第3話 パソコンを触りたかっただけだというのに

 神岡紫苑という人物について、学校でアンケートを取ったら半数以上の人間がまず、「かわいい」や「美人」と記載するだろう。

 そして内面的な部分を問えば間違いなく「お淑やか」「清楚」「冷静」、そんなワードが並ぶに違いない。


 ただ、俺はここ数日、というより今日一日だけでよくわかったことがある。


 神岡紫苑は、病んでいる。


「会長、もうすぐ授業終わりますね」


 ヒソヒソと、俺に向かって嬉しそうにそう言ってくる神岡を見ながらうなだれる。


 百聞は一見に如かずという言葉が俺の座右の銘になりそうだ。

 一体誰のどんな情報を信じて彼女を副会長に任命したのだろうか。

 なぜ、ちゃんと彼女の為人をこの目で確かめてから勧誘しなかったのだろうか。


 後悔先に立たず。

 しかし今ならまだ……。


 思い切って辞めてくれって、言ってみようか。


「神岡さん。そういえばなんだけど」

「はい、なんですか? 生徒会辞めろっていう話以外ならなんでも喜んで聞きますよ」

「……え?」

「会長、やっぱり二人だったら不安だなあって、そう思ってるとこありますよね? 私のこと、全然信用してくれてないですよね? 酷いです、私が欲しいって、そう言ってくれたのに……」

「お、おい泣くなよ」


 授業中にしくしくと、神岡さんが泣き始めた。

 様子が変だと気づいた先生は、神岡に「大丈夫か?」と声をかける。


 すると顔を押さえたまま横に首を振る。

 いや、大丈夫ですだろそこは。


「そうか、あと少しで終わりだが、念のため保健室に行きたまえ。薬師寺、生徒会長なんだからお前が連れて行ってやれ」

「え、俺?」

「ああ、頼んだぞ」

「……」


 先生が俺を選んだのは何も、偶然隣だったからとか生徒会長だからという理由だけではないのだろう。


 他の男子生徒たちが仲間にしてほしそうにこっちを見ている。

 下心しかない連中ばかりだ。

 それを察して、朴念仁と思われてる俺に白羽の矢が立った、それだけのこと。


 もちろん俺は泣いている女子生徒に卑猥なことをする趣味など持っていない。

 むしろそういう考えの連中を正すために生徒会長としてここにいる。


 はずなのだが。


「会長、二人っきりですね。えへへ」


 保健室に向かう途中の階段の踊り場で足を止めた神岡は、嬉しそうに俺を見て頬を紅潮させる。

 さっきまでの涙はどこいった。


「ほら、さっさと保健室に行くぞ」

「でも、ここでも人はいませんよ?」

「一体保健室に何をしに行くつもりなんだよ」

「そ、そんなこと私に言わせるなんて……会長ったら、えっち」

「……早く歩け」


 可愛いとは思う。

 照れた顔とか、そりゃあもう抜群に可愛くて思わず胸がキュンキュンしそうなほどだと、目が腐ってるわけでもないからそれはわかる。


 でも、そういう話じゃない。

 なんかこう、いちいち言ってることが重い。


「会長と初めてのベッドイン……こ、このまま放課後の保健室で二人、あんなことやこんなことをして、もしかしたら会長のあんな部分を触らされたりなんて……や、やだ、ちょっと濡れちゃう」

「行かないなら帰るからな俺は」

「あ、会長待ってくださいって。私、つい」

「つい、でなんでもかんでも許されると思うなよ。ほら、保健室が見えてきた。あとは中にいる保険の先生に従って寝かせてもらえ」

「あ、そういえば保険の先生いたんだった。始末しなきゃ」

「いや先生を屠ろうとすな。あと、今日の生徒会は休め」

「どうして? こんなにも元気なのに」

「そんなにも元気なら教室に戻って授業受けろ!」

「でも、もう授業終わりですよ?」

「え?」

 

 保健室の前に来たところで、終業のベルが校内に響く。


 今日の学校はお開きとなった。

 一斉に、各教室から生徒たちが雪崩れるように出てきて校舎中が騒がしくなるのがわかる。


「あ、なんか一気に騒がしくなっちゃいましたね。生徒会室、行きましょっか」

「……仕事しないなら追い出すからな」

「もちろんです。私、副会長ですから」

「……」


 そういうわけで生徒会室へ移動。


 そして部屋に入るとすぐ、神岡は書類棚から去年の球技大会の資料をまとめたファイルを取り出して机に広げる。


 なんだ、ちゃんとやればできるじゃないか。


「去年の資料を見て、思うことはあるか?」

「そうですね、まずこの男女共闘という制度は廃止しましょう」

「え、なんで? 男子と女子が同じチームでプレーするっていうのは、時世も反映していていいと思うんだが」

「いえ、会長が他の女子と戯れる姿を見たら私、体育館ごと放火したくなりますので」

「うむ、廃止にしよう」

 

 人命には代えられない。

 ていうかいちいち言ってることが怖いし目がマジなんだよな。


「じゃあ、男女別でやるとして、競技はどうする? 皆のモチベーションが上がるもので、且つみんながやれる競技でなければならないからこれは難しいぞ」

「ソフトボールとか、サッカーとかですか?」

「まあ、ありきたりだが芸がない。例えば初心に帰ってドッジボールとかはどうだ? 小学校の頃、よくやっただろう」


 ああいうのを、少し大きくなってからやってみるのも意外と楽しいものだ。

 最近では日本代表選手が動画配信をしてたりもするし、盛り上がるに違いない。


「でも、あれって体格とかで結構有利不利がありますよね」

「まあ、そこまでは仕方ないだろ。何のスポーツをやっても体格がいいやつが有利だし」

「私、Eカップだから的が大きくて不利ですよね……」

「え、そこなの?」

「え、他にありますか?」

「……」


 Eなんだ、と不覚にも思ってしまった。

 チラッと胸元に目がいってしまいそうになって、視線を逸らす。

 今は雑念を捨てろ……。


「ごほんっ。とにかく、企画はそれでいく。早速、全校生徒に配布する資料の作成に入るが、副会長はパソコンとかは得意か?」

「私、毎日何時間もパソコン触ってるのでそのあたりは問題ないかと」

「頼もしいな。ではエクセルを触ってもらおう」

「エクセル? セクハラの仲間ですか?」

「……原稿を書いてもらおうか」


 どういう聞き間違いでエクエルがセクハラになるのだ。

 ……いや、ダメだ。イライラするな、冷静にだ。


 彼女のペースに巻き込まれたら負けだ。

 俺だけでもちゃんと仕事をしよう。


「じゃあパソコンでの作業に入るから、案内文が書けたら見せてくれ」

「はい、わかりました」


 俺は奥の席に置いてある生徒会用のパソコンを立ち上げる。

 旧式だから少し立ち上がりが遅い。

 仕事の能率を上げるために、こういうところに予算をもっと使ってもいいかもなんて思っていると、耳元で声がする。


「か・い・ちょっ」

「ひゃっ!」


 いつの間にか背後に来ていた神岡にフーッと耳に息を吹きかけられた。

 その瞬間、背筋が感じたことのない快感と共に伸びる。

 な、なんだこの快感は……。


「ふふっ、会長のお耳、すごくかわいいですよね」

「……」

「あれ、どうしました? もしかして、気持ちよかったですか?」

「そ、そんなことない。い、いいから邪魔をするな」

「……ふーっ」

「あひゃあっ!」

「あはは、会長可愛い。もっとしてあげる。ふーっ、ふーっ」

「や、やめてくれ! お、俺は仕事を」

「エクセルじゃなくって、私を触ってほしいなあ。フーッ!」

「ぬひゃあっ!?」


 この日、自分の新たな一面を発見した。

 耳が性感帯。

 その事実を知って、ただただ気持ちよくなってへとへとになったところで日が暮れた。


 今日も、何の仕事もできなかった。

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