第二章 とうひ③

 ピンと張り詰めた緊張と黄、黒のテープ。大した意味もなく集まった人間の視線は、大体その先に注がれていた。テープの向こう側はひどく暗い。こちら側も、それと大差ないほど暗い。

紺色の服を着た警官の姿が見えた。ドラマで見るような事件現場。今それが、土岐健二の目の前で広がっていた。人の不幸をイベントにして集まった野次馬をかき分ける。

 人混みに隠れていて見えなかったが、テープの前にも警官の姿があった。

 それともう一人、よく知った顔を見つけた。

「……あ、土岐」

「何があった?」

「人の骨が出た」

 犬の散歩中、濁った水たまりの中に偶然白いものを見つけた。よく見るとそれは人骨のようで、警察に通報した。

 白骨死体、明らかに死後数年経っているそう

 

「君ら、ここに住んでるの?」

 そばにいた警官が二人に聞いた。テープで隔てられた建物を指さして。

「はい」

 警官は手に持った資料をめくる。

「あれ、でもここ……。村田慎吾って知ってる?話を聞きたいんだけど」

「村田……」

「そういえば、二人ともあそこの高校だってさっき言ってたよね。村田昭彦って子いない?その子の父親なんだけど」

「知ってます。ただどこにいるかは知りません」

 土岐が口を開く。

「え?でも。君らここの施設に住んでるんだよね。ここの管理者は村田慎吾の名前になってるのに」

 暗い町並みと、不気味にも思える彩度の高い黄色のテープに囲まれた中に、場違いな看板があった。幼稚園児が描いたような人間のイラストに囲まれ、そこには『家族の家』と書かれていた。

 親がいない子供たちが集まる場所。それがこの施設だった。


 奥には施設の庭が見える。最近の雨でぬかるんだそこには、血を吸ったように真っ赤な彼岸花が咲いていた。




 警察に事情聴取をされ解放された。別の施設に移されるわけでも保護されるわけでもなかった。

「どうなるんだろうね、あたしたち」

 今の施設は機能していない。もともと、『家族の家』に限らず、このような施設の評判はよくなかった親を失った『家族の家』はじきに解体されるだろう。

小さい施設とはいえ、どこかから補助金をもらっていたはずだ。施設の役割を放棄していたのにだ。もう、ここには住めない。

「警察もさ、あたしたちに色々説教したってしょうがないのに。どうしろってんの。子供は、産まれてくる家を選べないんだから。自分の家以外に、居場所なんか無いのに」

 あたしも、親が欲しかった。彼女はそう呟いた。

「土岐、」

 彼女は名字で彼を呼ぶ。

「あたしたち、家族だよね」

 呪いだった。家族はお互いを助けあわなければならない。そうしないと、生きてゆけなかった。


     *


 『家族の家』が狂い始めたのは、土岐らが小学生になった時期ごろだった。珍しく養子にもらってくれる親が見つかり、友達が施設を去った少し後だった。


 『家族の家』。訳あって親が育てられない子供や、捨てられている子供を保護し、家を与える。そして養子や里子をもらってくれる人を探す。夫婦二人で運営する小さな施設だった。最も、血のつながっていない他人、それも訳ありの普通でない子供たちを育てたいと手を上げる人は、片手で数えるほどしかいなかった。次第に子供の数だけがどんどん増えていき、施設はうまく回らなくなり始めた。


 ある日、管理者である村田慎吾、妻明美の両方が施設に来なくなった。子供の世話をしていたのは、その二人だけだ。親である二人のネグレクトだった。

 彼らはその日、親をなくした。

施設には、小学生低学年、中にはそれ以下の年齢の子たちもいた。

まともな生活が送れる訳がなかった。数日で施設内の食料が尽きた。お菓子やおもちゃなどはこれまで買い与えられていたから、自由に使える金など誰ももっていなかった。掃除や皿洗いなど、無理を言ってさせてもらっている子もいた。物乞いをするような子、盗みを働く子、けれど次第に足りなくなり、おじさんから金をもらう仕事をする子もいた。


 よくなることのない生活が、さらに悪化したのはそれから少ししてからのことだった。 タバコの匂いと、下品な笑い声が合図だった。

 施設の庭には、誰が植えたわけでもなく彼岸花が咲いていた。今年も秋に入る頃に咲くはずだった。

 踏み潰し入ってきたのは不良たちだった。荒れた施設は、人目につかず好き勝手できる場所には最適だった。

 子供を殴ったり、蹴ったり。手加減はしていたのだろうけど、彼らは鬱憤晴らしのように暴力をふるって嗤っていた。


 掃除の行き届いていない床に力で追い倒された時の、埃と血の味はし今でもよく覚えている。


 十代後半の男女数人その中に、施設の子供の年齢と大差のない子も一人ちいた。不良たちに気に入られたのか、よくつるんでいた。

 

 やり返した子はいた。でも、トップである男に言い付けられ、より苛烈な暴力を受けた。


 施設から逃げた人はいた。ただ、その後どうなったかは知らない。不良たちのの機嫌がいい時は、食べ物をくれたりした。床に落としたそれを、痩せたと子が貪るのを笑って見ていた。暴力を受ける代わりに、食べ物をもらっていた。それに、施設内で死人が出るのは彼らにとっても都合が悪かったから。

 逃げたとしても、行く場所なんてない。親も親戚も、居ないか知らない。寝る場所も食べ物もない。

 施設は地獄だった。でもそこ以外に家を知らなかった。

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