第6話 誰も嘘なんて言ってない

「……ん?」


 夜中に、物音で目が覚めた。


 なにやら廊下が騒がしい。

 ドタバタと、足音がする。


「……ったく、何時だと思ってるんだ」


 この家には俺と、そして無理矢理宿泊させる羽目になった神岡しかいない。


 猫も犬も飼っていない。

 と、すれば。

 物音の正体は神岡一択だ。


 時刻は深夜一時。

 こんな時間に廊下で何を騒いでいるというのだ。


 また、ガタガタと音が聞こえる。

 しかしここで起きて様子を見に行けば、神岡の術中だ。


「……でも、何をしているんだ?」


 静かに、灯りもつけず入り口に張ったバリケードの前へ。


 すると、声が聞こえる。


「い、いや……お、お願い、出てってよ!」

「っ!?」

「きゃーっ! こ、こないで!」


 悲鳴があがった。


 その瞬間、反射的にバリケードとして置いていた机を必死に退けて、ノブに巻いていた針金を全力で解く。


 ご、強盗だ。

 

「ま、待ってろ神岡! 今行く!」


 大慌てで部屋から飛び出した。


 すると、


「か、会長……き、来てくれたんですね!」


 腰を抜かした寝巻き姿の神岡。

 

 しかいない。


「あ、あれ? 強盗は……」

「強盗?」

「い、いやだってさっき悲鳴が」

「いえ、ゴキブリが出たので」

「ゴキブリ……」


 なんだそれはと、固まっている俺の頭の上でカサカサと何かが走る気配がした。


 この騒動の主だろう。


「……紛らわしい声出すな! ていうかなんでこんな時間まで起きてるんだ」

「いえ、お風呂に三時間ほど入らせてもらってから、部屋に戻ろうとしたらゴキブリ現れて……」

「……寝る」


 なんと拍子抜けというか紛らわしい騒ぎ方をするやつだ。


 ていうか人の家の風呂にそんな長時間入るな。

 さっさと寝ろ。


「ま、待ってください会長! ゴキブリがまた出たら」

「部屋にはさすがにいないだろ」

「も、もしいたら?」

「殺虫剤あるからそれでなんとかすればいい」

「む、無理です! 私、虫が大の苦手で……」


 大きな目を潤ませながら神岡は前のめりになりながら俺を見つめてくる。


「……いや、でもどうしろっていうんだよ」

「あの……ちょっとの間だけ一緒にいてくれませんか?」

「そういうのを口実に迫ってきても無駄だ。俺は眠たいんだ」


 ちょっと冷たいかなとも思ったけど、ここでずるずると神岡のペースに巻き込まれるわけにはいかない。


 心を鬼に。

 嫌なものは嫌だと、はっきりさせておいた方が……。


「会長のいじわる……明日、全校生徒の前で会長のおうちに泊まったっていいふらしてやる」

「ま、待て。脅すつもりか?」

「だって……それに廊下で襲われて眠れなかったって叫んでやる」

「お、襲われたのは虫にだろ」

「ね、ちょっとだけですから、ダメ?」

「……」


 クイッと首を傾けて甘える仕草を見せた神岡が、ちょっと可愛かった。


 で、俺もそんな様子の彼女にこれ以上冷たくする気にもなれず。


「……ちょっとだけだぞ」


 折れてしまった。


「じゃあ、会長のお部屋にお邪魔してもいいですか?」

「……落ち着いたら部屋に戻って寝ろよ?」

「はーい。えへへっ、やったあ」

「……」


 どうも罠にかけられた気しかしないけど、一度言ったことを取り消すのも男らしくない。


 仕方なく、神岡を部屋にあげた。


「へー、会長の部屋って……なんか散らかってますね」

「お前のせいで慌ててバリケードを解いたからだ」

「寝る時にいちいちそんなことしてるんですか? 会長って案外用心深いんですね」

「誰のせいだと思ってる……」


 散らかった部屋を片付けながら、勝手に俺のベッドに座る神岡を見る。


 よく見なくとも美人だ。

 まるで作り物のように上から下まで整った彼女が俺の部屋にいることを再認識すると、流石に男として何も意識しないわけにはいかない。


 ジャージ姿っていうのも少しそそる。

 目のやり場に困るなあ……。


「……で、そろそろ落ち着いたか?」

「まだですよー。会長もこっち来てください」

「いい。ていうか早く寝ないと明日しんどいぞ」

「じゃあここで一緒に寝ます?」

「そうなるから部屋に入れたくなかったんだ。あんまりしつこいと追い出すからな」

「いじわる……ふーんだ」


 神岡は拗ねた様子で、しかしなぜかそのままベッドに寝転んでしまう。


「お、おい」

「会長は私と一緒に寝たら、ムラムラして襲っちゃいます?」

「……いや、俺は初めては好きな人とだな……って何を言わせるんだ」

「ふーん、好きな人、ですかあ」


 足をバタバタさせながら、うつ伏せに寝る神岡は俺の枕に顔をうずめる。


 そして「会長の匂いだあ」と、嬉しそうな声をあげてから、チラッと俺を見る。


「な、なんだよ」

「会長、やっぱり怖いので今日はここにいてもいいですか?」

「……ダメだな。約束は約束だ、部屋に帰れ。どうしても帰らないなら俺が部屋を出る」

「そんなことしたら、会長の部屋を背景に撮影した自撮り写真を校内にばらまきます。あと、枕はテンピュールだったとも言いふらします」

「別にテンピュールなのはいいだろ」

「会長はムラムラしないんですか? 私、会長になら何をされても……いいですよ?」


 ちらりと。

 うつぶせのままこっちを横目で見てから、赤面をまた枕で隠す。

 ……いや、可愛いんだよないちいち。


「……俺だって男子だ、ムラムラはする」

「じゃあ」

「しかし、さっきも言ったように俺は好きになった人としかそういうことはしない。あと、今は生徒会長の仕事と勉強に忙しいんだ。だからどうしてもというならまず、仕事で貢献して俺が神岡さんなしではやっていけないと思わせることだ。そうなったら潔く負けを認めてやる」


 言ってやった。

 

「そう、ですか。わかりました。それじゃ明日から会長の為に誠心誠意尽くします。で、絶対に惚れさせて見せます」

「……まあ、頑張ってくれ」

「でも、一個だけお願いしてもいいですか?」


 神岡はぴょんと立ち上がって、ベッドから降りると俺のそばに寄ってくる。

 石鹸のいい香りをさせながら、少し照れた様子で、上目遣いに俺を見る。


「な、なんだ?」

「……他の子と仲良くしたらちょん切りますから」

「え、ちょ、ちょん切る?」

「はい。会長が他の女の子と浮気したら女の子になってもらいますから」

「い、いや何を言ってるんだ……浮気っていうかまず」

「会長はお仕事が忙しいから私と付き合うことを躊躇してるんですよね? だったら、他の女と遊んでる暇はないはずですよ? それとも、嘘ついたんですか? 私を言いくるめるために嘘を」

「ま、待て待て嘘は言ってない! 嘘じゃないから鉛筆をしまえ!」


 いつの間にか手に持った、削られたばかりのHBの鉛筆を構える神岡に俺は壁際まで追い込まれる。


「……嘘じゃないんですね? えへへっ、よかった。私がバリバリお仕事して、会長の負担を減らして差し上げます。そうしたらお付き合いする時間もできますもんね」

「……いや、まあ」

「できますよね?」

「は、はい……」

 

 怖かった。

 凶器を持っているから、というより顔が狂気だった。


「それじゃ今日は寝ます。また明日、起こしにきますね。おやすみなさい」

「……おやすみ」


 ニコニコしながら、しかし鉛筆は持ったまま。

 神岡は部屋を出て行った。

 

 普通に、メンヘラと付き合う気はないって、言えばよかった……。


 そっと、自分の下半身を見る。

 まだ、ちゃんと大事な部分はぶら下がっているようだ。


 でも、下手をすればちょん切られるらしい。


 ……。


「……寝よう。これは悪い夢だ」


 もう、頭が整理できずに思考を放棄して、そのまま布団に潜り込んだ。


「……いい匂いがする」


 布団には、神岡の甘い香りがたっぷりと、そしてほのかなぬくもりが残っていた。


 いうまでもなく。


 一睡もできなかった。


 

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