掌に、涙の意味を ⑤
黒白の剣がアインの心臓を串刺しにし、血と魔力を練り合わせる。
鎧を覆い尽くす亀裂が鈍色に輝き、剣に奔る罅から星光が溢れ出す。煌めく星々の明かりは紅蓮の炎に沿うようにして迸り、黒紅の炎龍へ飲み込まれた。
耐え難い激痛がアインの脳を焼き焦がし、暴れ狂う狂気と理性が鬩ぎ合う。本能に従い、獣性に身を捧げ、殺意のままに敵を殺戮せしめよと狂気が嘯き、人間性を胸に携え、剣を振るえと理性が吠える。
荒れ狂う黒紅の炎が視界を覆う。瞳の奥が燃える。喉から燃え滾る血を吐き出し、力の限り叫んだアインは剣を更に奥深く……心臓を貫通させ、完全に身を貫かせると柄を強く握り締める。
脆い自我を狂気が包み込み、死に染める。戦闘欲求が殺戮欲求へ変換され、心が死を求める。過去……千年前の剣士が抱いた血肉を求める意思がアインの思考を冒し、彼が宿す意思と誓約を蝕む。
肉体を明け渡せ……神を殺す刃を振るわせろ。黒鉄の異形が刃より這い出し、真紅の瞳に殺意を滾らせ。
貴様の敵を殲滅し尽くしてやる。その柔い身体では何も出来まい。故に、戦闘甲冑を以て殺し尽くしてやる。かつて君臨していた悪鬼……黒の王が現世に顕現しようとアインに迫る。
「―――」
黒鉄の籠手が剣士の仮面に触れ、握り締めると殺意に染まった瞳を向かい合わせ。
「―――」
諦めろ……と、憤怒と憎悪に染まった声で囁いた。
「―――せろ」
炎が心臓に収束する。
「失せろよ―――。俺の……邪魔をするな」
鋼が砕け、崩れると同時に爆発する。空間に広がった爆炎は冷気を掻き消し、吹雪を火の粉へ変えると山となった屍や魔導人形の残骸を喰らい。
「死者が現世に手を出すな……貴様は黙って俺を見ていろ!! 俺が力不足と云うならば、貴様の力を利用してやる!! 俺が俺として生き、此処に居る為に貴様の力、もう一度使わせて貰うぞ!!」
爆散したアインの肉体は、圧倒的量の魔力によって、再構成される。
少年然だった身体は死闘に耐えうる筋力と体格を獲得し、大剣を容易に振るうことが出来る膂力を持ち。
影の鎧は戦闘甲冑に取り込まれ、ノスラトゥの一部として機能する。失ったのではない。イエレザがアインへ与えた力は、形を変えて共に在る。
真紅の双眼に狂気が入り混じった理性を輝かせ、騎士鎧と龍の意匠を拵えた兜を被った大柄な剣士は、黒紅の龍を剣に纏わせ大きく薙ぐと瞬く間に蒼の騎士の懐へ潜り込む。
氷の剣がアインへ迫る。だが、薄氷のように鋭い刃は黒紅の炎によって燃え尽き、意味を成さない。
一撃。破城槌を思わせる剣の一撃が蒼の騎士が纏う鎧を粉砕し、叩き飛ばすと剣士は己の得物である黒白の剣を見つめ、息を整え新たな刃を掲げる。
剣の銘。もし、この剣に銘を付けることが出来るのなら、名は既に決まっている。何故か……それは、剣の内包世界に存在する主が望んでいるからだ。
新たな担い手の意思に歓喜の涙を流し、力を思う存分振るってくれという純粋な武器としての願い。数世代にも渡り培われた魔剣の性質を帯びる殺意と、人の願いと祈りを収束させる人造神剣の性質……。
混ざり合い、融合した剣は己の存在を証明するかのように名を欲し、アインへ言葉無き声を伝える。この名を呼び、己だけの刃を手にせよと、黒白の美女は静かに笑う。
「……貴様が対峙するはただの鉄塊だと思うなよ。この剣は……俺が握り、振るう剣の名はオウル。そうだな……融合剣オウルとでも名付けよう」
黄金の装飾が施された柄と真紅の刀身、黒と白銀が見事に調和した刃を持つ剣……融合剣オウルを構えたアインは蒼の騎士を見据え、黒紅の炎を装甲から噴出させた。
……
………
…………
……………
……………
…………
………
……
昇降機から下り、塔の階段を駆け上がるイーストリアは己が囚われていた自室を目指す。
もう一度あの部屋に戻るのかと問われれば、戻りたくないと云うのが少女の答えだった。良い思い出も無ければ、其処に在るのは苦難と苦痛の記憶だけ。だが、イーストリアは部屋に満たされている結晶に用事があった。
アインが語った毒が何であるのか分からない。彼が少女にしか癒せないと語った毒の正体も、解毒法も何も知り得ぬ少女は万物の霊薬の素となる涙の結晶を目指し、息を切らしながら走り続ける。
「……ッ!!」
塔の地下から轟音が響き、足元が揺れる。手摺に捕まり、恐怖に慄いたイーストリアは目元に溜まる涙を擦り、産まれたての小鹿のように小刻みに震える。
心臓が張り裂けるほど脈打っていた。血が身体中を駆け巡り、己が心を蝕む恐怖を打ち払おうと熱く滾る。
「……大丈夫」
自分を慰めるように、励ますように、呟く。
「アインさんを、みんなを助ける為に、行くんだ。きっと、大丈夫な筈。だから、頑張って……勇気を出して、イーストリア」
それは暗示か思い込みか。何度も頷き、自分自身に対して頷き返したイーストリアは歩を進め、部屋へ進むと修理されたばかりの扉を開ける。
蒼い結晶に満たされた一室。幾万の結晶全てが彼女の涙であり、苦しみと痛みの記憶。エルストレスの支配の証。此処は小さな地獄なのだと、少女は思う。
「……」
床に張られた透明なタイルを外し、結晶を掌一杯に掬い取った少女はそれを強く握り締め、俯き黙る。
これをどうしたらいい。涙を手に、何をしたらいい。どうやったら、毒を取り除き、楽園を取り戻すことが出来る。
「……みんな、どうしたら、いいの? 私に、教えてよ……。力を、貸して、お願いだから……」
「答えはきっと貴女の胸にある筈です。そうでしょう? イーストリアさん」
美しい声が鼓膜を叩き、顔を上げたイーストリアの視界に白銀の髪を靡かせる少女が映り。
「大丈夫、貴女ならきっと出来ます。みんなが……私が傍に居ますから」
白銀の少女……サレナは柔らかい微笑みを浮かべ、イーストリアの頭を撫でた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます