第21話 九尾の子孫に女狐(♂)あり

 玉藻御前は平安時代末期に殺生石になったという九尾の狐の事だ。元々は大陸出身の妖狐だったらしいんだけど、その強さや悪事の凄さから、酒呑童子や大嶽丸と並んで日本三大悪妖怪と見做されているのはこの業界では有名な話だ。

 玉藻御前の末裔に私が初めて出会ったのは、入社して間がない頃の話だった。オカルトライターを志していた私は運よくアトラの編集部門に配属された。本当に幸運な事だと私は思っていた。ライターでも特にオカルトライターになりたいと思っていたし、編集部門の主任である島崎双葉氏の事は密かに尊敬していたから。

 そして、玉藻御前の末裔というのは誰あろう島崎主任だったのだ。


「編集部門主任の島崎双葉です。えへへ、実は私、こう見えて玉藻御前の曾孫なのよ」


 玉藻御前の血を引いている。そんなとんでもない秘密を、島崎主任は実にあっけらかんと私たちに明かしてくれた。丁度、今日の献立を話すような気軽さでもって。

 私と同期入社した倉持君が驚いたのは言うまでもない。私は島崎主任の事を、彼女のコラムである程度知っていると思っていた。妖怪学者である島崎幸四郎の娘にして一番弟子。父親譲りの豊富な知識と並外れたバイタリティによる取材にて地位を獲得した女傑。私が知っているのはそんな事だった。

 ともあれ島崎主任と毒婦だったと言われる玉藻御前を結び付けるのは難しい事だった。島崎主任が美人である事は女の私でもひしひしと感じていた。明るくて華やかな面立ちと長身でグラマーな身体つきの持ち主だし、何より年齢を感じさせないほどに若々しい。アラフォーだと聞いていたが、私たちよりも少し年上にしか見えない見た目の持ち主だった。それでも島崎主任からは魔性の女という気配はなかった。魔性の女というには余りにも明るく、はつらつとしたエネルギーを放出していたのだ。

 彼女は決してファム・ファタールではない。おのれの力で道を切り拓くようなヒロイン(女傑)と呼ぶ方がしっくりくる。実際、私にとって島崎主任は憧れのヒロインだったし。

 私と倉持君は当惑し、互いに顔を見合わせたり視線を交わすだけだった。倉持君は元々もっと良い所を目指していた子だったんだけど、この時彼と同じ気持ちになったような気もしていた。

 そんな私たちを、島崎主任は微笑みながら見守っていたのだ。


「あ、でもごめんね二人とも。玉藻御前の子孫と言っても、私自身はそれほどあのお方には似てないのよ。所謂半妖で、人間の血も引いているからね。母親の代から半妖だったから、それよりも妖狐の血は薄まっている訳だし」


 妖怪学者だった島崎幸四郎氏が玉藻御前の孫娘である半妖の女性と結婚し、それで生まれたのが自分たちである。島崎主任の説明は大体このような物だった。半妖と言っても島崎主任やその兄弟たちに流れる妖狐の血は四分の一に過ぎず、そのために兄弟たちは殆ど人間に近く、概ね人間として暮らしているらしい。


「いやぁ……凄い話ですね」

「本当ね……」


 倉持君の呟きに乗っかる形で私も呟いていた。確かに私も賀茂忠行の直系の子孫という事ではあるらしい。だけどまさか、長年憧れていた職場の上司が玉藻御前の末裔だったなんて。

 それにしても妖怪学者と妖怪(厳密には半妖だけど)が結婚して夫婦になるなんてそれらしい話だとか、大妖怪の子孫であっても人間として暮らしているんだとか、そんな考えが私の中で蠢いていた。

 そうだ。明るい声で島崎主任が私たちに呼びかけたのは丁度その時だった。華やいだその顔にはいたずらっぽい笑みが浮かんでいる。


「私らがほとんど人間と変わらないって聞いてガッカリしちゃったかしら。でも安心して頂戴。何事にもはあるんだからね。

 実はね、源吾郎が……一番下の弟は私ら兄弟の中で一番妖怪の血が濃いのよ。本人もそれを仔狐の頃から自覚してて、高校を出てすぐに妖怪として生き始めたのよ。そうね、あの子の方が私よりもうんと玉藻御前の末裔らしく振舞っているわね。何せご先祖様みたいに強い妖怪になりたいなんて言う野望を持ってしまったんだから」


 源吾郎という一番下の弟の話をする島崎主任は明らかに笑いをこらえていた。押さえておかないと笑いの暴発が起きてしまうと言わんばかりに。中二病をこじらせたんだけど、それでも筋を通しているから立派な物よ。そう言って島崎主任は笑っている。だけど「対戦車ライフル越えの威力を持つ狐火」だとか「雷獣の男の子とケンカ遊びが好き」だとか「世界征服が夢」だとか物騒な言葉が聞こえた気がする。


「玉藻御前の……九尾の子孫と言っても所詮は男なんですよね?」


 挑むような口調で言ったのは倉持君だった。マスコミ関係の花形を目指していた彼は、就職活動にしくじりアトラの編集部門に流れ着いた事について、彼は密かに不満を抱いているらしかった。

 だからこそ、私やアトラの先輩たちに対して斜に構えたような言動を見せているのだ。

 倉持君はフンと鼻を鳴らして笑っている。


「僕はオカルト業界はさほど詳しくないですけれど、九尾の狐の事は知ってますよ。あれですよね、エロい美女なんでしょう? ですから玉藻御前の末裔と聞いてそういう感じの女狐かなと思ってたんですが、男だったら……」

「倉持君! ちょっと!」


 ニタニタと厭らしい笑みを浮かべる倉持君に対して思わず私は声を上げていた。いくら就活にしくじったからと言って、こんな事を言っても良いなんて事は無い。それに玉藻御前の最大の武器は籠絡ではなく明晰な頭脳だし、そもそも玉藻御前の子孫にあたる女性がいる前でこんな事を言うのは失礼だしセクハラじゃあないか。


「賀茂さんありがとう。でも私は大丈夫」


 風評被害とセクハラのダブルパンチを若い男の子から受けたにもかかわらず、島崎主任は笑みを絶やさなかった。それどころか、それこそ狐らしい笑みを私たちに向けている。


「玉藻御前の末裔として女狐をご所望なのね、倉持君?」

「え……あ、はい……」


 島崎主任が真正面から問いかけると、倉持君は面食らった様子で返事するのがやっとだった。そんなんなら初めから変な事を言わなければいいのに。そう思っている間にも島崎主任は言葉を続ける。


「だったら本当に丁度良いわ。の源吾郎は、親族の中で一番なんだから。私もそんなに女狐要素は薄いし、母親や叔母もそんな感じだから……倉持君。あなたのリクエストは源吾郎にしっかり伝えておくわね。まぁ、あの子の事だから女狐変化は喜んでやってくれるんだけど。あの子は演技が上手いし女子力もそこそこあるから、何処に出しても恥ずかしくない女狐と言えるんじゃないかしら」


 してやったりという表情で語る島崎主任を前に、倉持君のみならず私も呆然とするほかなかった。男なのに女狐らしい女狐とは……そんな概念的な疑問が頭の中で膨らんでいた。

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