第4話 スーのマーメイド・アイスクリーム

 何の風の吹きまわしだろうか。ある夏休みのまえに、肩まである白い髪にゆるいパーマをかけたスーはセンにこう提案した。

「センおじさん、海水浴場でアイスクリームを売るのはどうだろうか」

 真珠で村を立て直したスーのやることである。構わないよとセンは許した。

 センは、アンがスーと結婚したがっていることも知っている。スー本人がどう思っているのかは知らないが、ミン以外で一番スーの近くにいることを許されるのは、アンである。

 アンと結婚してくれれば良いと思いながら、センはスーに甘かった。

 スーは、崖の下の、海水浴場に小さな小屋を建ててもらって、そこでアイスクリームを売る計画を立て始めた。

 その頃、ある人が人魚村、いや真珠村にやってきた。

 人、というよりは、まだ子どもだ。

 センの一番下の弟のヨンは、津波の後にホテル修行に出かけた。復興中のホテルでヨンも働く気だったので、ヨンはそれはそれは渋ったのを、センが諭したのである。

「うちはなんとかなる。しかし、外のことがわからなくなっては困る」

 その、ヨンがホテル修行から戻ってきた。この人は、人魚村を一人で出た。真珠村に帰ってきたときには、もう二人を連れていたのである。

 一人は妻である。

 もう一人は、妻の連れ子だ。元の名前はホムンと言うが、ルー家のしきたりにしたがって、ムンと名乗るようになった。

 津波直後のことなら、ムン母子は受け入れられなかったかもしれない。しかし、センはホテルを再建したし、村もスーの真珠で潤い始めた。

 この時期だったからこそ、ムン母子は村に受け入れられた。

 九歳のムンは、生まれたばかりの父親違いの弟を皆がチヤホヤするので、除け者扱いされていると感じた。

—つまらない

 そこに、真っ白な髪の毛のスーを見たのだ。

 一目で、ムンはスーを気に入った。

 理由は簡単。美しいのだ。

 都会育ちのムンは、九歳ではあったが、こんな人魚伝説のある真珠村に連れて来られて大変不機嫌であった。何が人魚だ。何が真珠だ。プイと不満顔でやってきてみれば、都会では見たこともないような美しい人がいたのである。

 白い巻き毛もふわふわと柔らかそうだ。少し垂れ気味の目も愛くるしく、少し大きいと言われる鼻も良いと思う。薄めの唇は形が完璧だ。

 喉仏が上下して、この人が男と知ったときには、ムンは動揺したが、そこは都会育ちの子である。

 しかも、ホテルで暮らしていた。

 男同士の恋人を全く見たことがないわけではない。

—好きになっちゃったのか

 顔中に好意を表して、ムンはスーに近づいたのである。

 気難しいのだと言われるスーも、ムンが近づくのを拒まなかった。

 センはあまり人と交わりたがらないスーがムンを拒まないのを見て不思議に思ったが、構わないと思った。

-意外にスーは子どもをかわいがる父親になるかもしれん


 ある日、スーは髪の毛を束ねて、アイスクリーム店の看板を描こうとしていた。

「どんな絵が良いかな」

 そうつぶやくと、側のムンが答えた。

「人魚!」

 スーは女の人魚と男の人魚の絵を看板に描いたのであった。

 店の名前は、マーメイド・アイスクリーム。

 とはいえ、元の人魚村、すなわち今の真珠村はあまりに南国過ぎて、牛はあまり乳を出さない。

 椰子の実の内側と椰子の実ジュースを混ぜてミキサーにかける。これをろ過して繊維部分を取り除いた、さっぱりとしたココナッツアイスクリームである。そこに、マンゴーやパッションフルーツなど、南国の果物をふんだんに使う。お好みで塩を振りかけてもよい。くどさのないさわやかな味が、海水浴客に受けた。

 もう一つは、白い髪をふわふわさせた美男子の店主が水着の女たちを引きつけたのであった。

 アンはそれを見てやきもきした。センも、スーがアンではなく、そんな客の女に惚れ惚れとしてしまうのではないかと危惧した。

 しかし、スーは、マーメイド・アイスクリームが評判になるとすぐに引っ込んでしまった。スーは、ムンを連れてアイスクリームの開発と製造、そして、魚と真珠の養殖場に行くだけである。

 白い髪をふわふわさせた美男子の店主に変わって、マーメイド・アイスクリームの店頭に立ったのは、地元の高校生の少年たちである。

 水着の女たちにしても、美男子の店主に変わって、可愛い素朴な田舎の男の子たちが出てきて、文句はなかった。

 少年たちにしてもスーの店は美味しい、休み期間のアルバイトだ。アイスクリームは食べられるし、水着の女の子たちがたくさん来る。

 それから何年経っても、スーはその生活を変えない。アンは25を過ぎ、しびれを切らしてスーに言った。

「私と結婚してよ」

 スーは顔色一つ変えず、その場で考えて答えた。

「君のことは好きだが、妹のようにしか思えない」

 アンは、泣いたがどうにもならない。

 真珠のアクセサリーの制作と販売は続けたが、結局、アンは別の男と結婚して、子どもを産んだ。女の子だ。

 スーは、アンの子を抱いたが、泣かれてすぐにアンに戻した。

 それを見てセンは思い直した。

-ありゃ、父親には向かないな

 センは調べた。

 真珠を育てられるのは、スーだけ。

 アイスクリームはどうでもいいが、真珠を失うのは惜しい。

 センは、商人である。

 かつてのジェンよりも損得勘定に長けるかもしれない。

-他にも女の子はいるんだ

 アンが別の男と結婚しても、センはスーの後ろ盾を続けた。

 

 そのうち、ミンも亡くなり、ウー家はスーのものになった。

 マーメイド・アイスクリームと、魚と真珠の養殖。アンに「人魚の真珠」を任せて、いつも横にいるのはムンだけだ。これがスーの人生である。

 ホテルはたしかに夏と呼ばれる時期と、年越しの時期に人が多く来る。しかし、オフシーズンを好む客もいるのだ。オフシーズンの客は真珠を買うことはできる。だが、評判のマーメイド・アイスクリームは?と聞かれると、レセプションの係は困った顔をしてしまう。

 センはがどれだけ言っても、スーはマーメイド・アイスクリームを、休み以外のときに開けることはしない。

 美男子のスーに、アンよりも年下の一族の娘たちは誰も不満はないのに、相変わらずスーの近くに寄れる人間は、ムンだけである。

 いつしか、スーはこう呼ばれるようになった。

「変わり者のスー」

「人間嫌いのスー」

 スーは人畜無害な、変わり者、ただし、背後にはセンがいるという状態を気に入っていた。


 ムンは十五になった。

 ある日、スーは今年の年越しの時期もマーメイド・アイスクリームを開く準備をしていた。

「舐めてみるかい?」

 作ったアイスクリームの試食は、これまで毎回ムンがしてきた。ムンは差し出されるアイスクリームを一口ずつ舐めて、味を確かめてやった。

「うまいかい?」

 ムンは頷き、ついに言ったのである。

「俺は、アイスよりも、あんたを、舐めてみたいと、思うよ」

 スーは鳩のようにくっくっくと笑った。

「僕は君よりうんと年上じゃないか」

 スーの見た目は初めて会ったときから変わらない。たまに髪型が変わるくらいだ。

 十八には見えないだろうが、二十歳を越しているようにも見えない。

「俺は年上が好きらしいから仕方がない」

「十八になっても同じ気持ちなら、そのときに言っておくれ」

 それからも避けることなく、スーはムンを側に置き続けた。ムンが気まずくなることもない。

—年齢がいけないのかな

 ムンは念入りにスーのそばを見ているが、自分以外に近寄らせる人間はアンだけだ。だが、アンとの距離と自分との距離を見比べれば、自分との距離の方が短いし、アンと一緒にいる時間は短い。

 いつの頃からか、スーはアイスクリーム屋だけではない。養殖場にもムンを連れて行った。どこにでも、連れて行ったのである。

 ムンだけが、たまにスーが白亜の灯台で夜を過ごすことを知っている。

「俺はここで育ったからねえ」

 波の音が一番よく聞こえるこの灯台が落ち着くのだとスーは言った。

 相変わらず、変わり者のスーと、よそ者のムンの組み合わせである。

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