第5話 これが嵐の前の静けさとやらでないことを祈ろう

「……いただきます」

「はーい、いっぱい食べて明日からの活力にしてくださいね会長」


 甚だ不本意だが、神岡の作った夕食に箸をつける。

 まだほんのり熱が残る生姜焼きをそのままガブリ。


「……ん?」


 なんということだろう。

 絶妙な甘辛さのたれと、ちょうどいい柔らかさに焼かれた生姜焼きは口の中で数回噛むと蕩けていく。


 つまり、なんだ。


 クソうまい。


「いや、うっま!」

「ほんとですか? わー、頑張って作った甲斐がありました。いっぱいあるのでじゃんじゃん食べてくださいね」

「う、うん。いやしかし、こんなにうまい飯は初めてだ」


 もりもりとご飯が進む。

 いつもなら眠くなるからという理由で絶対におかわりなんかしないのに、今日は無意識のうちに三杯もご飯をおかわりしてしまい。


 お腹いっぱいになるまで神岡の食事を堪能してしまった。


「ふう……げふっ、もうお腹いっぱいだ」

「会長、いっぱい食べてくれましたね。えへへっ、嬉しいです」

「あ、ああ、ごちそうさま。つい、食べ過ぎた」

「いえいえ、高校生男子ならこれくらい食べないとですよ。会長はちょっと痩せすぎなくらいですし」

「まあ、少し細身だという自覚はあるけど」

「そうですよ。痩せてるせいで腹筋から浮き出る血管も会長の素敵なところですけど、もう少し胸板とかあってもいいなあって」

「……どうして俺の腹筋を知ってるんだ?」

「え、あ、いえいえ想像ですよ想像」

「ふむ」


 本当にそうなのかと言いたいくらいに具体的な想像だったけど。

 まあ、今は飯を食べ過ぎて頭が働かん。


「さて、おなか一杯になったし今日は勉強してから寝るよ」

「そうですか。じゃあ私は片付けしてからお風呂入ってきますね」

「……いや、帰れよ」

「え、なんでですか?」

「逆に聞くけどなんでうちで風呂に入ろうとしてんの?」

「もしかして会長はお風呂に入らずに汗臭い私の方が好みなんですか? は、初めてはせめて体を清めてからの方が……」

「質問に対してちゃんと答えろ。ていうか家に帰らないと親御さんが心配するだろ」

「あ、その辺うちは問題ありません。会長のとこと同じく両親は仕事でずっといないので」

「……いや、頼むから帰ってくれ。泊める部屋もないしあったところで使わせる気もねえぞ」


 勝手に変な妄想を膨らませて目をとろんとさせる神岡を見て、当然俺は危険を察知している。

 こんな女、泊めたら寝込みに何をされるかわかったもんじゃない。

 あと、一度泊めたら毎日のように入り浸ってくるに違いない。

 最初が肝心。

 最初にきっぱり断っておくが吉。


「でも、お部屋はお母さまのお部屋を使ってと言われてますが」

「……なに?」


 当然のようにふざけたことを神岡が言ったその時、ピコンとスマホの通知音が鳴る。


 見ると、母からラインが来ていた。


『紫音ちゃんにお料理させておいて帰らせるなんて失礼なこと、しないようにね』


「……まじか」

「お母さまからですか?」

「い、いや……待て、母さんと何を話したってんだ?」

「え、特に変わったことは言ってませんよ? 会長に熱心に口説かれて心奪われたってこととか、今日はお料理をしてさしあげる予定ですって言ったら向こうから『迷惑じゃなければ泊まっていって』と言われまして」

「……」


 母は常々、くそ真面目な俺を心配しているところがあった。

 だから気を利かせたつもりなのだろうけど。

 マジで余計なお世話だよ母さん!


「というわけでお風呂借りますね。あ、寝巻は持ってきてますので」

「……今日は母さんの部屋に泊まるんだよな?」

「はい、そうですけど? もしかして会長のお部屋に」

「もしかしない。絶対入れない。入ってきたらその瞬間に追い出すからな」

「もー、会長ったらいじわるなんだから。それじゃお風呂、失礼します」

「……」


 これほど露骨に嫌悪感をあらわにすればショックを受けて帰るかと期待したがそうもいかず。

 神岡はさっさと風呂場に行ってしまったので俺は逃げるように自室へ戻る。


 そして、バリケードを張る。


「……くそっ、なんでこんなことをしなきゃならんのだ」


 コタツ机を扉の前に移動させてロープで固定し、、念のためドアノブは針金でぐるぐる巻きにする。


 ここまでする必要はもしかしたらないのかもしれないけれど、勝手に窓から侵入してくるような女が一つ屋根の下にいることは、すなわち貞操の危機と同義。


 そして俺は、初めては好きな子とロマンティックなシチュエーションで迎えたいという願望を抱えたロマンチスト童貞モンスターだ。


 いや、やばいって自覚はあるさ。

 そんな夢みたいなことを言ってたら笑われるだけだし、そんなだからいつまで経っても童貞なんだと。

 でも、あんな押しかけメンヘラに押し倒される初夜なんてものは御免だ。

 第一、俺は今から勉強に忙しいのだ。


 だからあんなのを相手している暇はない。


「よし、これでいいだろう」


 俺の部屋の扉の前は、もはや何人たりとも侵入不可能な要塞と化す。


 ただ、朝どうやって出たらいいんだろうと思ったりはしたけど。


 明日のことは明日考えるとしよう。

 今は今晩の身の安全が第一だ。


「さーて、勉強すっか」


 ようやく、落ち着いて勉強が始められる。


 どうせこの後、部屋に侵入しようとしてきて扉が開かず、外からワーワー言ってきたりするんだろうけど。


 絶対に無視だ。

 そんなありきたりな展開はこっちから潰してやる。


 と、威勢よく参考書を開いてノートに書き写し始める。


 しばらく。


 いつもの調子で勉強が捗っていく。


 ……。


「あれ?」


 部屋に戻ってから数時間は経過した。

 しかし外からは物音一つしない。


 不思議、というよりは不気味だ。

 もう、部屋に戻って休んだのだろうか。


「……いや、何もしてこないならそれに越した話はない。うん、俺も寝よう」


 いくら奇行が目立つ神岡でも、最低限の常識くらいは持ち合わせていたかと。


 ほんの少しだけ安心しながら部屋の灯りを消して、俺は布団に入った。


 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る