第5話 年下の男ムン

 それから三年が経った。

 ムンは、北方の血を引くだけあって、身長が高い。今では真珠村一番の高い身長である。高校は二年で終わらせて、今はスーが一ヶ月で辞めた、大きな湾の北にある大学の水産学部の学生だ。

 少し大きくなって、真珠村を出て見ると、ムンにはわかったことが一つある。

 スーは真珠村の中では低い方ではないが、北方の男たちと比べると低い。

 かわいらしく、可憐なのだ。

 古参の実習担当の教授に、真珠村から来た、元は人魚湾村と呼ばれたところだと言うと、遠い目をした。あるとき、教授に、スーと言う男がこの学部にいたが一ヶ月で辞めてしまったが、覚えているかと言ってみた。

「覚えているとも。まだ、私が助教授だった頃のことだ。手際も何もかもが見事な美少年だったなあ。今は真珠の養殖をしているだろう?」

 ムンは頷いた。

「あの頃私は、東の島で真珠の養殖が始まったと聞いて、我が国でもできないかと調べていた頃だったのだよ。津波で、人魚湾村が壊滅したときに、家が魚の養殖をしているなら全滅だろうと、興味があればと、稚貝も持って帰らせたんだよ」

 教授は大きな真珠を贈ってもらったのだと続けた。

「技を論文に仕立ててくれと言っても、あの子はやらないんだよなあ。学校から、名誉学士を贈ったときにも、出てこなかった。元気にしているかい?」

「真っ白な髪の毛を雲みたいにふわふわさせて、真珠と魚の養殖に、アイスクリームを作って過ごしています」

 教授は嬉しそうな顔をしていた。

 ムンは、表面上平静を装っていたが、自分の知らないスーの話を聞いて、内心はらわたが煮えくりかえるような気がした。

 休みが来て、ムンは一目散に真珠村に戻った。

 センやヨンに挨拶をして、すぐにスーを探すと、アイスクリーム屋にいた。

 相変わらず、スーの見た目は変わらない。十八ではないかも知れないが、二十歳を過ぎているようにも見えない。今は、白い髪の毛のパーマはなく、長さもあまりなくて、ふんわりと盛るだけである。

「味見するかい?」

 また、小さいスプーンにできたばかりのココナッツアイスクリームを掬って、スーはムンに出した。

 ムンは受け取ってまた、言ったのだ。

「やっぱり、俺はアイスよりもあんたを舐めてしまいたい」

 スーはくっくと鳩のように笑って、スプーンを受け取って流しに置こうと、ムンに背を向けた。

 ムンはスーを後ろか抱きしめて言った。

「もうすぐ十八になるぜ」

 ムンはスーの手を取り、その白魚のような指を丁寧に舐めたが、スーはされるがままである。

「答えを聞かせておくれったら」

 指を舐め終わったムンが言うと、スーは答えた。

「まだ、十八になってないじゃないか」

「誕生日の、お祝いが欲しいなあ」

 また、鳩のようにくっくと笑って、スーは答えた。

「何が良いんだ」

 ムンはこれを待っていたのだ。

「あんたが良い。あんたが欲しい」

 スーは肩を震わせた。後ろから抱き締めれば、横隔膜が震えて笑っているのを感じる。

「俺は人間だぜ」

 通じないのではない。からかったのだ。ムッとしたムンにスーは機嫌を取るように言った

「何して欲しいんだよ」

 ムンは、スーの首に顔を埋めて、潮の香りを嗅ぎながら答えた。

「ほら、大人の恋人同士が、する、ような。スー、教えてくれよ」

 スーは胸を張って答えたのだ。

「俺には、そういう経験が一切ないので、知らん」

 知らん!?

 ムンはドギマギしてしまった。

「でも、あんた、いくつだよ」

「いくつだっけ」

 スーは指を折り始めた。

「子どもの頃の記憶がないもんで、よく知らん。でも、ここに漂着してから、二十年くらいか!」

 スーは頭を振った。

「二十九か三十ってところだな、この体の年齢は」

 ムンは言った。

「で、そういう経験は」

 スーはムンに抱きしめられたまま、真顔で振り向きながら答えた。

「あるわけないでしょ」

「でも、大学に行ったでしょうが」

「うん。すぐに帰った」

「向こうで何があったのさ」

 スーは相変わらず堂々と言ってのけた。

「水産学部だったが、海から遠すぎたのさ」

 スーは胸を張った。

「波の音が聞こえない、好きなときに海に入れない。それが俺には耐え難くて、気づけば黒い髪の毛だったのに根本は全部白くなっちまった。皮膚もガサガサに乾いて、痒くて掻きむしる始末だ。夜も眠れないんだからな。だめだこりゃと思ったとこに、津波が来たから、村にはやらねばならんことがあるだろ。うちの母さんは年寄りだし。それで、さっさと帰った」

「大学の頃とかさ、その後でも、こう、女の子とかさ」

「おんな!?」

 スーには寝耳に水みたいな話である。

「大学の頃は、もう日々苦しくてたまらず、そんな余裕はなかったぜ。実習で海の香りを嗅げるときだけが癒しだったが、実際に海水を触れば滲みて滲みて、痛くてたまらなくて、泣いたぞ」

 頭を掻きながら、スーは珍しく饒舌に続ける。

「何年か前にアンに結婚してくれと言われたが、ありゃ、妹みたいなもんだぞ、そんな気にはならん。センおじさんはアンが嫌ならオンはどうだいって言うけどさ、オンよりもアンの方がずっと好きだ。ムンは俺が好きだと言いながら、そんな話をするのかい?」

 いや、違うのだが。

 ムンは聞かないことにした。潮の香りのするこの人に、自分のほかには相手がいない。あの教授に猛烈に嫉妬したのが馬鹿みたいだ。

「じゃあ、俺と、してみないかい?」

 してみないかいと言われても、スーはそういうことに興味がない。興味がないと言いかけて、ムンが悲しむだろうと気づいた。自分でも不思議だが、ムンが悲しむのは嫌なのだ。

 ムンがいなかった三ヶ月間、どれだけ寂しいと思ったのか。

 しぶしぶ、承諾をした。

それからのムンは有頂天である。

 休暇中は、今までの通り朝から晩までムンはスーの後を追いかけた。

 スーはとうとう、スーにしかできないと言われる、真珠貝に真珠の核を入れる作業のコツをムンに教えることにした。

 うまく入れてやらないと、貝が死んでしまう。

「いいかい、貝の呼吸を聞くんだよ」

 貝の呼吸!?

 スーの教え方は独特だった。ムンは百個中百個の貝を殺してしまい、休暇が終わった。

「稚貝の量を増やして待ってるぜ」

 スーはムンを送り出した。

 ムンの誕生日は、休暇中ではない。

 十八になった次の週末のに一目散に真珠村に戻った。

「どこで何すんだよ」

 スーはちっとも用意なんかしない。

 ムンが選んだ場所は、白亜の灯台である。

 ユーとミンが住んだ白亜の灯台にスーはいつも鍵をかけて人を中に入れさせない。中に簡素なベッドとテーブルと椅子が一そろい、そして津波の被害に遭わなかったユーの油絵一枚だけがかけられていた。スーはたまに、灯台の海側に面した窓を開けて波の音を聞きながら眠るのだ。

 月の明かりが窓から差し込むベッドの上に、スーは大の字になって言った。

「好きにしやがれ」

 古ぼけたシングルベッドに大人の男が二人乗ったのである。ミシミシと音を立てて折れやしまいかとムンは心配した。

 スーは堂々と答えるのである。

「大丈夫だ。俺が補修した」

 そこからのムンはめくるめく時を過ごしたとしか言いようがない。ムンがしてみたことは、しばらくするとスーもしてくれる。

 月明かりが差し込む中、ムンはスーの表情をはっきりと見ただろうか。

 スーは、体温を楽しんでいた。

 常夏の真珠村で寒いわけがない。スーは一年中半袖で過ごすくらいだ。海岸沿いで、昼間と夜の気温差もあまりない日が多い。ここ数日は夜も上掛けをかけずに、腹を出して寝ても構わないような日である。

 でも、スーは筋肉質のムンの高めの体温を楽しんだ。

 暖かくて、なめらかな、ムンの肌を楽しんだ。

 ムンは背が高いだけではない。皮膚の下に、筋肉もついていた。スーはムンの筋肉に沿ってなめらかな肌の上に手のひらを這わせ、楽しんだ。

 ムンが三回目に果てて、吐息交じりに言った。

「あんたと離れて大学に行くだろ。俺は寂しくて寂しくてたまらない。でも今は寂しさがあるからこそ、幸福を感じる」

 スーのうなじに、音を立ててちゅっと口づけをすると、スーは向きを変えてムンの耳たぶを唇でぷるりと挟んだ。

 ムンはスーの股間に手をやるのだが、ずっと柔らかでふわふわなままだ。いとおしくてたまらないが、興奮しなかったのかと思うと残念だ。

「結局、興奮しなかったみたいだな」

「言ったろ。朝はガッチガチになる。それでサクッと処理して一日が始まる」

 スーはやっぱり堂々と答えた。

「俺のもんだぜ」

 スーはまた鳩のようにくっくと笑った。

 朝になると、確かに屹立したものがあって、ムンはしゃぶりにしゃぶった。その間、スーはムンの頭を撫でていた。

 潮の味がした。

 ムンははじめはバスで移動していた。スーも知っている通り、片道五時間かかるのだ。車なら片道一時間で済む。スーは車の免許を取るかい、バイクの免許を取るかいと聞いて、ムンはバイクと答えた。

 スーはセンとヨンに言った。

「ムンはうちの養殖場に、最新の知識を持ってきてくれるからな」

 そう断って、バイクの免許を取る金と、バイク代を出してやったのである。

 スー本人は自分が移動するということはない。

 そうして、ムンにとって幸せな数か月が過ぎた。

 ようやく、稚貝にうまく核を入れることができるようになった。百個中百個の失敗が、百個中九十八個の失敗になるようなものだったが。

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