第3話ダンジョンボスでも人混みに勝てない




 秋も深まるこの季節、ミュゼルドラの表通りは露店が建ち並び、午前中はその客たちでごった返している。


 人混みを思い通りの方向に進むには多少の慣れが必要で、初見の者はたいてい溺れるように不本意な流れに乗せられてしまうものだ。


「うおっ! ちょ、我をどこに連れていく。なんじゃこの人の流れは! 抗うことのできぬ大きなうねりと他人の意思に流されていく、これが人の一生か……!」


 案の定、身体の小さなステラは人混みに巻き込まれ、あらぬ方向に流されそうになっていた。


「なに変な哲学に目覚めてんだ」


 俺は彼女の手をきゅっと掴むと、自分のほうに引き寄せる。


「う、うむ。助かったぞ。にしてもすごい人混みじゃな。この町、いつもこうなのかの?」


「いや、この季節のこの時間帯だけさ。ミュゼルドラの冬は厳しい。これ以上寒くなるとダンジョンの攻略難易度はうんと上がるからな。今のうちにダンジョンに挑戦しておこうって冒険者が溢れるのさ」


 特に攻略前に露店で足りない装備や備品を揃えるパーティも多いため、午前中のこの時間帯は混雑するのである。


「そうなのか。まあ、確かに冬のダンジョンは底冷えするからのう……人間には辛かろう」


 何かに思いを馳せるように遠い目をするステラ。


 もしかしたら、彼女もダンジョンに潜ったことがあるのかもしれない。


 冒険者の主な収入は倒した魔物から回収できる素材だ。


 今のうちに素材を取り溜めておいて、冬の分の生活費を確保しなければならない。


「つーわけで、今の時期は稼ぎ時でピリピリしてる冒険者が多い。当然、トラブルも増えてくるから気を付けろよ」


 と、俺が注意したのとほぼ同時だった。


「この腐れ筋肉バカが!」


「んだとコラ! もっぺん言ってみろ!」


「何度でも言ってやるわ! この金なし非モテゴリラが!」


「いやさっきと違う罵倒が来たんだけど!」


 露店の並ぶ空間を抜け、広場までやってきたところで、聞くに堪えない罵声と打撃音が聞こえてきた。


「おお。何やら盛り上がっているのう」


 ステラは若い女の子の割に暴力沙汰が嫌いじゃないのか、喧嘩の見物客たちの集まる人だかりに興味津々の視線を注いでいた。


「あんまり目を合わせるな……って言いたいところだが、この町で暮らしてくならこのくらいは慣れないとな。おばちゃん、ミュゼルサンド二つ」


「あいよー」


 見物客相手に軽食と酒を提供する、商魂たくましい露店のおばちゃんから二つパンを買い、片方をステラに渡した。


「ほら、入居祝いで今回だけ俺の奢りな」


「うむ。大義であるぞ。これなら見物しながらでも食べられる」


 ステラはパンを咥えると、人混みを掻き分けて喧嘩を眺められる場所に潜り込む。


 俺もその後ろをキープすると、目の前で繰り広げられる喧嘩に目を向けた。


 いかにも冒険者といった風体の大男が二人、素手で殴り合っている。


 そのうちの片方、金なし非モテゴリラと呼ばれた褐色の男は見知った顔だった。


「いいぞー! そこじゃそこじゃ!」


 ノリノリで声援を飛ばすステラ。こういうのが好きなタイプか。


 一方、俺は無言で出来たてのミュゼルサンドを頬張った。


 燻製した豚肉を焦げ目が付く程度に焼き、刻んだ野菜と一緒にパンに挟んだ逸品だ。


 したたる肉の脂と胡椒の辛味、野菜の食感が口の中いっぱいに広がる。


「今日も平和だなあ」


 と、俺が町の名物と日常のほのぼの感を味わっている間に決着がついたらしい。


 褐色の男が相手の頬に強烈な右拳を叩き込むと、それが決め手。


 殴られた男は白目を剥いて仰向けに倒れた。


「っしゃあああああ! 俺の勝ちだ!」


 褐色の男が拳を突き上げると、周りの観客たちから拍手や口笛が送られた。


「うむ! よい戦いだったぞ!」


 ステラも惜しみない賞賛の声を送る。


 その声が届いたのか、褐色の男がこっちを向いた。


 山賊めいたゴツい顔と鋭い視線の中に、どこか人懐っこい愛嬌のようなものがある。


「お、メルじゃねえか」


 目が合うと、男は傷だらけの自分を省みることもなく気さくに手を上げて近づいてきた。


「よう、シド。また喧嘩なんかしてんのか」


「おうよ! ちょっとした腕試しみてえなもんさ!」


 がはは、と豪快に笑うこの男はシド。


 この町でもそこそこ名の通っている冒険者である。


 彼は一通り挨拶をすると、今度はステラのほうに目を向けた。


「で、そっちのお嬢ちゃんはどちら様で?」


「新しい入居者だ」


 簡潔に紹介すると、ステラは腕を組みながら鷹揚に頷いた。


「我が名はステラ・ブラッドじゃ。そこのでかいの、なかなかよい見世物であったぞ」


「おお、そりゃどうも。お嬢ちゃん、喧嘩はいける口かい?」


「うむ。血湧き肉躍る戦いは大好きじゃ。生と死の境目にこそ命の輝きというものはある」


 深々と頷くステラが気に入ったのか、シドは全力で笑った。


「がはは! お嬢ちゃん、分かってるじゃねえか! そうだ、戦いが楽しみたいなら闘技場に行きな。あそこじゃ力を持て余した冒険者たちが日々腕試しをしてやがるぜ」


「本当か!? そのように面白そうな場所があると知ったら行くしかないではないか!」


 余計なことを言い出したシドを、俺はじろりと睨む。


「おいシド、闘技場は賭場だろ。こんな子供に何を勧めてるんだ」


「誰が子供じゃ!」


「かてえこと言うなって。お前が保護者として付いていってやればいいじゃねえか」


 ちらりとステラを見ると、彼女はものすごくわくわくした目でこっちを見上げていた。


 諦めるように説得するか。


「いいか、ステラ。このがさつな男の言うことなんか聞くもんじゃないぞ。こいつはつい先週、狙っていた女に『がさつすぎて無理。ほとんど蛮族じゃん』と言われてフラれたばかりの男だ。真に受けるとお前もがさつになるぞ」


「なんと。それはいい女じゃの。この山賊めいた顔ではなく、きちんと中身まで見てから判断するとは。しかし、そうなると言い訳のしようがないのう……いかにがさつとはいえ、人格全否定は堪えるものがあっただろう」


「おいコラ。お前ら何ものすごい速度で人の傷抉ってんの? そこカサブタになったばっかのとこだよ。無理やり剥がされて今また血が流れ始めたよ」


 なんか言っているシドを無視して、俺は更に説得を続ける。


「だろ? 景気いいこと言ってたけど、今日の喧嘩も絶対その憂さ晴らしだって。挙げ句、勝って気が大きくなったからって人に賭場を勧める情けない男だよ。精一杯の『俺、もう平気です。今日も元気に尖ってます』ってアピールなんだよアレ」


 俺の言葉に、ステラは顔をしかめる。


「こら大家、気を遣え。そういう虚勢も心を立て直すのには必要なのじゃ……笑顔で受け入れてやるべきじゃ」


「ほんと気を遣ってほしいんだけど! 誰か傷薬買ってきて! カサブタから血が止まらないの!」


 騒ぐシドを哀れむように一瞥してから、ステラはこちらに視線を戻す。


「のう、大家。ここはこの男の顔を立てて闘技場に行くべきではないかの? こやつも知り合いであるお前に、奔放に振る舞っているところを見せようと頑張ったんじゃろ?」


「そう……かもな。うん、ここは顔を立てるのが友情というものか」


 そして俺たちはシドに向き直り、最高の笑顔を作った。


「シド、俺たち闘技場に行ってみるよ。せっかくこの町にやってきたんだし、名物は全部見せてやるべきだよな。助言、感謝する」


「うむ。よい提案じゃったぞ、強く生きろ」


「その刃物みたいな優しさを仕舞え! 怖いよお前ら! 笑いながら人を刺してるようにしか見えないよ!」


 何故か半泣きになっているシド。可哀想に……まだ完全に失恋が癒えていないのだろう。


 こういう時はそっとしておいてやるのが大人の友人というものさ。


「つーわけでステラ。闘技場に連れていってやるが、賭けはなしだぞ」


「うむ、分かっておる。ふふ、楽しみじゃのう」


 闘技場に行くことが決まったためか、やたら浮き足立っているステラ。


 何かあったら怖いし、ちゃんと釘を刺しておくか。


「それと、ちゃんとはぐれないように俺の側にいること。もしもはぐれたら係の人の元へ行くこと。知らない人に付いていかないこと」


「なんかすごい子供扱いされてるような気がするんじゃが気のせいかのう! これでもそこそこ長く生きとるんじゃが! じゃが!」


 抗議するステラに、俺はちょっと腰をかがめて目線を合わせると、ぽんぽんと頭を撫でてやる。


「そうだな、ステラはもうお姉ちゃんだもんな。だから迷子になっても泣かずにちゃんと係の人を呼べるよな?」


「我の言葉、何一つ響いておらんな!? だからその子供扱いをやめい!」


 頭を撫でる俺の手をバシッと弾くステラ。


 多少心配だが、俺がちゃんと見張っていればいいか。


「まあいい。じゃ、さっと行ってさっと帰ろう。部屋の整理もまだろくにしてないし」


「うむ。ではシドとやら。世話になったな」


「いやもう早く行ってくれ……っと、そうだお嬢ちゃん。この町の先輩として、お嬢ちゃんに一つ助言を送るぜ」


 俺たちが行こうとした時、シドは何か思い出したように真剣な顔をする。


「む、なんじゃ?」


 彼の雰囲気にただならぬものを感じたのか、ステラは足を止めて向き直った。


「いいか。この町で無事にやっていきたいなら、必ず家賃だけは払え。闘技場で生活費切り崩して借金まみれになる奴でも、必ず家賃分だけは手元に残しておくもんだ。それがこの町の掟なんでな」


「ふむ……よく分からんが、助言は覚えておこう。心配するではない。ダンジ……いや、実家を出る時に金目のものを持ってきたからの!」


 大家としては安心の一言だ。


「じゃあな、シド」


「おう。またな」


 そうして彼と別れ、闘技場に向かうのだった。


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