第3話 美人先生と休日の特別補習
結局、琴姉の授業中だけ寝てしまうという問題は改善されずじまいだった。
日に日に罪悪感は募ってしまう。
「……そのおかげで休日でも勉強するモチベーションになってるわけだけど」
休日の昼間から、俺は自室の机に向かっていた。
「勉強の中でも現国は運ゲーとか言って軽視されがちだけど、俺はちゃんと予習復習もやってるんだよなぁ」
勉強するのは嫌いではなかった。
やればやった分だけ、成績となって成果が現れるからだ。
「勉強と同じく、好きになればなっただけ、琴姉も俺のこと好きになってくれたりしたらなー。そんな甘いもんじゃないってわかってるけどさ」
琴姉が大学に行くために上京した時には、きっと戻ってくる時には彼氏でもできているのだろうな、と絶望的な気持ちになったものだが、今に到るまで浮いた話はないらしい。
「だからって、このままのんびりもしていられるわけもなく」
琴姉のことを好きなライバルは、きっと数多いるだろうから。
少しでも琴姉から認められるような男にならないといけない。
「そのために俺ができることといったら、とりあえずは勉強だ」
そんな決意を、ペンを握る指先に込めていると。
チャイムの音が鳴り、ドタバタと慌ただしい音がしたと思ったら、突然部屋の扉が開いた。
「――たっちゃん!」
琴姉だった。
「補習授業、しちゃうよ!」
どうやら全速力で階段を駆け上がってきたらしく、息が上がっていた。
「はぁはぁ、わたしと一緒に、はぁ……やろ?」
頬を上気させて熱っぽい瞳をこちらに向けてくるから勘違いしそうになるが、手にしている四角形のブツは問題集だ。
琴姉は近所に住んでいるから、こうしてふらっとやってくることは珍しくない。
「琴姉、ノックくらいしてくれ……」
「えー、なんで? たっちゃんとわたしの仲じゃん。仲良しの間に、ノックなんていらないよ」
「……そうかなぁ」
そんな言われ方をされると強く言えなくなる。
「ていうか、なんで補習授業なんてしに来たの? 休みの日なのに。わざわざ大変じゃない?」
「全然大変じゃないし、お休みだからって関係ないよ。だってたっちゃん、わたしの授業ではいつも寝ちゃうでしょ? たっちゃんがみんなから勉強で遅れないように、わたしが頑張らなきゃ」
琴姉はやる気満々らしく、両手を拳にしてガッツポーズめいたことをする。
腕の都合上、胸が寄せて上げる感じになってしまい、ただでさえ目立つ胸がより強調されてしまっていた。
ちなみに、教師としての責任感から参上仕ったようなことを言うわりには、今日の琴姉の格好は白いTシャツに黒のショートパンツという実にラフな休日スタイルだった。
「なぁ琴姉、それって依怙贔屓じゃないの? 教師としてどうなの……」
「だって、わたしの授業真面目に受けてくれないのはたっちゃんだけだし……できない子をちゃんとできるようにすれば、わたしももうちょっと教師らしくなれるかなって思って」
しょんぼりする琴姉。
別に俺は、嫌なわけではなく、むしろ嬉しかった。
ただ、そのことを素直に表明するのが照れくさいだけだ。
「あの、俺は琴姉のこと、教師に向いてないとか思ってないから」
それだけは言っておきたかった。
俺のせいで琴姉が教師をやめてしまったら……長年の夢を叶えた琴姉の人生を台無しにしてしまうことになる。
「ねえ、たっちゃん、もしわたしが先生に全然向いてなくて、辞めちゃったりしたら……たっちゃんのところにお嫁にもらわれちゃっていいかなぁ? なんて――」
「それなら辞めるのもアリ……か」
どうやら俺に巣食う悪魔は、睡魔だけではないらしい。
「んもう、たっちゃん、ダメだよ! 補習受けたくないからってそんなこと言ったら。わたしの冗談なんか真に受けちゃって、たるみすぎ!」
「冗談……」
「せっかく先生になれたんだもん! こんなことくらいで諦めてられないよ。それにわたし、食べさせてもらうよりも食べさせてあげちゃう派だから。どんなことになってもたっちゃんのお世話にはならないよ。ふふん」
得意そうして胸を張る琴姉。揺れた。
「だから、もしたっちゃんが将来、無職とかニートになっちゃっても、困ってたらわたしが絶対助けてあげるからね」
その言葉で、もう勉強なんてやめちゃおうかな、って気分になった。
無職かニートになる方が幸せになれるなんて……そんな話あるんだなぁ。
「じゃあ補習、始めちゃおっか?」
「いや、もう勉強する気ゼロで」
「だーめ。たっちゃんだってせっかく頑張って合格したんだから、今までのたっちゃんの頑張りを無駄にしないためにも、ここでちゃんと取り返そ?」
どうやら補習からは逃れられないらしい。
そんなわけで、琴姉の目論見通りに自宅補習が始まってしまう。
俺は、勉強はできる方だ。
けれど今、すぐ隣には琴姉がいるわけで。
集中力が……削がれる。
なんで琴姉……わざわざ俺の視界に入らんばかりに身を乗り出すんだ。
そんな机に両手をついて尻を突き出すグラビアアイドルみたいなポーズで。
おまけに、ちょっと視線を横に移したら大きな胸がチラチラ見える。
気になって集中できねえ。
「あっ、たっちゃん手が止まってる……」
琴姉はそれを、俺が問題に苦戦していると捉えたようだ。
「たっちゃんは登場人物の心理描写を読解するのがちょっと苦手みたいだね」
俺の耳元で講義を開始する琴姉。
「まー、苦手意識持つのもわかるけどね。賛否あるし。こういうのの問題ってたいてい選択式なんだけどー、問題文ってだいたい『〇〇した時のAさんの気持ちについて、選択肢の中で最も近いものを選びなさい』って感じで出題されるよね? つまり、正解そのものは複数あるんだよ。数学みたいに答えは一つってはっきりしてないから、どれを選んだらいいのか迷う気持ちはわたしにもわかるよ」
琴姉の言う通り、登場人物の心情を類推しなさい系選択肢問題は大の苦手だった。
「だから、まずは選択肢を読んでからね、こうして本文を読んでいって――」
「あー、そうか。正解から遠くなりそうな文章に線引いて潰していくのか」
「そうそう」
そして俺は、次にこなすことになった問題集で、琴姉から教えてもらった方法を試す。
当てずっぽうではなく、確信を持って正解とされる選択肢を選び。
「やった、正解だ」
おかげで、3割程度の正答率しかなかった選択肢問題をクリアすることができた。
「すごい、たっちゃんよくできたね!」
琴姉は、大喜びで俺に抱きついてくる。
ふんわりと柔らかい感触に、甘いいい匂いがして、正解した甲斐があったと心の底から思えた。
「そんな大げさな」
「大げさじゃないよ。たっちゃんが頑張って結果出せたら、いっぱい褒めてあげなきゃダメだもん」
俺を正面から抱きしめているから、琴姉の表情は見えないけれど、にっこりと微笑んでいるのだろうなと容易に想像できた。
「たっちゃんはやればできる子だから、これからも頑張ろうね」
するとどうだろう。
胸の内がほわほわして、感覚が曖昧になり、急に眠気が押し寄せた。
「あれ……? どうして?」
困惑するしかない。
ついさっきまで、琴姉の講釈を聞いても授業中のように眠くなることはなかったのに。
こんなところで眠ってしまったら、せっかく褒めてもらったのに台無しだ。
だというのに俺は、心地よい睡眠の感覚に抗うことができなかった。
「んもう、補習の時まで居眠りなんてあんまりだよ!」
可愛らしく憤慨する琴姉には申し訳ないのだが、俺にはどうしようもない。
「せっかく褒めてあげたのになぁ……」
褒めた瞬間に、居眠りを決めるという「サボり」をするのだから、琴姉からすれば残念極まりないだろう。
けれど俺は、おかげで眠気に陥る原因に、何となくだが気づくことができたのだった。
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