第二章 とうひ①

「俺が殺したんです。津崎美里は俺が……」

 その言葉に、周りはざわつき始める。

「昭彦くん。どういうことか詳しく聞かせてもらってもいいかな」

 なるたけ優しい口調で問うた。

「俺が、殺した。川で、俺が」

 すでにあったまったはずの体を縮こまらせ、おびえたように言った。



     *



「え、マジそれ。誰情報」

「あいつこの前まで学校休んでたやん。その間そんなことばっか言っとったって」

「意味分かんね。自殺だって噂じゃん、津崎って」

「いやあ、結構謎じゃね。学校側だって誤魔化しとるしさ、なによりあいつ現場にいたんだろ」

「らしいね。ヤバくね」

 教室後ろのドアが開く。噂をしていた二人の視線がそちらを向き、次にお互い目で「余計な事言うな」の合図を送る。

「朝練疲れたわ。やっぱ毎日運動しねえとだめだな。なまっちまう。んでお前ら何の話してたん。俺もまぜろよー」

 教室に入ってきたのは村田だ。津崎の事故があった日から一週間ほど休みはじめたと思えば、何事もなかったかのようにケロッとして学校に来るようになった。

 どこからか、あの日村田昭彦が川にいたという噂が流た。しかし当の本人が不気味なほどいつも通りで、噂の真意を聞けないでいた。

「なんだよー。無視か。冷てえなあ」

 さっき前で噂話をしていた二人の肩に、村田は腕を置いた。

「あのさ、なんでお前休んでたんだよ」

「あ?風邪だよ。結構熱出てヤバかったんよ」

「なあ」

 髪の短い方が重く口を開く。その先の言葉を察し、止めようとするもう一人も、どこか聞きたそうであった。

「お前津崎さんが死んだ日、なにしてた。学校休んだよな」

「だーかーら。風邪で寝込んでたんだよ。んだよ。シンコクそーな顔して」

「じゃあ、警察に連れてかれたって言うのは本当なのかよ」

「ああ、それはホント。いきなり連れてかれてなんのこっちゃよ。こっちは風邪ひいてるっつうのに」

「なんもないのに連れてかれるわけねえだろうが。お前、なにしたんだ」

 明らかに声には怒りと非難が混ざっていた。

「何もしてねえって。何?俺が殺したとでも思ってんの?」

 おちゃらけた様子で村田が言う。

「埒が明かない。もういいわ」

 そういうと、質問を投げつけていた彼は席を立った。勢いよく引いたイスが後ろの席に当たり、ガンと鈍い音がする。そのまま彼はどこかへ行ってしまった。

「分けわかんねえ。なんであんなカッカしてんだよ」

 村田は子供のように口をとがらせる。

「あいつさ、津崎のこと好きだったらしいんだよ。お前、少しは考えてもの言え。元クラスメートが死んでんだよ」

「はあ?好き?津崎をか。そんでしおれてんのか。馬鹿じゃねえの」

 教室はうるさい。なのに、そこにいる全員に聞こえるくらいの声で村田が言った。

「黙ってろ、イライラする」

「はいはい。分かりましたー」

 だるそうに彼は席に戻っていった。



「どういうこと、ですか。なんであいつが河原に……」

 目を見開いて玉木が問う。

「それが分からなくて。彼が意識を取り戻してから、警察も事情を聞いたらしいんだけど……えっと、話がかみ合わないから。ただ、そこで津崎さんの名前が出て、もう一回捜査してそこで津崎さんは見つかったの。」

「分かりました。いや、なんも分かんないけど。村田が関係してるってことですか。美里の……事故に」

「村田君の口から津崎さんの名前が出たから、無関係とは言いがたいけど……」

 渡邊は言葉を濁しながら言う。きちんと全部言ってほしいような、聞きたくないような、玉木はそんな感覚だった。知ったところで彼女は戻ってこない。聞くのが恐ろしくて、知らないまま生きていてもいいんじゃないかとさえ考えてしまう。

「じゃあ美里は」


 事故なのか、自殺なのか。

 それとも……他殺なのか。

 第三の選択肢は考えもしなかった。


「一回、終わりにしよう。誰もあの場にいなかったんだから、本当のことなんて分からない。無責任な憶測をこれ以上並べても辛いだけ」

 ……わかりました、と呟く。

「今日は、帰ります」

「うん。気を付けて。今日も雨が降ってるし」

 ぎこちなく挨拶を返す。渡邊は、保健室のドアを閉める彼女の背中に小さく手を振った。

 傘を開く。

 ぎゅっと結んだ口元、その隙間から小さなため息のような空気を吐いた。



 次の日、玉木が教室に行くと律儀に花瓶が置いてあった。美里の机には置かないくせに。邪魔だなあ、と思う。別に辛くない。ただ、美里への冒涜のように感じられて静かに怒りが湧く。

 みんなの視線を感じた。今年度に入ってから、いじめを周りに隠そうともしなくなった。

「やめようよ」

 声の方向を見て、玉木は絶句する。

「なんでー、ゆりっち」

 佐々木ゆりは乱雑に花瓶を持ち上げた。綺麗な花が揺れた。

「どうしたん。急に手のひら返してコイツの肩持つようになってさー」

 佐々木は花瓶を津崎の席に置いた。玉木の横を通り過ぎるとき、一瞬佐々木は睨むような目を玉木に向けた。

 どうしちゃったのー、と声が佐々木に責めたてた。

「こいつのことは嫌い。だけど。だけど……」

 顔を歪ませて、彼女は教室の外に出て行ってしまった。


 四時間目の授業が終わり、昼ご飯の時間になると、教室は活気がつき始める。

男子の数人なんかは、昼休みにサッカーをする。だが学校の昼休みは、お世辞にも長いとは言えない。弁当を食べ、友達と喋っているだけでなくなってしまう。遊びに行く男子は弁当をかきこんでいる。

その他は、友達同士席をくっつけたり、他のクラスまで弁当をもって遊びに行ったりしている。

「佐々木さんが早退します。だれか鞄持ってきてください」

 騒がしい教室だから、渡邊が来たことに誰も気が付いていなかった。正確には、気づかないふりをした。渡邊の声に、少しだけ喧騒が冷めたけれど、元に戻るまでにそう時間はかからなかった。

 サッカーをしに行く男子たちを除いて、前を向いている机は三つ。内一つが、朝から姿を見せない佐々木のものだった。

 カウンセリングに行くようにというヤギの指示は、クラス全員に来ていた。でも行った人は少数だろう。

「玉木さん、食事中ごめんね。鞄持ってきてくれる?私は場所分からないから」

 困った渡邊の目についたのは、玉木だった。

 玉木は箸をしまい、弁当のふたを閉じた。

 ロッカーから、学校指定の鞄とキーホルダーがたくさんついたサブバックを取り出し、持っていく。

「保健室まで持ってきますよ」

「本当?ありがとう」

 教室のドアを強く閉めた。

「助かったよ。みんな名前知らない子ばかりだもん」

「教室うるさかったのでちょうどよかったです」

「そう。佐々木さんとは友達?」

 玉木は静かに首を振る。

「そっか」

 二人は階段を下る。廊下からは、グラウンドが見えた。まだこの前の雨でところどころ水たまりができていた。どこでサッカーをやるというんだ。

 保健室はそう遠くない。下駄箱のそばだ。保健室の先生が、朝保健室前に立って生徒に挨拶をしている。一対一で話したことはないけれど、顔と名前くらいほとんどの生徒が知っている。

 放課後とは違い、保健室には生徒数人と保健室の先生がいる。知らない女子生徒が、保健室の先生と友達みたいな感じで話しながら弁当を食べていた。机には、数Ⅰの教科書とノートが広げてあった。保健室登校、という言葉を思い出す。

 並んだ三つのベットの一つは、カーテンが閉まっていた。

「佐々木さん。開けるよー」

 渡邊がゆっくりとそれを開く。

 佐々木は、空いたカーテンの向こう側に玉木がいたことに驚く。

「なんで」

「先生に頼まれただけ」

 淡々と言った。

 佐々木はベットから起き上がり、上靴を履きなおした。

「佐々木さん体調は大丈夫?親さん迎えに来れるかな」

「来ないです。自分で帰れるんで大丈夫です」


 親、いないし。彼女は小さくそうつぶやいた。

 「お前の親偽物なんでしょ」嫉妬ってそういうこと?私だって、親はいなかった。なんで私が嫉妬の対象になったの?


「私送ってってあげることもできるけど」

 そう言う渡邊を、佐々木は大丈夫ですと突っぱねる。

 保健室を出ていく彼女の背中は、なんとなく強さを取り繕っているように玉木には見えた。



「えー、憲法二十五条は、すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有するというもの。そして二十四条はね、家族はお互いに助け合わなければいけないって内容だね」

 お昼ご飯を食べた後の、五時間目からこんな話を延々聞かされる。起きている人とそうでない人の割合は半々ぐらいだ。

 親、いないし、小さかったが耳にこびりついてしまっていた。家族ってなんだろうか。親がいない彼女はこれまでどうやって生きてきたんだ。

家族がお互いを助け合うのなら、そうじゃないものは家族じゃないのか。血なんていう曖昧なものがなくても、助け合うならそれは家族なんだろうか。


 この前と比べると、川の激しさは衰えていた。だけれど相変わらず濁った水が河原を呑み込んでいる。

時折、暇を持て余した老人が石を積み上げていた。石たちは、接着剤でくっついているのではないかと疑うほどきれいに積み重なっており、風程度では倒れそうにもなかった。今はもう、大雨と増水という理不尽に流されてしまった。また、積み上げるのだろうか。

 親より子が、早く死ぬことは親不孝だと言われる。なんで津崎美里は川に流され、あの世に行ってしまったんだ。あんな優しくていい子がなんで、最大の親不孝をすることになってしまったんだ。

 美里たちは家族だった。お互いを支え合っていた。


 あの日、美里が死んだ日。鍵がかかっていない玄関を不審に思い、中をのぞいた時、キッチンには作りかけの肉じゃがが放置されていた。美里が好きだったものだ。給食やスーパーの肉じゃがは食べないくせに、あの子の一番好きな食べ物は肉じゃがだった。

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