第22話 男狐も化ければそりゃあ絵になるわ

「お二人とも初めまして。僕が島崎双葉の末弟、島崎源吾郎です。名前はアレですが、本当は四男なんです。名前に四ってつけるのはよろしくないって母が言い張ったみたいでして」


 島崎源吾郎なる青年と対面した私と倉持君は、彼の姿を眺めたまましばし無言だった。のっぺりとした面立ちに愛想のよい笑みを浮かべた、さも人懐っこそうな好青年。彼の風貌や態度を一言で表すとそんな感じになるだろう。

 玉藻御前の末裔であるという妖艶な美貌も、最強の妖怪になり世界征服だという恐ろしげな野望とも無縁な見た目に見えた。倉持君は多分、抱いていたイメージと彼の実際の姿とのギャップに驚いていたのかもしれない。「玉藻御前の末裔で野望持ちって絶対やべー奴だぜ」なんて事を私に漏らしていたんだから。

 見た感じと態度では、島崎君は所謂やべー奴には見えなかった。でも彼は妖狐、それも妖狐の頂点に立つとも言われる玉藻御前の末裔である。しかも中高共に演劇部に所属し、副部長の座に就いたほどの実績の持ち主だそうだ。だから今見せている姿は演技、本性を隠す仮面なのかもしれない。初対面の私たちには、島崎君がどういう本性を隠し持っているのか、知るすべはないのだから。

 それはさておき、私も島崎君を見て驚いていた。確かに彼の見た目は世間でイメージする玉藻御前の末裔とはかけ離れているのかもしれない。だけど私は、彼が島崎主任の弟なのだと実感していた。

 何せ彼の風貌はなのだから。島崎主任の父親であり師匠でもあったというその人に。

 島崎君はゆっくりと右手を持ち上げ、提げている物を島崎主任に渡した。文庫本が二冊ほど入る大きさの紙袋で、上の方には焼き菓子のブランドのロゴマークが入っている。


「賀茂さんに倉持さんでしたか。この度は入社おめでとうございます」


 笑顔で話す島崎君にはやはり毒気も邪気も見当たらない。人懐っこい上に気も利きそうな感じではないか。私たちと同い年で二十二と聞いていたが、下手をすれば隣の倉持君よりもしっかりしてそうだ。高校を出てすぐに就職(当然のように妖怪の企業らしいけれど)しているためなのか、歳の離れた兄弟がいるためなのかは解らないけれど。

 ちなみに島崎君が持ってきてくれたのはマカロンだった。随分とお洒落な手土産のチョイスではないか。その時になって、私はようやく島崎君自身もお洒落に気を遣う性質である事に気付いた。派手に飾り立てている訳ではないけれど。


「島崎源吾郎君、ですか。君の事はお姉様である島崎主任から色々聞いておりまして、僕も正直どんなお方なのかなぁと色々と想像していたんです」


 応接室に入って腰を下ろすや否や、倉持君はそう言って笑っていた。本心からの笑みではない事は目を見れば明らかだった。対面に座る大人しそうな風貌な青年に対し、値踏みするような眼差しを向けていたのだ。


「ふふふっ、島崎主任からはきっと驚くだろうと言われていたんですが、実際驚きましたよ。お姿をなさっているんですから。それとも、そのお姿も人間に上手く馴染めるように調なさっているんですかね?」


 このアホは何て失礼な事を言っているのだろう。私は驚きと憤慨のごたまぜに抱えながら彼を一瞥した。親しみやすい風貌というのが誉め言葉では無くてである事は私には解っていた。

 同い年の若者相手とはいえ、島崎君は上司の弟にあたる。皮肉交じりとはいえそんな風に詰って良い謂れなどないはずだ。たとえ相手が妖怪――厳密には島崎君は半妖だけど――だったとしても。

 その一方で、倉持君の言動の理由も何となく推察できた。端的に言えば見下して馬鹿にしているのだ。島崎君も、私も。何となればアトラの編集部に関わる面々を。いい大学を出て華々しい出版業界を目指していたのに、このアトラ編集部に就職してしまった事を彼は忌々しく思っているらしい事は私もうっすら気付いていた。同情なんてしないけど。それより私は島崎君が凹まないか、島崎主任が怒り出さないか、そちらの方が気がかりだった。

 しかし、島崎君は落ち込んだり怒ったりせずに、ただただ穏やかな笑みを見せているだけだった。


「あはははは。この見た目は仮の姿ではありません。これこそが僕の本来の姿なのです。厳密に言えば尻尾を隠していましたが」


 尻尾。島崎君は半身をひねって後ろをちらと眺めていた。と思うと、彼の背後から銀色のフワフワした柱がぬるぬると姿を現す。それは確かに尻尾だった。銀色の毛並みに覆われた狐の尾は四本もあったのだ。


「この尻尾が無ければ、よもや僕が玉藻御前の末裔などと誰も思いませんよね。ですがそれも仕方ない事なのですよ。僕は兄姉たち以上に妖狐に近い存在です。それもこれも、曽祖父である玉藻御前様の特徴を色濃く受け継いだからにほかなりません。

 ですが、妖狐の血は見た目には作用しなかったんですよ。見た目だけで言えば僕は完全に父親似です。である父親の血が、僕のにがっつり作用したんですよ」


 自分のこの容貌は人間である父親のそれが遺伝したものだ。そう言った時の島崎君の瞳の昏さに、私は思わずぎょっとした。霊感なんて無いはずなのに、妖気らしきものが漂っているのを私は感じた。

 だけど、島崎君にも何かしら抱える物があっても仕方ないと思い直した。そうでなければ敢えて妖怪として生きる道を選ぶなんて事はしないはずだから。


「こーら源吾郎。変に含みのある言い方をしないの。賀茂ちゃんも倉持君も驚いてるでしょうが」

「え、あ……ごめん姉様」


 島崎主任の明るい声で私は我に返った。決まりの悪そうな島崎君を尻目に、島崎主任は言葉を続ける。島崎君が妖怪として生きる道を選んだのは、学生時代に女子にモテなかった事が大きな要因であるとか、父親に似た容貌をコンプレックスに思う反面父親には懐いていた事などを教えてくれた。

 何と言うか男の子らしいな、と思うのがやっとだった。男の子って恋愛というか女の子との接触に興味のある子はとことん興味を持つ事は、女である私も良く知っていた。


「島崎さん。ええと、弟さんの方です」


 島崎君に声をかけたのは何と倉持君だった。その顔にはやはりニヤニヤした笑みが浮かんでいる。


「そう言えば島崎さんは女の子にも変化できると言う話でしたが、それはやっぱり妖狐の性ですかね。それとも――」


 倉持君の笑みが底意地の悪そうな色味を見せていた。


「女子になり切る事でモテなかったって言う現実から目を逸らしたんですか?」

「俺が女子に変化するのは、あくまでもモテ道を極めるためです」


 島崎君は即座に返答していた。見開かれた瞳には、気の強そうな光が宿っている。源吾郎ったらムキになっちゃったわね。島崎主任が呟くのを私は聞き取っていた。


「それもこれも戦略の一種ですよ。女子に変化したらごく自然に女子会に溶け込む事も出来ますからね。そこで女子たちの好みとか女子の心理をリサーチしてフィードバックを行うという所なのです」


 島崎君は女子に変化する理由について力説してくれた。島崎主任はもとより、私も倉持君も無言だ。女子たちをも欺くなんてかなりガチだなぁとか、リサーチとフィードバックって事は悪用するわけじゃあないんだとか、そんな事を私は思っていた。


「――とまぁ、色々と話しているだけでは実感も湧かないでしょうから、実際に変化してみましょうか」


 言うや否や、島崎君はさも当然のように椅子から立ち上がった。その顔には晴れやかな笑みが浮かんでおり、頬は妙な興奮に熱され紅潮していた。

 変化は楽しみですね。倉持君はそう言っていたけれど、やはりどこか皮肉っぽい響きがある。島崎主任は面白そうに微笑んでいる。

 そうした視線を一切気にせず、島崎君は変化した。白っぽいもやのような物が島崎君の身体を覆ったかと思うと、その奥で彼の輪郭がぼやけて変形していったのだ。

 そしてもやが晴れた時、その向こうにいたのは一人の美少女だった。真っすぐなセミロングは見事なプラチナブロンドで、つぶらな瞳は明るい琥珀色と縦長の瞳孔が特徴的だった。


「お二人ともどうですか。玉藻御前の末裔というのはこういう姿だとイメージなさったのではありませんか」


 不意に少女が、いや少女に変化した島崎君が私たちに問いかける。私も賀茂君も、呆然と変化した彼の姿を見ていたのだ。変化する瞬間を目の当たりにしていた私でさえも目を疑うような光景だった。島崎君は完全に少女になり切っており、しかも変化したその姿には元の姿の面影はない。見た目は言うに及ばず、声音や仕草さえも女の子のそれではないか。


「あ……うん。本当に、本当に女狐じゃないか。そんな、本当は男なのに……」


 倉持君は変化した玉藻御前の末裔に釘付けだった。少女に化身したそれは、サービスとばかりに狐耳すらも見せている始末だ。妖艶な美女というよりも可憐な少女と言った雰囲気ではあるものの、玉藻御前の末裔らしい姿だ。


「ともあれ可愛いなぁ。いやもうこんな娘だったらイケるわ。性別とか関係ないし」

「へぇー。そこまで言って下さるなんて、俺の変化を高く評価して下さって嬉しい限りです」


 倉持君が妙な事を口走ったまさにその時、島崎君はさっと変化を解いて元の姿に戻ったのだった。目立たずさも穏やかそうな島崎君のその面には、勝ち誇ったような笑みが浮かんでいた。

 島崎君は基本的には礼儀正しく大人しい青年ではある。だがその一方で途方もない負けず嫌いであるらしい。島崎君についての私の第一印象はおよそそのような物だった。

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