第8話 その人は雷獣のあの娘に似てました
「ハラダ先輩。いい加減早めに復旧してほしいですねぇ」
後輩の町谷君がそんな事を言ったのはお昼前の事だった。わざわざ言う程の事か、とは思わなかった。サーバーの復旧に関してはみんな早く復旧してほしいと思っていたのだから。IP電話もまだ繋がらない。なので急ぎの案件がある時はスマホを使って連絡するのがチラホラと見えた。
「それはみんな思ってる事だからなぁ……でも町谷君はそんなに困ってないんじゃないの?」
金髪のイケメンというチャラい風貌の町谷君であるが、彼は案外要領が良いというか頭の良い後輩だった。僕などはサーバーの堅牢さを過信して大切なデータの殆どをサーバーに保存してしまっていた。それ故にサーバーと接続できない今、仕事らしい仕事が出来ないと困る羽目になったのだ。
ところが町谷君は違う。彼は報告書とかのデータを、サーバーだけではなく自分のハードディスクや自分専用のUSB(どうやら備品を買う時に一緒に購入したらしい)にもバックアップしていたのだ。
そうした用心深さ、保険に保険を重ねる姿は実に町谷君らしいと僕は思う。何しろ彼はこっそり僕の元カノと交際し、のみならず他の女子たちとも交際していたという事まで仕出かしていたのだから。
もっともこの不純異性交遊はすぐに露呈しあっさりと破綻したんだけど。町谷君もこの事に懲りたらしく、今は割合大人しくなっているように僕は感じる。
「復旧したら、あの得体の知れない業者たちも帰ってくれるでしょうから」
そう言うと町谷君は深くため息をついた。その姿に僕はまたしても戸惑った。チャラ男の町谷君は要領の良さというある種の賢さを見せる事もあるが、そもそも物怖じしない気質も強い。そうでなければ人の彼女とこっそり付き合った挙句、他の女子にアプローチするなどという芸当はしないだろう。
そもそも復旧作業に来ている業者たちに難癖を付ける事自体おかしな話ではある。しかし彼が冗談や酔狂で言っている訳ではないのは目を見れば明らかだった。得体の知れない業者たち。そう言った時の町谷君の瞳には、嫌悪よりも実体のない恐怖みたいなものが色濃く浮かんでいたのだ。
「得体の知れないって……わざわざ復旧作業してくれている人たちにそんな事を言っちゃあ駄目じゃないか。まぁ一人は銀髪だからヤンチャそうに見えたのかもしれないけれど」
「人たちって、本当にヒトなのかな?」
「…………!」
気付けば町谷君の瞳は昏い光を放っていた。思いがけぬ言葉に僕は驚いたり、逆に町谷君の態度に納得したりしていた。どうやら町谷君の態度は、人見知りやヤンチャそうな外部業者への照れとかそう言った可愛い物ではないらしい。
「こんな事を言ったらおかしなやつだって言われそうですけれど、何か動物みたいな感じがするんですよね。一人はそんな感じはあんまりしないんですよ。そもそも妙に影が薄いんですけれど。だけどもう一人の方、ハラダさんが言ってた銀髪の方は動物っぽさ丸出しなんですよ」
「動物っぽいって、どんな動物なの?」
町谷君はもちろん周囲を気にしつつ発言していた。だけどその声音とか口調は真剣そのものだった。僕は気押されながらも幼稚な質問をするのがやっとだった。犬系男子とか猫系男子とか、人を動物の気質に当てはめる遊びは何年も前からある。だけど町谷君の今の発言は、そう言う無邪気な雰囲気は無かった。
「そうですね……猫は何となく違いますね。ハクビシンとかイタチとか、そう言う雰囲気なんですよ」
「ハクビシンかぁ。てっきり動物っぽいって言うから狐とか狸って言うのかと思ったよ」
「いや、あの感じは狐とか狸とは違いますよ。何かこうハクビシンっぽいんです。まぁ言うてハクビシンは写真で見ただけなんですけど」
何だそういう事か。僕がそう言って笑うと、ひとまずは町谷君も笑っていた。普段の屈託のない笑顔というよりは、僕に付き合って笑いましたと言いたげな笑い方だったけれど。
※
昼過ぎ。長い昼休憩で手持ち無沙汰な僕は、事務所棟の奥にある自販機に足を運んでいた。室内は冷房が効いているとはいえ残暑厳しい今日この頃である。冷えた飲み物が恋しい時期である。それにコーヒーとか甘いものを飲めばちょっと元気になる気がするし。
ところがその自販機の前には先客がいた。しかもあの業者たち――町谷君がハクビシンみたいだと言った銀髪の青年と、もう一人の青年――だった。しかも何か購入するでもなく、互いに何か言い合っている。というよりも銀髪の青年に対してもう一人が若干言い募っている感じだった。とはいえ二人とも若干うんざりし、困り果ててもいたのだ。
「あの……どうされましたか?」
思わず声をかけると、二人は揃って僕に視線を向けた。僕はまず銀髪の若者の方に視線を向けていた。町谷君が散々ハクビシンみたいだの動物みたいだのと言っていた相手がどんな顔なのか、若干気になったのだ。
正直なところ、彼が具えるというハクビシンらしさは僕にはよく解らなかった。僕自身がハクビシンがどんな動物かあんまり知らないからなのかもしれない。
それよりも僕は、銀髪の青年の面立ちに見覚えがある事に驚き、戸惑っていた。本当に妙な話だけど、彼の姿を見て雷獣娘の六花ちゃんの事を思い出してしまったのだ。並べばそれこそ兄妹みたいに似ているのではないか。そんな考えさえ浮かぶほどに。
とはいえその考えが白昼夢じみた妄想である事は言うまでもない。動物っぽいと町谷君が言っていただけで、まさか彼まで妖怪という訳でもないだろうし。何よりメタルフレームの奥にある瞳は、落ち着いた灰褐色ではないか。
さてそんな事を思っていると、もう一人の若者の方が口を開いた。
「飲み物を買いたいって事で自販機に向かったのは良いんですけどね、雷園寺のやつ、旧い五百円玉しか持ってないって言いだすんですよ。両替と言いますか、五百円玉とか百円玉と交換すれば良いんでしょうけれど、生憎僕も持ち合わせていなくて……」
大人しそうな風貌の若者は、訳知り顔で説明してくれた。そのお陰か今の状況が僕もすんなりと把握できたのだ。それにしても雷園寺とは大仰な名前だ。
「そういう事ですか……それなら僕も小銭を確認しましょうか」
「良いんですかハラダさん。お手数をおかけして申し訳ないです」
雷園寺青年の言葉を聞き流しながら、僕は小銭入れの中を確認した。運よく見つかった五百円玉をそのまま彼に渡す。代わりに僕は旧い五百円玉を受け取った。平成元年と刻印が刻まれている。僕が生まれる九年前に出来た物だった。デザインは見慣れた五百円玉によく似ているけれど色味が違う。普通の五百円玉は淡い黄金色だけど、こちらはまるきり銀色だった。
「ハラダさん。休憩時間の折に有難うございました」
五百円玉を小銭入れに収めると、もう一人の青年も軽く頭を下げた。雷園寺君と異なり目立った特徴はないものの、人懐っこそうな雰囲気の若者だった。やはり若そうな感じで、せいぜい二十二、三くらいだろうか。口調は若そうな見た目とは裏腹に落ち着いているけれど。
「本当にありがとうございます。ですが旧い五百円玉は自販機では使えないみたいなんで気を付けてくださいね」
雷園寺君が澄ました表情で言うと、もう一人の若者が苦笑いした。
「雷園寺君は時々そういう事があるよなぁ。何か知らんけど鶴の模様の千円札とか、二千円札とかも地味にたくさん持ってるみたいだし」
「でも先輩だって僕から受け取って喜んでたじゃないですか。見た事ないから珍しいお札だって」
「まぁそういう事もあるにはあったさ……自販機で使えないって知るまでな。まぁギザ十とかなら良いけれど」
二人のやり取りは中々に面白いもので、僕は思わず笑みを漏らしていた。外様の会社でそんな事をしていた事に気付いた二人は真面目な表情でやり取りを終えてしまったので、僕は残念に思ってしまったのだけど。
ちなみに彼らの作業着の胸元には苗字が刺繍されており、もう一人は島崎というらしかった。
解説
旧五百円硬貨:昭和五十七年~平成十一年まで製造されていた。
自販機は使えない。
鶴の模様の千円札:昭和五十九年~平成十六年まで発行。表は夏目漱石。
二千円札:平成十二年に発行された。流通はごくまれ。
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