ものすごく、ジューシーで美味しい」


「ふふふ。それは良かったです。あ、ちょっといいですか……」


「え?」


 えっと、なんで山内さんが立ち上がるんだ? ……って、こっちにやってきて……ややや、なんでそんな僕の隣にきてしゃがむとか……、あ……山内さんの顔が……ち、近づいてくる……。


「あ……。えっと……?」


 顔が近い、顔が近い、息ができないから……。あ……柔らかい指が……僕の頬に……。


「ほら、ここにソースが。ふふふ、なんだか可愛いですね、関川さんって」


 くおー! なんだその笑顔! なんだその笑顔は! そしてその指を口に入れるとか、ないから! そんなうっとりな表情もないから! い、いかん、落ち着け関川流生。僕は女の人になれてないだけで、もう三十一歳のいい歳した大人なんだから。普通を装うのだ。


「あ……ありがとうございました……」


「こうして向き合って食べていると、いろいろ観察しちゃって。でも、そういう子供みたいで可愛いところ……好きです……」


「え?」


「ささ、人参のポタージュ、どうでしょうか? 人参お嫌いだって言ってたから、腕によりをかけて作ったんですからね」


「あ……。はい……」


 あ、離れてゆく山内さんの髪が僕の頬に、触れて……。甘いシャンプーの残り香がハンバーグの香りの中に混じっている……。


 や、そうじゃなくて。


 ああもう、ご飯ができたら結んでいる髪の毛下ろすとか、反則な気がする……。それに、なんでそんな顔を急接近したのに平気でまた椅子に腰掛けて普通にしていれるんだ?! わ、わからん。女の人の考えていることがいまいちよく分からない……。


「ほら、人参のポタージュが冷めちゃいますよ?」


「あ、ああ……はい……」


 くっ、こっちをずっと見つめている。なんで頬杖ついて嬉しそうにみているんだ? これは飲むしかない。でも、本当に人参苦手なんだよなぁ。がしかし、山内さんはずっとこっちを向いているし。それにきっとあの顔は僕の「美味しい」を待っている顔な気がする……。


 ええい、しょうがない、一口だけ。


「う……」


「う?」


「う……」


「う?」


「美味しいです……」


「良かったぁ!」


 負けてしまった。確かに人参人参してないけど、でも僕にはわかる。これは、明らかに人参のスープ。でも、山内さんが頬杖をついて僕を見つめる眼差しの前では、「やっぱり苦手です」なんて絶対に言えないっ!


「これ、クミンというスパイスが入っているんですよ。なので、ざ!人参より、ちょっとカレー風味な感じがすると思うのですけれど」


「え? あ……、そう言われれば確かに少しだけカレー風味……?」


「スパイシーなカレー、私大好きなんです! 関川さんは、お好きですか?」


「スパイシーな、カレー?」


「はい、スパイシーなカレーです。異国の香りがあたり一面に漂うような、スパイスたっぷりのカレー」


「僕は……あんまり食べたことがないかも……」


 ん? 食べたことなかったかな? いや、ないだろう。ここ数年はこの部屋からほぼほぼ外に出かけていないんだし。でも、どこか懐かしい気もしなくはない「スパイシーなカレー」というフレーズ、それにこのクミンとかいうスパイスの香りも。


「そうですか……」


「え? えっと……。なんで山内さんがそんな悲しそうな顔をするんですか? 僕がスパイシーなカレーを食べたことがないから?」


「あんまりお好みじゃなかったのかと思って……」


 ちょま、そんな、そんな悲しそうな顔で下を向かれたら困るから! えっと……僕、何か悪いこと言ったのだろうか? ああ、どうしよう……、せっかく作ってくれたのに、気を悪くさせちゃったのかな。でも、こういう時って、なんて言ったらいいか、……分からない。


「好きです……」


 あ、つい口が滑って……。もう、馬鹿なの僕!? よりにもよってその一言はないわー! 変な誤解されちゃうような一言だけ言うとか、まじないし。……え? でも、あれ? 山内さんの表情がなんだか少し柔んだ気がする……? あ……、こっちを向いた……?


「私も、大好きです」


「え?」


「好きです。スパイス……」


 そっちかーい! てか、そりゃそうだって。もうどうなってんだ僕の頭は。山内さんが僕みたいな引きこもりのこと好きなわけがない……。


「今度来るときは思いっきりスパイシーなカレーにしますね!」


「あ、はい……」


「で、きっと本当は少し苦手なその人参ポタージュ、お残しはダメですよ?」


 なんてことだ。なんて可愛いダメですよ発言なんだ。その笑顔、そのえくぼ、そのなんかお節介な感じ……。それに、その自分の人参スープ、髪を耳にかけながらスプーンにすくって飲むとかやばすぎるー! い、いかん、落ち着け関川流生。そんな心の声がだだ漏れな顔になってたらまずいから。冷静に、冷静に、普通に見えるように……。


「スパイスも、……なんですけどね」


「へ?」


「なんでもありません。ささ、冷めないうちに」



「はあー」


 あの日から山内さんのことがますます頭から離れない。家政婦としてやってくるまであと三日。


——ガラガラ


 このベランダから見えるあの辺りがきっと山内さんの働いているお店の場所なんだよなぁ。見えるのに、近くて遠い僕の心。自分で行けばいいのに、その勇気が出ない……。


「はぁー」


 勇気は出ないがため息は出る。これいかに。なんて言ってても、始まんないか。山内さんからもらった黒いヘアゴム。これ、使い続けてるうちに伸びてくるんだろうな……。


「美容院にでも、行こうかな……」


 はやく会いたいって思うこと、これが恋なのだとしたら、僕は山内さんに恋をしているような気がする。




to be continued……

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