第一章 きずぐち⑦
カウンセラーが今学校に来ていること、津崎のクラスメートは順にカウンセリングを受けていることを担任から聞いた
玉木は保健室へ向かう。
「今日カウンセリング受けて帰るから」
「そっか、じゃあ俺は先帰るわ」
ちょうどその時、保健室のドアが開き、生徒が出てきた。玉木のクラスメートだった。
「先生ばいばーい」
それともう一人、見送りに出てきた先生。見たことのない顔だから、おそらくカウンセラーの人だろうというのが分かった。
「すみません、カウンセリングって」
この高校は、平均年齢高めだが、カウンセラーは一回りくらい若い女性だった。柔らかな、茶色っぽいくせ毛が印象的だ。
「じゃあ、また明日」
「じゃあね、健二」
彼は鞄を肩にかけなおし、保健室に背を向ける。
「あ、君。名前だけ聞いてもいいかな」
背後から聞こえた声に、土岐は足を止め顔だけ振り返る。自分を指さし、「俺ですか?」という表情をする彼に、カウンセラーは頷いた。
「土岐健二です」
「ありがとう。覚えた。私は、
そう言って、渡邊は土岐に手を振った。彼はなぜかそれに親近感を覚える。歩みを進めつつ、考える。そういえば中学の頃にも、やたら生徒と仲が良くて友達みたいな教師がいた。あれと似たようなもんかと思う。
スライド式のドアが閉まる音が聞こえた。そういえば今日は雨が降っていない。でも相変わらずの曇り空。土岐は深くため息をつく。
「さて、改めてこんにちは。あ、そこ座っていいよ」
渡邊はパイプイスに腰掛けながら、机を挟んで向かいのイスを指さした。
保健室には、他に人がいなかった。保健室の先生まで留守なのはどうかと思うけれどそっちの方が話しやすいと、玉木は思った。
保健室は久しぶりに来た。確か、だいぶ前に体調を崩して早退した時以来。片手で数えられるほどしか入ったことがない。
微かに消毒の匂いがする。
「じゃああなたの学年と組、名前を聞いてもいいかな」
机の下でぎゅっと握ったこぶしを見つめ、玉木は答える。
「玉木さんね、おっけい。玉木さんは、今日こうやって来てくれたわけだけど、誰かに勧められてきた?」
優しい口調だった。
「はい、担任に言われて」
「五組の担任と言えば、髭のすごい柳先生でしょう。結構優しいおじいちゃん先生だよね。そっかあ。ところで玉木さんはカウンセリングの存在知ってた?」
冴はそっと首を振る。
「だよね。実は私、週に二回くらい学校に来てるんだよ。まあこの学校に来てまだ数カ月だから意外と知られていないけれど。まあそんなことはどうでもいいや。玉木さんのこと聞かせて。最近あったこととか」
一拍間が開く。
「そんなこと急に言われてもって顔だね。そりゃそうだね。ごめんごめん。質問代えよっか。昨日は何してた?」
「昨日は……特に何も」
下を見る。
「まだ緊張してるね。それもそっか。知らないおばさんと話せって言ったって難しいよね。玉木さんの好きなことを聞かせてよ。食べ物とか、本とか。それとも好きな男の子の話する?どうせここには私とあなたしかいないから恋バナしても誰にも聞かれないよ」
「好きな人とかいません」
「ふふ、即答。……ごめんごめん、唇とんがらせて怒んないでよ。どんな子なの?」
「どんな……去年からずっといるけど、そういえばよく知らないかも」
「結構謎な子か。どこに惚れた?」
「なんていうか初めて会ったときに、衝撃と言うかなんか変な感じがして」
ひとめぼれか、と優しく笑って言う渡邊に、ちょっと違いますと言い返す。
「さっきの彼?健二くんだっけ」
「違います」
「ふふ、即答。あなた隠す気ないでしょう」
渡邊は口を手で押さえて笑った。
「嘘が、下手なだけです」
「正直な子、私好きだよ。こう見えて私、子供のころはひねくれものだったから。たくさんの人に迷惑をかけた。取り返しのつかないこともした」
過去を思い出す渡邊の顔は穏やかだった。
「先生が?想像できない」
「時間がたてば人は変わるよ。今辛くても大丈夫だから」
はい……、と曖昧な返事を返した。
「ところで、健二くんは元気?」
「え、はい。元気だと思います」
渡邊はよかったと、呟いた。
それから少し、他愛もない話をした。
「カウンセリングってこんな感じなんですね。私、もっと重いのを想像してた」
「確かにそういう感じのもあるけれど、私はみんなと友達になりたい、明るくなってもらいたい、それだけだから」
空いていた椅子に置いていた鞄を肩にかけ、玉木は立ち上がる。
「ありがとうございました、今日は」
「いえいえ、どういたしまして。暇だったらまた来てね」
礼をして保健室を出る。
ドアを開けると、外は少し暗くなり始めていた。分厚い雲の後ろが、かすかにオレンジ色に光っていた。
水たまりを見て思い出す。二本しか刺さっていない傘立てから一本抜き取った。傘はまだしけっている。最近水をはじかなくなってきたし、骨が錆び始めたから、そろそろ傘の変え時かもしれない。そんなどうでもいいことを考える。
「玉木」
西の校門を通ろうとした玉木を呼び止める声があった。
「……ささ、き。何?」
佐々木ゆり。薄い逆光の光、彼女の表情は陰に沈んでいた。
「ごめん」
背景のオレンジが見えた。彼女が頭を下げた、そう理解するまで少しかかった。
「なんで……」
深く下げた頭を戻す。彼女の長い髪が空を滑らかに舞った。
「ホントにごめん。謝って許されることじゃないのは分かってる。でも、謝らなきゃって思った。アンタにも、津崎にも本当にひどいことをした。気が付くのが遅すぎた。あたしが津崎を殺したも同然なんだ。こんなクズのあたしを殴り殺してくれても文句は言わない。それだけのことをあたしはした」
「何で、なんで急に。なんで今更、遅いよ……」
ごめん、と彼女はもう一度頭を下げた。怒る気力はもう残っていなかった。
「もう……もういいよ。頭上げてよ。美里は帰ってこない。それに、やり返したって何にもならない」
一つ聞かせて。
『お前の親偽物なんでしょ。血のつながってないヤツを育てるもの好きなんているんだー。両親変わってるね。まあ捨てられないようにしなよ』
なんであんなこと言ったの?
「……あたしの醜い嫉妬」
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