消し忘れた煙草
加賀宮カヲ
消し忘れた煙草
俺はベランダに出て、煙草をただ咥えているのが好きだ。火はつけない。手すりにもたれかかって、夕日を浴びる桜を見る。そうして、散りゆく花びらを追いながら、記憶を手繰り寄せていた。
「君はいつも一人なんだね」
職場の喫煙所。煙草を吸いながら、携帯を弄る俺に初めて話しかけてきたのは、アイツからだった。背の高い痩せた男。俺は、だから何なんだとしか思わなかった。
「男の喫煙なんて、こんなもんじゃないですか?」
顔も上げずに答えると、アイツは困ったような顔をして、ほんの少しだけ笑った。
毎日、喫煙所で一緒になる。
ただ、それだけの間柄。
会社の外で偶然見かけた時、
俺には何一つ、関係のない事だ。
けれども
ずっと病を患っていた母は、一昨年前に亡くなった。母子家庭で、生まれた時から父親がいなかった。俺がお腹の中にいる時、離婚したのだと言う。何故離婚したのか、母は最期まで話そうとはしなかった。
「……昨日は、どうも」
「どうもって? ああ、キレイな彼女さんですね」
歯切れの悪い
「あれは、父の再婚相手だよ」
「へえ、そうですか」
同じ会社ってだけの、どうでもいい男の身の上を聞くほど、俺はお人好しじゃない。それでなくても、喫煙所で一緒になる度、隣に立つこの男には鬱陶しさを感じていた。
それきり話す事がなくなったのか、ライターの音が聞こえてくる。沈黙の中を立ち上る煙だけがたゆたった。
吸い終わった煙草を灰皿に投げ込むと、
「君、母親から父親の話を聞いた事ある?」
「……何の話ですか?」
「僕も、つい最近知ったんだけどね。びっくりしたよ。まさか、同じ会社に弟がいるなんて思わないじゃないか。普通は」
「はい?」
「
俺の名字は、
そして俺と同じ、独りだった。
少しずつ距離が縮まって、クリスマスになる頃には、お互いのアパートを行き来する関係になっていた。
俺自身も意外だった。こんな風に、誰かを受け入れるようになるなんて。けれども
年が明けて初めての大雪が降った日。全てのダイヤがストップして、
最近の
ビュッと強い風が吹いた時、粉雪が舞い上がって、細い手が俺の腕を掴んだ。
「あのさ……ずっと、お前の事が好きだった」
「気色悪い事言うなよ。兄弟だろ、俺ら」
「お前は、父さんの子供じゃない。僕たち、半分しか血が繋がってないんだ」
「へえ、そっか。そうなんだ……」
「僕には時間があまりない。皮肉だよね。母さんと同じ病気になるなんて」
俺は目を逸して、灰色の空を見ることしか出来なかった。ただ涙だけが、ポロポロと頬を伝ってこぼれ落ちる。
「大事なんだ。すごく。その、上手く伝えられなくてごめん」
「……後、どのくらい時間残ってんの」
「数ヶ月って、言ってた」
「だったらこのまま、俺の家にいたら?」
ただただ、優しい時間が過ぎていった。
たまに喧嘩もした。
トイレの便座を戻さない俺に、
その度に俺は「兄貴は数センチしか煙草を吸わない」と嫌味を言ってやった。
桜が満開になる頃、
「キレイだな。俺、桜なんて初めてちゃんと見た」
「僕も。お前がまだ母さんのお腹の中にいた頃、家族で見たのが最後だよ」
「じゃあ、俺も腹の中から見てたんだな。家族で花見だ」
すっかりやせ細って、鼻からの酸素が欠かせなくなった
「僕さ。弟が出来たって聞いて、本当に嬉しかった。桜を見ながら、絶対、大切にするって誓ったんだ」
「……兄貴」
「ん?」
「俺の事、見つけてくれてありがとう」
骨壷に入った兄貴とアパートに帰って来た時、俺は声を上げて泣いた。テーブルの灰皿には、兄貴の残した吸い殻が何本か残っていて、それを見るだけで涙が止まらなかった。
どうして、美しい思い出しか残していかなかったんだよ!
俺は、いつか忘れてしまう。
俺の中から、兄貴が消えていってしまう!
俺はしゃくりあげながら骨壷を開けると、小さくなった兄貴の欠片を口に含んだ。
カリッっという音を聞きながら、また、泣いた。
兄貴が俺の中に居れば、忘れないような、そんな気がして。
今でも、こうして兄貴の吸い殻を咥えては祈る。子供たちと母親らしき声を遠くに聞きながら、思い出だけは奪わないでくれと祈る。
けれども
生きていくとは忘れていくことだ。
最近では顔すら忘れかけてきている。
その時、風が吹いて桜の花びらがふわりと舞い上がった。
「兄貴、そっちはどうだ?」
俺は花びらへ手を差し伸べると、少しだけ笑った。
微かに残る煙草の匂いが「元気だよ」そう答えてくれている気がした。
-おわり-
消し忘れた煙草 加賀宮カヲ @TigerLily_999_TacoMusume
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