第一章 きずぐち⑤
小学校の頃、クラスメートに両親と私の悪口を言われ、言い争いみたいになった。どうしても許せなかったんだ。
別に殴り合いをしたわけじゃないから怪我はしなかった。だけど私だけ傷ついた。悪口を言ってきた女子は、クラスの中でもカースト上位で、女子の集団のいつも真ん中にいる人だった。その人の名前をゆりと言う。佐々木ゆり。
言い返したのが気に入らなかったらしい。その日から嫌がらせを受けるようになった。はじめは陰で何か言われたりする程度だったけれど、次第に激しく、悪質になっていった。
小学校を卒業して、近くのの公立中学に入った。私立に行かない人は大体同じ公立中学へ行く。だからもちろん、佐々木ゆりがいた。
向こうもこちらに気が付き、笑いながら手を振ってきた。怖かった。
アイツはすぐクラスの人らと打ち解け、前のように中心人物になった。前のように私をいじめるようになった。理由とかはどうでもよくて、とにかくいじめれる人が欲しかったんだと思う。多分。
悪意は伝染し、次第にクラスの女子と一部の男子が私の敵になった。
毎日が辛くて、地獄だった。じわりじわりと真綿で首を絞められるような、心をカンナで少しずつ削られていくような。
耐えていても、その先に待っているのは寿命が尽きることだと分かっていても、ただ耐え続けることしかできなかった。
私にとって救いだったのは、クラスの女子全員が敵ではなかったこと。
中学に入ってから知り合った美里が、友達だったこと。
私の過ちは、いじめられていること美里に知られたこと。
男子に蹴られ、口の中が切れた。雑巾とイチゴミルクを投げつけられ埃と砂糖まみれの髪。笑いながらアイツらが去っていく。廊下に座り込み、冷たい壁にもたれかかる。ああ、やっと終わった。
階段を上る足音が聞こえた。
「……冴?っ冴⁉」
そこから先は、私が恐れていた通りになった。
地獄にいる人に手を差し伸べることは、同じ地獄に入ることと同義。
美里はいじめから私をかばい、いじめの対象にされた。
自分が傷つくのはもうどうでもよくて、美里が傷つくことが耐えられなかった。一つ、考えが浮かぶ。考えるだけで苦しかった。
私と一緒にいて美里が傷つくのなら、一緒にいなければいい。
私は一人でいい。産まれてすぐ、孤独なって、みんな私を救ってくれて、それだけで幸せなんだ。それ以上望むから、身の丈に合わない願いを持つからダメなんだ。私のせいで閉じ込められたままの友人たち。それに対する罰なんだ。だから耐えなきゃいけない。
大丈夫。自分に嘘をついた。
「ねえ冴」
いつかの掃除の時間。それを放棄してどこかへ遊びに行った人たちの代わりに、私と美里は真面目に廊下を掃除していた。
「なに?」
この校舎は、会議室や実験室などばかりで教室がなく、静かだ。二人の声だけが反響していく。
「勘違いかもしれないんだけどさ」
そんな前置きから始まった美里の言葉は、なんとなく予測できた。多分、勘違いじゃない。
「冴、最近私のこと避けてない?」
予想できたものだけれど、一瞬言葉がつまる。顔が引きつらないように気を付けて、嘘をつく。
「……そんなこと、ないよ」
「そっか、ならいいんだけど」
速いテンポで、ザッザッと床と箒がこすれる音がする。私の鼓動とリンクしているようだった。
「あ、のさ」
タイミングを逃した言葉が、私の口から飛び出たいと願った。
「……ごめん。なんでもない」
美里はまた、そっかとだけ言った。結局、のどまでせりあがってきた言葉を呑み込んで仕舞う。
「……冴、優しいよね。私のために……自意識過剰かな」
「……え?」
一瞬、空耳かと思った。でも、床を見つめる彼女の口は確かに動いていた。
「遠慮しなくていい。本当のこと言ってよ」
「本当のことって……」
まだ、言葉を濁してしまう。
「冴は、冴自身に嘘ついてるように見える」
嘘、と聞いて心臓がビクンと跳ね上がったような気がした。
「別に無理にきくつもりはないし、言いたくなる時まで待つけど」
ちらりと私の方を見る。彼女の顔は、どこか傷ついているように見えた。
「……ごめん」
「何で謝るの?冴は別に悪いことしてないし、私も怒ってない」
「私といるから、美里がひどいことされるんだよ。私が居なければ……」
少し離れたところで、箒をもって立ち尽くす美里は、私の目をじっと見ていた。
睨むような、泣き出しそうな、両方が混ざったような目つきだった。
「ねえ、前言撤回。私怒ってる。そんなこと……言わないでよ。冴と一緒だからひどいことされるとか、そんなとこ全然気にしてない。私が冴と一緒にいたいからいるだけ。周りなんて関係ないんだよ。冴は私のこと思って離れようとしてたのかもしれない。だけど、そんな気遣いいらない。そっちの方が辛いよ。勝手に分かった気になって、自分だけで背負おうとすんな。私、冴と一緒にいたいんだよ」
泣き出しそうな彼女。
「冴、最近無理してる。自分に嘘つきすぎると、いつか壊れちゃうよ。私を頼って。友達、でしょう?」
そういって、うるんだ目のまま、私に弱く笑いかけた。
私は何をしていたのだろう。なんてちっぽけなんだろう。なんで美里を避けようとしてたんだ。美里を傷つけてたとも知らず、こんなに私のことをおもってくれてたのも知らず。
今、こんなにも嬉しい。こんなにもあったかい。それなのに私……。
ほかに誰もいない薄暗い廊下で、座り込んで子供のようになく私に、美里は横にいてくれた。彼女の肩に寄り掛かった。誰にも言えなかったことが、決壊したダムの水のようにあふれてきた。美里になら、誰にも言えなかったことが言える気がした。全部分かってくれる気がした。クラスメートたちが何と言おうと、関係ない。そばに美里がいてくれるなら。
美里が死んでからは、よく覚えていない。空っぽの日々だった。美里がいないのに、世界は当たり前のように回っていた。私はそれに乗っかり、普通に学校へ行く。なんで私生きてるんだろう。
私が休んでいた間に、学校では美里への追悼をやっていたらしい。
あの子とか、あの子も泣いていたって聞いて、なんで?と思う。佐々木ゆり、あんたいじめてたじゃないか。あんたに泣く権利なんてこれっぽっちもない。
あいつらが殺したんだ。やり場のない怒りと悲しみがあいつらへ向く。地獄に堕ちろと地獄から叫ぶ。
私を照らしてくれた光は消えた。支えだった太い糸は、簡単にぷっつり切れた。
どうしようもなかった。泣いて叫んで恨んで、虚しいだけだった。
叫んでも、声は闇に呑まれていき、長い静寂が返ってくる。自分の弱さに怒りが湧く。助けられてばっかりで何も返せていない。ありがとうとしっかり伝えられていない。それなのにあなたは消えてしまった。
あなたの友達でよかった、幸せだった。そう伝えたい。戻ってきてよ、美里。
美里は、自殺だったんだろうか。
だとしたら、私には許せない人が三人いる。
私たちをいじめた、佐々木ゆり。
私たちを殴った、村田昭彦。
それと私、玉木冴。
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