七草穂乃果
私には幼馴染が居る。
初めて出会ったのは父の仕事で今住んでいる街に引っ越して来た小学1年になる直前。
引っ越した先の隣の家に住んでいた彼は、見知らぬ土地に来たばかりで戸惑う私をあれこれと気遣ってくれて、本当に助けられた覚えが沢山ある。
私はよく彼の家に遊びに行っていた。
一緒に食事をし、おやつを食べ、遊び、いつしか気安くお互いを『
『下の名前を呼び捨て出来るのは一番の友達だけなんだ。』
彼がそう言っているのだから正しいのだろう、と疑う事無く信じた。
『だから俺は今日から”穂乃果”って呼ぶぞ。』
彼は少しだけ頬を紅くして顔を逸らしながらそう言った。
『じゃあ私は龍ちゃんのこと”龍之介”って呼ぶね。』
直接言う機会は少なかったと思うけど、今まで『龍ちゃん』と呼んでいたのがこの日を境に『龍之介』と呼ぶようになった。
多感な子供時代、周囲の友人からは相当冷やかされた。
それでも龍之介は私を何よりも優先してくれて、時に、私が同級生に揶揄われたりした時はその相手と喧嘩した事もあった。
中学生くらいになると、今まで私を揶揄っていたような同級生が何故だか私の元へ来てやたらと話し掛けてくるようになった。
私は龍之介以外の男子と話すのには慣れていなかったので、それがどうにも落ち着かず、つい素っ気なくしてしまった事もあったように思う。
高校生になって、更に私に言い寄って来る男子が増えた。
小学生の頃に私と龍之介を揶揄っていた男子や、中には初めて顔を見るような男子から『付き合ってください』と言われて気絶しそうになった事もある。
数年前まで馬鹿にしていたのに、ついさっき初めて話をしたばかりなのに、恋人になんかなれるわけがないとキッパリ断っていた。
いつだったか、私と龍之介が『二人は付き合っている』と噂された事もあった。
龍之介はいつもの優しい笑顔を少し困ったようにするだけだったが、私は嬉しいやら恥ずかしいやらで顔を真っ赤にして『そそそそんな筈ななないでしょっ!?』と噛みまくりながら全力で否定してしまっていた。
その時の龍之介が寂しそうな顔になっていたのは今でも忘れられない。
◆
高校2年のある日、
私はこれを龍之介との距離を更に縮めるチャンスだと思った。
「今日は
「あぁ、親父とお袋が旅行に行っててな。帰って来るまでは学食だ。」
「そ、そうなんだ……」
昼休みのチャイムと同時に学食へ向かおうとした龍之介を慌てて追い掛けて声を掛けた。
おばさんの弁当が無ければ学食か購買しか無い。
タイミングを外せば龍之介はそのどちらかに行ってしまうのだから気も焦るというものだ。
「どうした?」
「あ、えっと……実は……お弁当があるんだけど……」
「ん?」
龍之介は不思議そうな顔で私を見ていた。
あぁ……今の言い方だとまるで自分に弁当がある事を自慢しているように思われてしまう。
「あ、いや!……その……お弁当……作り過ぎちゃって……」
「は?」
弁当を作り過ぎたってどういう事よ?
作り過ぎたならタッパーにでも入れて家に置いておくでしょ。
私は何を言っているんだろう?
「そ、その……龍之介がどうしても学食に行くのが面倒なら……」
「え?いや、学食行くくらい別に面倒じゃないけど。」
「あ……じゃ、じゃなくて……その……」
「何だよ?面倒ではないけど早く行かないと席埋まっちまうんだ。」
「……これっ!」
これ以上引っ張ったら龍之介に変な子認定されてしまう。
私は鞄から紺色の布に包んだ弁当箱を取り出し、人生最大級の勇気を振り絞って龍之介にそれを差し出した。
「これ?」
「そ、その……作り過ぎたお弁当……」
「え?くれるの?」
少し驚いたような声が頭の上から聞こえる。
受け取ってもらえるのか不安で、差し出して手に持った弁当箱ごと震えてる。
「マジ助かる。そうだ。どうせなら中庭辺りで一緒に食うか?」
「っ!?い、いいの?」
「あ~、無理にとは言わないけど。」
「む、むむむ無理なんかじゃないよっ!」
何と!
受け取ってくれるだけじゃなくて一緒にお昼ご飯食べようとか言ってくれてる。
私は龍之介に着いて学校の中庭へとやって来ると、周囲を囲むように配置されたベンチに並んで腰掛けた。
龍之介が弁当箱を開けると、『おぉっ!』っと嬉しそうな声を上げた。
そりゃそうよ。
名付けて『龍之介の大好物詰め合わせ弁当』。
鶏の唐揚げ、ハンバーグ、卵焼き、塩胡椒だけで味付けされた野菜炒め……いつでも龍之介に食べて貰えるように、何度も何度も練習したのだから。
「美味ぇ!」
「そ、そう?」
鶏の唐揚げを口の中に放り込んだ龍之介は、目を大きく見開いてゆっくりと咀嚼しながらしっかり味わってくれているようだった。
龍之介はおばさんの唐揚げは少し味が薄いと言っていたから、私はおばさんのより少しだけ醤油を多くして濃い目に作ったのよ。
「前食った時も美味いと思ってたけど今日のも格別だな。」
「良かった……」
無心で弁当に貪りつく龍之介の隣で、私はほっと胸を撫で下ろしながら自然と笑顔になっていた。
「はぁ~美味かった。ご馳走様。」
「お粗末様です。」
「とんでもない。お世辞でも何でもなく今まで食った弁当の中でもトップ3に入るくらい美味かったぞ。」
「そんな……褒め過ぎだよ……」
私は弁当箱を元の紺色の布で包みながら、何だかこそばゆくなって俯いていた。
顔が紅くなっているのを誤魔化すように水筒から入れた冷たいお茶を龍之介に渡して、龍之介と反対の方へ顔を向けていた。
「あ、あのさ……おばさんって帰って来るの明後日だよね?」
「ん?あ~確かそうだったかな……ってよく知ってんな。」
「っ!……う、うちのお母さんがいいい言ってたから……」
「あぁ、お袋とおばさん仲いいもんな。」
「私たちが小さい頃からずっと……今で言う”ママ友”だもんね。」
同い年の子供が居るお隣さんという事で、お母さんとおばさんは、ずっと仲良く付き合っている。
旅行に行く事だって、恐らく龍之介よりも先に聞いていたに違いない。
「ふぃ~……さてっ!あと2時間!頑張るかなっ!」
「あ、あのさ……」
「ん?」
何だか幸せな雰囲気に呑み込まれたまま終わりそうだったが、こんなに龍之介が喜んでくれているという事は、私のお弁当作戦は大成功だったわけで、ここでもう一押ししなければこのまま終わってしまう事に気付いた。
「どうかした?」
「も、もし……明日もお弁当作り過ぎたら……食べてもらえるかな……?」
「あ、うん……そりゃ有難い話だけど、作り過ぎないようにすればいいだけなんじゃないのか?」
「そ、そうなんだけど……多分作り過ぎちゃう……から……」
また作り過ぎるって、私はどれだけおっちょこちょいなのよ。
龍之介に呆れられちゃうじゃない。
「分かった。じゃあ作り過ぎたら明日もお願いしようかな。」
龍之介は優しかった。
どこか抜けている私を気遣ってそんな風に言ってくれるのだから。
「うんっ!」
私は頬が熱くなるのを感じながらも、小さくうんうんと頷いていた。
ちょっとドジった所もあって決まりが悪いけど、私のお弁当をまた食べたいって言ってくれた事が何よりも嬉しかった。
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