第四話

「ちょっとは上達部さんも手伝ってよ。自分の部屋でしょ?」


 ゴミ袋の下から掘り出された書類を一枚一枚拾い上げ、ゆには囲の方を向いた。


「片付けは苦手。見てわかるでしょ」


「いや、苦手を克服する努力をしようよ」


 かこは、部屋の隅に置かれた教師用のデスクに腰を掛けて、大きなパソコンモニターと向き合っている。ぱちぱちと絶えず聞こえるタイピング音。どう考えてもこんな貧乏学校からあの予算が下りるとは思えない。恐らく私物なのだろう。


 ぐちゃぐちゃと今にも絡まりそうなコードが繋がるのは、まるでおもちゃのようなスコップ。日曜朝に放送している、男児向けのあれだ。しかしながらそんな机の上も、彼女の整理整頓の苦手さを物語っていた。


「受験期に親切心で他人の部屋の片づけする奴に言われたくない」


「ゔっ」


 囲の正論に、ゆにの手が一瞬止まる。それはもちろん事実なのだが。


「だからってほとんど初対面の奴に掃除させるかな……」


 ぼそりと呟いてゆには腰を上げた。いくつ目かもわからない、ぱんぱんになった燃えるゴミの袋を引きずって廊下に出す。


「よっこらせっと……ふぅ」


 だんだんと床が見えてきた部屋を見渡す。明らかにゴミであろうものは全てダストシュートし、入り口付近のものは片付いた。しかし、薬棚の前に飾ってある人骨模型には、彼女の下着やら制服やらの衣類が掛かっている。重みで今にも倒れそうな瀬戸際である。


「マネキンかよ」


「別に掃除してくれなくていい」


「これで生活する方が大変でしょ」


 ゆには人骨模型に掛かった服たちをまとめて腕にかけ、その場に座り込んだ。模型の近くに転がったファブリーズ。恐る恐る制服の匂いを嗅ぐ。爽やかな匂いが、全てを物語っていた。


「ねえ」


 モニターから目をそらすことなく、囲は呟いた。ゆには服を段ボールに入れる手を止めて、彼女の方を見た。


「何? あ、服は自分でやる? そりゃそうだよ――」


「さっきなんて言ってたの」


「え」


 囲の簡潔な質問に、ゆには間抜けな声を上げた。


「聞こえなかった? さっき、なんて言ってたの」


「服ぐらい自分で畳んだらどうですかヒキニート」


「訳さなくていい、違う、廊下で何を叫んでいたの」


「え」


「質問に答えてくれる?」


「い、いや、なんも言ってないけど」


「嘘。なんか言ってたでしょ、ゆにがどうって」


「わああああああああああいいいいいい言ってないいいいい掘り起こさないで!」


 途端にゆには顔を赤くし、光の速さでデスクに腰掛けた囲に飛びつく。


「これ以上聞かないで! そんなの掘り起こしても……」


「じゃあこれは?」


 囲はようやく立ち上がると、ゆにに一冊のノートを突き出した。少し使い古された以外は何の変哲もない、大学ノート。しかし、ゆににとって、それは命以上に大切といっても過言ではないもので――


「ぬ”ぁ”ッ」


 悲鳴ともつかない声を出して、ゆには膝から崩れ落ちる。


「な、なんでアンタがそれ持ってるの」


ってきた」


「プライバシー‼」


 怖いほど淡々と答える囲。ゆにの全身は再び羞恥心に包まれる。


「ちょ、ちょっと、返して! それあたしのノート!」


「だから見てるの」


 ゆには立ち上がってノートに腕を伸ばすが、囲は回転椅子を反対側に回してその手を防防ぎながらノートをぱらぱらと捲った。その中には、小さな字で書き連ねられた設定と、愛らしい少女のイラスト。赤と黒を基調にしたコルセットドレスを身にまとったその少女は、どことなくゆにと似ていて、囲はノートとゆにを何度も見比べる。


「『唯一無二ユニ』……へぇ、末期じゃん」


「や、やめて……もぅ……」


 ゆには顔を覆ってその場にうずくまる。なぜほとんど初対面の相手に黒歴史をこうも容易く暴いてしまえるのか。その行動力は一周回って感心してしまえるほどに感じた。


当の囲は、やけに真剣な表情でノートとゆにを見つめる。


「ねえ」


「……なに?」


「こんなことしてて楽しい?」


 囲は、静かに問う。


「楽しいか楽しくないか。二択よ、答えて」


「それ聞いてどうするの」


 恐る恐る囲を見上げたゆに。


「どうなるかはあんた次第ね、答えて」


 囲の口調は全く変わらなかった。ただ淡々と、質問の先を求めるだけ。


「……楽しい、けど」


「けど、何?」


 静かな実験室に、沈黙が流れる。


「けど、あたしは」


「あんた、自分の都合の悪い現実から逃げてるだけでしょ?」


 ゆにの中で、ぷつんと何かが切れた。


「……いの」


「何、聞こえない」


「あんた、何がしたいのッ⁉」


 ゆには怒鳴っていた。六時過ぎの人気のない校舎に、彼女の怒声が響いた。囲は、眼下でうなだれているゆにを静かに見下ろしていた。


「何よ現実って。勝手に部屋引き込んだと思ったらあたしの黒歴史嗤って。あたしが厨二病だってわかってて、心配するのが楽しいの?」


 ゆには、ゆっくり立ち上がる。


「あたしの夢、笑わないでよ、気にしないでよ、もうあたしには何もできないんだ、せめて夢ぐらい見せてよ!」


「これが、あんたの夢?」


「だから何⁉」


 ゆには、ぎっと囲を睨みつけた。


「……勉強も、学校も、友達も親もゲームもあたし自身も……何やったって百点なんてとれないんだよ! アンタみたいな天才にはわからないでしょ平均点以上の苦しみなんて!」


 だんだんと荒くなる呼吸。ゆにの瞳から、大粒の涙が溢れた。


「なんなんだよどいつもこいつも! そんなに、そんなにあたしに期待するだけ期待して、取れなかったら心配して同情して! 構わないでよ! わかりきってること、何度も何度も繰り返させないで! もうあたしなんて負け組なんだよ!」


「負けてない」


「アンタに何がわかるのっ⁉」


 ゆには囲の胸ぐらを掴んだ。彼女は軽かった。しかし、ぐっと顔を近づけても、彼女の仏頂面は変わらない。


「少なくとも、あんたよりはわかってる」


「だから何が――」


「あんた、もう後戻り




 どおおおおおんっ‼‼




「な、なにッ?」


 廊下から聞こえた突然の轟音に、思わず手を放してその方向を向くゆに。囲は、ゆにの手が離れると、すぐさまラボを飛び出て、廊下の窓の外を覗く。


 夕空の下、学校からそう遠くない駅の辺りから、黒い煙がもくもくと立ち上っていた。


「駅の方、火事……?」




 ぴぴぴぴんっ! ぴぴぴぴんっ! 




 ゆにが呟いた直後、実験室からけたたましい電子音が鳴り響く。


「出た。シード」


「は?」


 囲は、再び実験室の奥に戻り、デスクの傍らに横たわる一本のスコップと、歯車型のおもちゃのようなバッジを手に取る。パソコンと繋がったカラフルなコードを雑に引き剥がすと、それらを廊下に佇んだゆにに放る。


「おわっ」


 ゆには慌ててそれらをキャッチする。すると、囲はゆにの手首を掴み、ゆにの瞳をじっと見つめた。


「合格」


「は?」


「行くよ」


「どこに……って、ちょっと!」


 そう言って、囲はゆにの手を引いて走り出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る