第二章 とうひ②
「おはよう」
健二は少し先の方にいた玉木に声をかける。
朝、薄暗い灰色一色で描かれた町。その中に、誤って黒い絵の具を落としたように不自然だった、彼女を取り巻く空気は。玉木はそれを隠そうともしていなかった。
彼女にかける言葉が見つからなくて、土岐は静かに歩き出す。ゆっくり、ゆっくりと。
静かすぎる通学路に、だんだんと川の音が流れてくる。
「ごめん」
また、ザーザー水の音。
「謝らないでよ、健二は何にも悪くない。むしろ健二がいたから少し楽になったんだよ」
笑った彼女の表情は痛みを隠していた。
「健二は村田昭彦の件、聞いた?」
「聞いたよ」
「健二は知らない?美里が何でああなったか」
知らない、彼は静かに答える。
「お前さ、玉木のこと好きなん?」
朝の教室、嘲笑ったような口調でそんな質問をされた。
村田昭彦、あの日川にいたと言われる人物。
「ホント気持ち悪いよな」
土岐の返事を待たず、村田が言う。朝練終わりだからか、むっと汗のにおいがする。机に手をつき、上から見下ろす。
「あいつ親に捨てられたんだぜ。今はヨウシ?にもらわれたらしいけどさ」
村田が発する言葉の隙間に、で?と土岐は小さく呟く。喧騒の中、だけれども村田には聞こえたらしい。彼は顔をしかめる。
「血もつながってない奴らにちやほやされてんだろ」
彼は笑った。
沈黙。
「んだよ。気味わりいな」
彼は教室を出ていく。
昔からだ。何も変わっていない。
なあ、津崎さん。お前は何がしたかったんだ?なんでこんな奴、川で。
校内放送が鳴り響いた。事故のあったあの日の朝と同じような空気。また、授業が始まっても教師が来なかった。
前回より早く教室に来た教師は、近くで事件があったこと、犯人はまだ捕まっていないこと、学校にいた方が安全だから授業は行うことを伝えた。
被害に遭った人は、学校とは全くの無関係であることも言われた。
相変わらず、湿った風が吹いている。校舎に取り付けられた大きい時計は、四時半過ぎをさしていた。
頭上の木の葉が揺れる。曇っているせいで、木陰も周りと大差なかった。
待つ二人の前を車が何台か通り過ぎてゆく。
「おかあさんもうちょっとで来ると思う」
玉木はもう一度時計を見る。物騒だからと、車で迎えに来てもらうことになっていた。
「俺も乗っていっていいの?」
「もちろん。そういえば健二っておかあさんと面識なかったっけ」
「うん、会うの初めてだな」
そっかあ、と彼女が言うタイミングで、駐車場にシルバーの車が入ってくる。来た、玉木が呟く。
玉木の母親は柔らかな面持ちをしている人だった。
「ただいま、健二も一緒だけどいいよね」
後ろのドアを開けた玉木に、母親はいいわよ、と朗らかに返す。
「その子がいつも言ってる健二くんね」
「そ」
玉木は短く返す。
「初めまして」
「はい初めまして。冴がいつもお世話になってます。二人とも乗って、駐車場に立ってると邪魔になっちゃうから」
後ろの二人がシートベルトをしたのを見と届けて、軽くアクセルを踏む。
「冴に集合写真見せてもらったりしていたから、顔は知ってるのよ。実物はもっとかっこいいわね」
「ちょっとお母さん」
ちょっと怒ったような口調で言い、玉木は唇を尖らせる。
「その髪は染めているの?結構みんな染めてるわよね」
黒に近いが、こげ茶の土岐の髪を見て言う。
「いえ、地毛です。生まれつき」
少し釣り目気味の玉木と、逆にたれ目の母親の見た目と雰囲気は、だいぶ違っていた。だけれども、ただそれだけで、何も知らなければ二人は女子高校生と母親の普通の家族だった。何をもって普通というか分からないが、平和だった。血のつながりなんて紙の上の話でしかない。これのどこが気持ち悪いと言うんだ。
「あ、健二くん。家の場所おしえてもらってもいいかな。うちと近いっていうのは知ってるんだけど、具体的な場所は分からないから」
「西小学校付近で大丈夫です。すぐ近くなので歩いていきます」
「いいの?物騒だから送ってくわよ」
土岐は、大丈夫です。そう再度言った。
「そう。ならいいけど。あのあたり、彼岸花が綺麗よね。もう少ししたら咲くかしら。よく旦那と歩いたのよ。懐かしい」
一拍空いて、土岐はそうなんですね、と返す。
家から高校までは歩いていける距離だ。当然車ならすぐ着く。
「またね」
車から降りた土岐に、仲良く二つの声がそろって届く。
窓を開け、手を振る玉木に土岐も振りかえした。交差点を曲がり、車が消えていくのを見送った。
住んでいる場所は、ここからすぐだ。
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