第一章 きずぐち⑥
また雨だ。頬に跳ねる雨粒が冷たい。
今日もまた、悪い意味で変わらない日だ。
鞄がとてつもなく重く感じる。肩から下げた鞄が歩く足に当たり、がさっと大きな音がした。音の正体の新聞紙、その中にある冷たい感触のナイフを想像する。
私は今日、許せない三人を殺す。これは復讐なのか、弔いなのか、意味や理由を求めだすと堂々巡りになってしまう気がして、考えないようにする。
人を殺すことはいけないことだと、私たちは誰かから教えられる。けれど、なぜいけないのかは詳しく教えてくれない。
悲しむ人がいるから?されて嫌なことはしちゃいけないから?それともダメだからダメなの?
人の痛みを、悲しみを知らない人がいるから、ダメな理由を教えてくれないから、美里は死んだんだよ。
ダメなことだってことも、エゴだってことも知っている。でもさ、親友を傷つけられて怒るのはいけないことだとは思わない。
自分や親友を傷つけられても、笑って許せる人は聖人なんかじゃない。許してしまえるなら、それは親友じゃなく、他人だ。
痛みは十分すぎるほど知ってる。
分からない?傷つけられることは嫌なことなんだよ。もし知らないなら、ほんの少しでも分かるように痛みを教えるよ。
放課後、私の少し前を佐々木ゆりとその取り巻きが歩いている。でも、まだまだだ。目の前のヤツのほかに、まだ殺さなければならないヤツが二人いる。完全犯罪なんてどうでもいい。少しの間バレなけえばいい。ヤツが一人になったタイミングで……。
ヤツが取り巻きと別れ、一人になったところは、奇しくも私の通学路と同じだった。アイツもここを通っていたのか。
鞄の中のナイフの感触を探る。
私は速足で佐々木ゆりに近づく。まだ鞄に隠したまま、ナイフの柄を握る。手が汗ばむ。
殺してやる。胸の中が真っ黒な悪意に染まるのが分かった。
美里、私は今こんなに怒ってる。
「冴?」
背後から声がした。心臓が大きな音を立ててなり始める。
恐る恐る、後ろを振り返る。声で分かっていた。健二がいた。
「傘は?こんなに雨降ってるのに」
初めて自分がずぶ濡れなことに気が付く。
佐々木ゆりはそのまま歩いて行ってしまった。
どうしよう。私、えっと。
「ひどい顔してる。ひとまず雨宿りしようよ」
「あ、うん」
それしか言えなかった。
近くの店前の長椅子に座った。たまに飛んでくるけども、大体雨は防げる。
彼の顔を見て少し、冷静になった。私は何てことしようとしていたのだろう。
「何かあった?」
「何にもない」
「言いたくないならそう言って。嘘はいらない」
嘘は見抜かれてた。
「美里のこと、考えてた。私と美里ね、その、いじめられてたの。さっき前を歩いてたヤツに。美里が、もしかしたら事故なんかじゃなくて自殺なんじゃないかって。アイツがどうしても許せなかった。あんなヤツ、えっと……私本当にどうにかしてた。疲れてたんだと思う」
ハンカチで顔を拭くけども、水が髪を伝ってきてきりがない。
少しの間、雨の音だけが鳴っていた。
「いじめ……。佐々木に?」
彼がゆっくり口を開いた。
「うん。きっかけは今でも覚えてる。アイツが『お前の親偽物なんでしょ。血のつながってないヤツを育てるもの好きなんているんだー。両親変わってるね。まあ捨てられないようにしなよ』って言った。それで口げんかになって、その次の日からいじめが始まった」
私は続ける。
「私、産まれてすぐ捨てられたみたいでさ、施設で育った。五歳くらいの頃かな、今の両親に引き取られて暮らすようになったの。冴って名前は今の両親につけてもらった。施設が嫌いだったわけじゃないし、同年代で仲良くなった友達もいたけど、今のおとうさんとおかあさんに出会えて幸せだった。だから佐々木ゆりの言ったことが許せなかった」
耳元をビュウと風が抜ける。嵐のような重く湿った風だ。
私は養子だった。物心ついたころから両親がおらず、そういう子らが暮らす施設にいた。
ある時、施設に来た夫婦がいた。
何回か施設に顔を出し、本を読んでくれたり、一緒に積み木をやったり、よく遊んでくれた。
その夫婦と手をつなぎ、施設を出た日のことは今でもよく覚えている。施設のおじさんのどこか悲しそうだけれども嬉しそうな顔。よく遊んだ同い年の男の子の降る手。
色が冴えるように、という願い。
あなたと、あなたの周りの人の人生が明るく鮮やかに、豊かになりますように。
私に冴と名前を付けてくれた両親のどこが、偽物だというんだ。
しゃべりだしたら止まらなくて、施設のこととかいじめのこととか、健二は全部聞いてくれた。
「……そっか」
ごめん、と言った健二の目は、風に流された前髪に隠れて見えなかった。
健二には、私の置かれている状況を話さず、隠してた。弱いところをさらけ出さなかったって言うのもあるけど、これは私の問題だから。美里を巻き込んでしまったことはずっと後悔している。私だけが背負うべきものだった。
「俺は、どうすればいい」
その言葉は、私にいっているのか、彼が自身に問いかけているのか、どちらにもとれた。彼は、座ったまま空を見上げる。
「村田昭彦のことは知ってた。知ってて、助けられなかった」
「そのことは大丈夫ありがと。私こんなで頼りないと思うけどさ、健二も私を頼ってね。私は健二の友達だから。健二がデブになってもハゲになっても、クズになっても一緒にいる」
少し沈黙が流れる。
「ちょっ、黙んないでよ。恥ずかしい」
「……いや、急に言い出すもんだから」
「だって。……言いたいことは言えるときに言っておかないとって思って。……とにかく私は大丈夫。元気になったよ」
「そんなバレバレな嘘をつかないでくれ。泣きながら言われても説得力ない。俺の前では無理しないでいい」
ハッとする。
「だめだな、私。でも、少し元気になった。それはホント」
「そっか。じゃあそろそろ帰るか。少し雨が収まってきた。それに冴の親が心配する」
屋根から零れてくる大きな雨粒を眺める。
立ち上がると、鞄の中から新聞の音がする。忘れてた、自分が何をしようとしていたか。こんなことしても誰も喜ばない。それに、人を傷つけることは、どんな理由があってもだめだ。
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