第25話 いい湯、とはならない

「会長、そろそろお腹がすきましたね。夕食の準備に取り掛かりましょう」


 トイレの後の勉強も、はっきり言えばはかどらなかった。


 だって俺の右手はがっちりホールドされていて、俺は右利きだからペンもろくに持てないまま。

 ただ、この状態でどうやって夕食の準備をするんだと考えていると、なんとさっきまで一切離れなかった神岡の手があっさり離れた。


「あ」

「あれ、会長はこのまま手を繋いでた方がよかったです?」

「い、いや……」

「ふふっ、寂しかったら会長から繋いでくれてもいいんですよ。それじゃ、私は夕食の準備をしてきますのでお風呂にでも入っててください」

「あ、ああ」


 どこか満足そうに神岡は部屋を出ていく。

 ようやく解放された右手は、少し汗ばんでいて。

 そして、楽になったはずなのにどこか物足りないような気にさせる。


「……いや、何を考えてるんだ俺は。風呂だ風呂」


 このまま手を繋ぎっぱなしだったら風呂や寝る時はどうしようという心配もあったけど、それは一旦解消された。


 急いで風呂場に行き、今日もシャワーだけを浴びる。

 いつになればゆっくり湯船に浸かれる日がくるのか。

 そう考えているところで閃く。


「そうだ」


 シャワーで体を洗った後、すぐに着替えてキッチンへ行く。


「神岡さん」

「あ、会長どうしました? ご飯はもうちょっとかかりますよ」

「いや、ええと、銭湯とか、嫌いか?」

「お風呂は好きですけど、どうしました?」

「まあ、その、なんだ。うちの風呂も広くないし、よかったら銭湯にでも行かないかなと」

「あ、いいですねそれ。つまり、お風呂デートってことですよね」

「まあ、そうなるかな」

「やったあ。それじゃパパっと支度しますね」

「ああ」


 デート。

 まあ、こっちから誘えば当然そういう風に受け止められるとは思っていたが。

 しかし背に腹は代えられない。

 ゆっくり風呂に入りたい。

 そのためには神岡とデートするという誤解もまた、致し方ないことだ。


 部屋に戻って風呂の準備を整えてからもう一度キッチンへ戻ると、神岡はすでにラフなジャージ姿に着替えていた。


「……ていうかなんで俺のジャージ? 着替え持ってきてんだろ?」

「こういう時は、男性の服を借りてる方が『あー、この後お泊りなんだあ』って周りに思われるものなんですよ」

「思われて、どうしたいんだよ」

「会長の相手は私だと、周りに見せつけるんです。変な虫が寄ってこないようにって意味も込めて」

「ふむ」


 まあ、一緒に風呂に行く時点で誤解もくそもないと思うのだが。

 女子の考えることはいまいちわからないものだ。


 そのまま、家を出て近くの銭湯を目指す。

 小さな銭湯で、小学校の時以来行ったこともない場所だったが、なんか浴槽が広くて気持ちよかった記憶がある。


「会長とお風呂だなんてえっちだなあ」

「一緒に入るわけじゃないんだから」

「でも、湯上りの私と一緒に手を繋いで帰るなんてドキドキしません?」

「手繋いで帰るの?」

「もちろん。あ、まだ今日は終わってませんよ」

「……」


 そういえば今日一日は奴隷だったことを思いだした。

 つくづく、連れ出してよかったと思う。

 俺が風呂を済ませたからと言って、神岡が風呂に入る時に一緒に入れと言われない保証はない。


 ああ、やっぱり頭が切れてるな。

 どうしてこの力を仕事に使わせてもらえないのか。

 

 つくづく、嘆かわしい限りだ。



「では会長、四十分後くらいでいいですかね」

「ああ、わかった」


 番台で神岡と別れる。

 ようやくできた一人の時間に、俺は服を脱ぎながらそわそわする。


「風呂だ……ああ、最高だ」


 遠慮なく真っ裸になり、風呂場へ。

 湯気が立ち込めているその中をまっすぐ進み、桶ですくったお湯で体を流してから一気に風呂へ。


「ぐはあ、生き返る」


 行儀もくそもない。

 今はこうして思いっきりお湯に浸かりたかった。

 そして最高だった。

 気持ちいいの一言。まさに洗われる気分だ。


「あれ、会長じゃん」

「お、薬師寺も来るんだここ」

「ん? おお、お前ら」


 風呂の湯しか見えてなかった俺に声をかけてきたのはクラスメイトの連中だ。


「会長、そういや親が海外なんだってな。風呂もめんどくせえよな」

「まあ、な。それよりお前たちは部活帰りか?」

「そうだよ。なあ、もうちょっとサッカー部の予算上げてくれよ」

「あ、ずるいぞお前。テニス部も頼むって」

「まあまあ。その辺は公平に審査する」

「ひえー、相変わらずかてえなあ」

「ほっとけ」


 なんか雑談に花が咲いた。

 まあ、ここしばらくは神岡のせいで他の連中と絡みもなかったのでそれが新鮮で楽しかったのかもしれない。


 つい、調子に乗ったことを言ってしまう。


「ま、生徒会長の権限でどうにかしてやらんこともないがな」

「はは、頼もしい。たのみまっせ会長」

「かいちょー、勝手なことしたらダメですよー!」

「っ!?」


 その時、隣の女湯から神岡の声がした。


「会長、職権乱用はダメって言ってたじゃないですかー。このあとおうちに帰ったらきちんと予算会議しましょうね」

「お、おい神岡」

「会長、今日はお部屋でゆっくりお話しましょうね。よーく体洗っておきますので」

「お、おい、いらんこというな」


 女湯からの神岡の声に、俺は慌てる。 

 まず、一緒に来ていることを知られるのですらまずいというのに、同級生にこんな会話まで聞かれてしまうとは。


「おいおい会長、なんだよ彼女と一緒かよ」

「ち、違うんだ。聞いてくれ」

「それにこの後部屋でって、そういう感じかよいいなあ。連れ込み放題だもんなあ」

「ば、バカ違うぞ、俺は」

「いいっていいって。いいよなあ神岡さんみたいな超かわいい彼女いてさ。ま、生徒会長ともあろう人がこっそり彼女を家に連れ込んであんなことやこんなことしてるのは黙っててやるからさ、こっそり部費の件は頼むぜ」

「……検討しておく」


 なんかしらんが、サッカー部とテニス部に弱みを握られた。


 で、にやにやしながら先にあがっていくそいつらを見て、さっきまでの解放感とやらはどこかに消えていた。


 ……来るんじゃなかった。

 

 

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